12.徳川討伐戦(前編)
お待たせいたしました
本日は2話連続投稿です。23時にもう一話投稿します。
ようやく対徳川戦です。
1580年10月12日 遠江国浜松城-
近江より帰国した堀秀政は家臣を集めて軍議を開いた。重臣会議で決定した内容を伝えその準備を指示するためだ。
秀政の家臣は美濃から引き連れた旧東美濃衆と遠江で新たに加わった東遠江衆からなる。云わば旧今川家臣だ。駿河の今川と繋がっている可能性を考え、信長からの指令をそのまま伝えることはできない。
そこで秀政は毛利との戦への支援を目的に兵を鍛錬するよう指示を出した。鍛錬に必要な費用を一部秀政の方で負担することを約束し、浪人の雇い入れ、武具の調達を指示した。軍議が終わると重臣の奥田直政を呼び戻し、信長からの本当の指示を説明する。直政が目を見開いて驚くが咳ばらいをして一礼した。秀政は直政の礼に言葉で返す。
「我らが矢面に立つことは明白。山側からも海側からも援軍が来るはず。我らと前田殿で踏ん張れば勝てるはずだ。」
秀政の言葉に直政は力強く頷き、表情を引き締めた。
だが秀政には、不安要素がある。
此度相手するのは、穴山、依田、徳川である。穴山と依田は居城の位置が分かっているが、徳川家康については特定できていない。穴山の下山城、依田の田中城を包囲したところで徳川がどう動くかが予測も確認もできないのだ。
それでもやらねばならぬと決意を新たに拳を握り締めた。
1580年10月15日 近江国安土城二の丸-
「ようやく徳川様を潰されるのですね。」
旦那である信長の頭を膝に置きながら話を聞いた濃は不機嫌そうに言葉を返した。信長はバツが悪そうに視線を遠くにやる。
「最初に申したはずです。徳川様は己の為に主家から独立するような男。あてになどせずにさっさと借金地獄に落として自滅させなされ…と。」
「五徳を嫁がせておったのだぞ。」
「それが何なのです?」
「お前は身内に対する情というものがないのか?」
「信勝様の時も、大叔父様の時も…申し上げました。あの時も介様が徳姫を惜しむから切り時を失いました。事実、そのせいで危うく反織田派に包囲され掛けたのです。」
「切り抜けたから良いであろう。」
「あれは上杉家が運良く崩れ、無吉殿が淀城で頑張ったからで御座いましょう。」
「此度は家康の首を取る!その為に内々で近江衆伊勢衆の兵を東へと向かわせておるのだ。」
「…介様はどちらへ?」
「兵を率いて京へ向かう。禿げ鼠の接待を受けるのだ。」
「行ってはなりませぬ。」
「は?12月に執り行う馬揃えの打合せも兼ねておるのだぞ!」
「それは京でなくてもできまする。」
信長の両手が伸び、がしっと濃の頭を掴んだ。互いに睨むように見つめ合う。
「…儂が襲われると思うてか?」
「断言致します、襲われます。…京に入ってから。」
「ならどうすればよい?」
「瀬田まで進み病と称して引き返されませ。」
信長は濃から手を放し横を向いた。濃は無言で信長の頬を撫でた。
「今信長様の行動は全て見張られております。護衛が薄くなる機会を窺っておりまする。」
「わかっておる。」
「いいえ、わかっておりませぬ。信ずるべきは“家臣の兵”では御座いませぬ。“己の兵”に御座います。」
京には信長の命を受けて一万もの羽柴軍は駐留している。その中に信長の暗殺を目論む輩が紛れ込んでいれば京に行くのは安全ではない。信長は少数の兵を連れて京に行こうとしたことを厳しく責められ不貞腐れた。正論であり理解はしているのだが、気に食わない。だからと言って頭ごなしに言い返せば、また前のように喧嘩となって気まずい雰囲気を作ってしまう。結局目を逸らして黙り込むしかなく、それも信長としては歯がゆかった。
「それはそうと…無吉殿はいつまであすこに匿うおつもりですか?」
見かねた故か濃は違う話題を振りかけた。
「…今、瀬田衆が調べておる。」
無吉こと池田吉十郎の家臣は蒲生屋敷に預からせているが、山岡八右衛門景佐を含めた瀬田衆は故郷に帰らせていた。名目上は解雇であるが、実情は信長の命を受けた隠密である。無吉を陥れた輩の調査をさせていたのだ。
「早く勘九郎の傍にお返しなさってくださいませ。勘九郎も無吉殿も不憫に御座います。」
「わかっておるわ。」
不機嫌そうに言い返すと濃の手を払い、立ち上がって縁側へと向かった。濃は信長のその姿をじっと見つめ、小さくため息をついた。
1580年10月12日 甲斐国新府城-
御殿の大広間には新たに甲斐の国主となった河尻秀隆とその家臣一同が集まっていた。その中には先ほど美濃から三千の兵を率いて到着した毛利新左衛門良勝、服部小平太一忠と信長の命で甲斐に常駐の山科淡休斎も含まれていた。
上座には秀隆が座し、淡休斎は部屋の入口に気怠そうに壁にもたれかかって座っていた。家臣一同は自分たちの後ろに隠居した身分とは言え、大殿の御親族がいることが気が気でならず、ちらちらとその様子を伺っている。その落ち着きのなさに秀隆は咳払いで注意を促し、話を始めた。
「戦をする。…相手は徳川だ。しかも隠密で行動する。その為に新左衛門と小平太が内々に甲斐までやってきた。」
一同に緊張が走る。その様子を甲斐衆の一員として控える秋山虎康はじっと見ていた。元々海野信親に仕えていた国人だが、主家が出奔したおかげで路頭に迷い、秀隆に拾われた身分である。恩義はあるが、まだ家臣として日の浅い甲斐衆にもこのような大事を聞かせても良いのであろうかと考えていた。
「秋山殿、儂がこのような大事をここで聞かせても良いのだろうか…と思っているようだな。」
秋山はゆっくりと頭を下げて小さく「は」と返事した。
「ここに居る者は潔白を証明できる者とそこのご老体が仰っておられるでな。団結の意味を含め、大事をしゃべらせて貰うておる。」
秀隆の言葉に一同が振り向き淡休斎を見た。淡休斎は寝かかっていた。だが視線を感じて姿勢を正した。
「淡休斎様、無理に出席なさらなくても良いのですよ。」
「…年寄り扱いせんで欲しいな。」
秀隆の気を遣う言葉に淡休斎は不機嫌な声で答えた。
「それより、ご一同に言うべきことがござろう?」
「そうでした。皆の者、よく聞いてくれ。此度の戦は…隠密での包囲作戦である。この戦、総大将が決まっておらぬ。誰がどれだけの兵を率いて進むか公にしておらぬ。」
皆が再び秀隆に注目した。
「決まっているのは、日時と場所だけである。日時は11月1日亥の刻。我らが向かうは下山城。穴山梅雪斎が籠る甲斐南部の城だ。」
家臣衆がざわつく。旧武田家臣にとっては信玄時代の重臣で勝頼時代には親族衆筆頭として君臨していた男である。武田家解体後は織田家に与せず独立を保っていたが、実際は今川家、徳川家と通じていた。旧主の行方を聞かされていた秋山虎康はこぶしを握り締めた。
「目的は2つ。梅雪斎の首と海野一族の確保だ。大殿からは生死を問われておらぬが、仁科殿や貴殿らの意を汲み生け捕りにしたいと思う。」
武田旧臣の者が頭を下げた。頷く秀隆と目を見合わせて困った表情をした新左衛門と小平太であった。
1580年10月13日 志摩国田城城-
九鬼家は一時期流浪の時代を過ごしている。伊勢国司の北畠の支援を受けた志摩七頭が自城に襲い掛かり、幼い兄の子を抱えて命からがら逃げだした。あの時淡休斎様にお会いしなければ京で野垂れ死んでいたと回顧する。
九鬼嘉隆は伊勢の海の舟奉行として織田家に仕えて来た。その間に志摩を手中に収め、大殿から頂く潤沢な資金を元手に数多の舟を建造し、先日も誰も作ったことのない舟を所望され、六隻の鉄甲船を作り上げた。戦果もまずまずで大殿からお褒めの言葉も頂いている。
此度も無理難題だ。四百の舟と三千の兵を見つからずに駿河まで運べ…?期日も決まっておる。11月1日…早くても遅くても駄目らしい。
「隠密に駿河まで……。それも我らだけではあるまい。大兵力を隠しつつの出兵。それができてしまえば織田家に敵対する諸侯は震え上がるであろう。」
嘉隆はこれから始まる今までにない戦に体を震わせていた。
「じきに神戸様のご一行が山越えの道で到着なさる。我らは熱田を経由せずに海へ出ることで目立たずに駿河へと行けるだろう。…後は天候か……。」
ひとり呟く嘉隆の心中は穏やかならぬものが沸き上がっていた。
1580年10月9日 美濃国岐阜城-
「殿、如何なされましたか?」
会議の最中、物思いに耽っていたようで塩川長満に声を掛けられて織田信忠は我に返った。
「すまぬ。無用な考えに入っておった。今一度各軍の兵力から説明してくれ。」
信忠の声に頷き、竹中重治がもう一度今回の作戦に加わる各隊の兵力を地図を見ながら説明した。
河尻隊:四千
毛利隊:二千
服部隊:二千
村井隊:六千
堀隊 :三千
前田隊:三千
長野隊:二千
神戸隊:二千
竹中隊:四千
何れの隊も街道を目立つようには進軍せずけもの道のような順路で進軍し、河尻隊、毛利隊、服部隊で下山城を、村井隊、長野隊で田中城を包囲し、神戸隊、竹中隊は今川軍への備えとして東海道を進軍する手はずとなった。
今回の作戦の要は村井隊である。村井信正を大将に北陸方面軍から六千の兵を率いて飛騨経由で信濃に入り、甲斐を縦断して駿河に侵入して北側から田中城を抑えにかかる。かなりの移動距離だが飛騨の姉小路家には伝えているし、竹中重治の読みではこの村井隊の進軍路の何処かで家康と遭遇すると睨んでいる。その説明を一通り受けて信忠は力強く頷いた。
信忠は暫く地図を眺めて考え込んだ。諸将がその様子を黙って伺う。
駿河侵攻については、先日の安土での会議で報告している。近江からも五千の後詰の兵を出して頂く予定だ。時期は蒲生左兵衛大夫が四国に向かうのに合わせワザと近江を手薄になるように仕向けた。三河にも梁田衆を潜り込ませた。関東は西野衆が見張っていて何かあれば叔父上から連絡が来るだろう。
信忠は安土に視線を集中させた。
織田家の象徴とも云える地であるが、今は東西に兵站を伸ばし少数の兵力で周辺を囲っているだけの状況。羽柴秀吉が京で兵を待機させているが、果たしてその兵が牙をむけばどうなるか。
「……筑前に限って父に刃をむけるとは思えぬが…。」
小声ではあったが信忠はそう呟き、それを聞いた家臣一同は信忠が何を考えて地図を見つめていたかを理解した。様子を伺っていた竹中重治が家臣を代表して進言した。
「殿、既に賽は投げられております。此処で迷っている暇はありませぬ。」
「…そうだな。我らは手筈通りに兵を準備しておくだけだ。」
視線を家臣一同に戻し微笑んで言うと一同は深く頭を下げて主君を敬った。
1580年10月20日 近江国安土城奥屋敷-
……。
最近、誰も来ない。
弥助も来ない。
忠三郎も蘭丸も来ない。
信長様も御台様も来ない。
先日の蘭丸君からの報告で、家康討伐の戦準備をしていることはわかっているが、それが忙しくて誰も俺の下を訪ねてこないのはおかしい。
先日の信長様への文に対する詰問やら質問やら文句やらも飛んでこない。
何か企みがあって俺との連絡をシャットアウトしているんだろうが……わからん。
しかたない。座禅でも組みながら、織田家を特別視させるための方法を考えるか。
奥田直政:堀秀政とは幼馴染で別名、堀直政とも呼ばれている。秀政、秀治二代に渡って堀家の家老を務めた
山科淡休斎:織田信長の異母兄にあたり、本物語では御年六十二歳です。
秋山虎康:海野信親家臣で秋山虎繁の一族だとされています。史実では武田家滅亡後は徳川家に仕えたそうです。




