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11.蘭丸殿は俺に何を思う?

読者の皆様、おそくなりまして大変申し訳ございません。

一時間おきに三話連続投稿します(3)




 1580年10月1日 近江国安土城奥屋敷-


 前日に諸将を集めた大規模な軍議が行われ、その結果を説明しに蘭丸殿が俺の下を訪れていた。

 蘭丸殿は俺の点てた茶を半分ほど飲んで顔をしかめると一瞬だけ俺に視線を向けて残りの半分を一気に煽った。


「…蘭丸殿には少々苦すぎましたか?」


「まだ馴染めぬだけです。大殿も馴染めば味わい深くなる、と申されておりました。」


 俺が意地悪く尋ねると拗ねた口をして蘭丸殿が返答する。ふふふ、これは通常の三倍の苦みを効かせてあるのだ。貴様には永遠に馴染めぬ味よ、と俺はほくそ笑んでいた。


「して…昨日の軍議は如何でしたか?」


「はい、主題は“土居伊予守”殿の件に御座います。」


「えと…信長様の直臣として取り立てるのなら降伏すると息子を差し出して来たという…。」


 “土居伊予守”とは元一条家臣で伊予大森城主として長曾我部家と敵対していたが、主家降伏に際して一旦は長曾我部家に臣従。主家追放には付いていかず伊予に留まったが、先の毛利討伐戦を前にして郎党を引き連れて離反し、一条家残党の一角として長曾我部家と戦っていた。河野家からの支援で久米郡に所領を与えられ再び長曾我部家と対峙している敵方の武将のことである。

 長曾我部軍の四国統一を邪魔する相手ではあるが、人物としての評価は高く、猛将であり、知将としても申し分ない力を発揮していた。畿内にも土居伊予守の噂は届いており、信長様も気にしていたご様子で土居からの使者を引き留め家臣に預からせていた。

 事実上の人質である。これでは正式な文書はないが、土居伊予守を直臣として扱う意思を示したとも捉えられ、長曾我部元親としては敵方が織田家に使者を立てている状況で手出しができぬと停戦を命じるしかなく、戦線は完全に停滞していた。


「大殿の指示を仰ぎに安土に戻られた弥三郎(長曾我部信親のこと)様も大殿様に留め置かれてしまい、長曾我部様としては身動きができず、不審、不満を募らせてしまいます。」


 確かに。信長様としては長曾我部様に配慮が必要…だが、この間も公家衆に配慮したばかり。これでは信長様の権威が……。


「そこで、蒲生左兵衛大夫様が原田備中守様と四国へ渡られることとなりました。」


 蒲生様クラスの重臣が赴けば長曾我部様も面子が保たれるであろう。…しかし蒲生様は近江衆を束ねる要だ。蒲生様が近江を離れるのはリスクが高まるのではないか?


「しかし、近江が手薄になる懸念がある故、羽柴…様が近江に戻られることになりました。」


 蘭丸殿の口ぶりからして、羽柴様は好きではないようだ。だが羽柴様は清水宗治を包囲中で兵力には余力を持っている。一部を近江に戻すこともできるであろうし、明智様と距離を取ることもできる。いい案ではなかろうか。元々俺も羽柴様は一度毛利戦線から離すべきと考えていたからな。


「しかしながら…大殿は土居伊予守という男をどうされるおつもりでしょうか。」


 蘭丸殿の素朴な疑問。…蘭丸よそのくらい想像がつかなければ信長様の側近にはなれぬぞ。


「おそらく…長曾我部様と競わせようと思っておられるのやも。」


 蘭丸殿は俺の言葉を聞いて頭を回転させる。


「し、しかしそれでは長曾我部様の面目は丸つぶれに御座いますぞ!」


「大殿様は測られておるのでしょうな。…長曾我部様が四国を任せるに足る者なのかを。」


 俺は声を低くして呟く。蘭丸殿にはわからぬであろうが、長曾我部家もまた“本能寺の変”に関わっていた可能性のある家なのだ。低いとはいえないわけではなく、この時期に信長様と揉めるのはぜひとも避けたい。


「蘭丸殿…弥三郎様と話がしたい、と言えば可能であろうか?」


 蘭丸殿は両手を膝の上にのせて考えていたが首を振った。


「大殿のご許可も必要でしょうし、ご許可も頂けないと思います。また弥三郎様はここに足を踏み入れることはできませぬ。」


 だよなぁ…。忠三郎と弥三郎様は小姓として比較されているらしいが、根本的に役割が違う。「忠」は身辺警護と要人との密談をこなすのに対し、「弥」は単なる取次役。内外問わず信長様に謁見、面会を求める方々の交通整理が主業務で、それなりに顔も利く。だが弥三郎様に重要事項を任せることはない。ましてや勝手に超機密扱いの俺と逢引きなんて…許されないよなぁ。


「それから関東への調略が本格的に始まります。主担当は滝川様と竹中様で、竹中様は暫く上野に向かわれます。京の警備は引き続き村井様と服部殿で行われますが、十分注意せよと大殿よりお達し受けております。」


 そうか。ようやく北條崩し(俺が勝手にそう呼んでいる)の準備にかかるか。後は…


「蘭丸殿、駿河の件については何か申されていたか?」


「…駿河の件は軍議の後の密談になります。」


 蘭丸は声のトーンを一つ落として答えた。俺も周囲を確認し小声で密談の内容について聞き入った。




 1580年9月30日 近江国安土城本丸御殿奥座敷-


 普段は使われていない部屋に重臣達が集まる。蒲生賢秀を筆頭に、村井信正、堀秀政、池田恒興、蒲生氏郷、竹中重治の面々である。一同が空いた上座を見つつ黙したまま待っていると、静かに障子が開き主、織田信長が入ってきた。小姓の森蘭丸が続いては入り障子が閉められる。


「始めようか。」


 信長が上座に座ると同時に声をかけた。まず、賢秀が口を開く。


「近江の各街道の警護ですが…。」


 賢秀の議題は自身が四国に向かうことによる近江警備の諸般をどうするかについてであった。


「忠三郎にさせよ。」


 信長は一言で終わらせる。父の仕事を子が受け継ぐ。当たり前のことであるが、この場合、忠三郎こと氏郷は父の仕事に関わって来なかったゆえ、勝手など分からず、無意味に背筋を伸ばして返事した。


「はは!」


 その様子に信長は笑みを浮かべ、賢秀は眉を顰める。だが賢秀はそれ以上意見は言わず議題は次に移った。


「では、某が上野に行くにあたり、京と警備の見直しを…。」


 発言者は竹中半兵衛重治。これまで服部正成を使った伊賀衆による京都警護を誰にやらせるかであった。信長は顎に手を当て考えた。適任者は一人浮かんでいる。だがその者は名目上は金ヶ崎で幽閉になっている。後任者については半兵衛も同じ人物が浮かび上がっているようでどうすべきか思案に入っていた。長考に入りかけたところで池田恒興が体を信長に向けて一礼した。


「儂が預かっている“鬼面九郎”の家臣にやらせては如何か?」


 信長は唸った。“鬼面九郎”の家臣についてはよく知らぬ。任せて良いものか判断に苦しむ。


「大殿様、儂が預かる芝山孫十郎を付けては如何でござろうか。」


 孫十郎は津島の氷室秀重の子で、池田吉十郎の家宰を務めている者でその能力も信長は知っていた。


「儂は孫十郎はお主の下に付け四国を見させようと思っていたが…」


「四国へは同じ吉十郎殿の元家臣、多賀貞持なる者を連れて行きます。そ奴は伊勢家に奉公していた経歴を持ち、伊勢家の伝手で四国にも人脈を持っているそうです。」


 賢秀の返事に信長は大きく頷いた。


「よし、勝三郎、半兵衛引継ぎを進めよ。左兵衛大夫は孫十郎を引き渡せ!」


 三者が三様に返事する。


「では駿河の事につきまして…。」


 次に発言したのは堀秀政だった。遠江の半国を与えられ対今川の先方に充てられていたが、思わぬ出来事により、対徳川要員に割り当てられており、目立った活動ができなくなったいた。だが織田家重臣は徳川家については最も関心が高い。秀政の発言に皆が聞き耳をたてた。


「家康の活動資金を追いかけるため、駿河の商家を調査しておりましたが、思いもかけぬ人物に突き当たりました。」


 そう言って秀政は指を二本立てて見せた。そのうちの一本を折り名を上げる。ざわつき目を見張る一同。更にもう一本を折って二人目の名をあげる。先ほど以上のどよめき。そして信長に怒りの表情が見え始めた。


「久太郎!詳しく説明せよ!」


 信長の荒々しい言葉が飛び、秀政は委縮しつつも話を続けた。

 駿河の豪商である友野氏の動きを監視していたが、友野配下の服部何某という男が二人に接触したこと。二人とも追い返していること。その後にそれぞれで事件が起きていることを順序だてて説明すると、皆が唸ってしまった。


 それぞれで起きた事件とは、京で公家衆の取り調べで出て来た“埃”の件と、三河岡崎の吉備丸の誘拐未遂事件のことである。


 公家衆の“埃”については、服部正成、伊勢貞為が調査した結果が平岩親吉のばらまいた情報が起点であったことを説明した。そして松平信益の嫡子、吉備丸については、実行犯たる女中が自死したことにより、誰の仕業なのかわかっていない。だが犯人候補には岡崎松平の筆頭家老石川数正が入っている。これら二つの事件は堀秀政以外から報告され、これに秀政の調査に結びついてしまったことが偶然とは考えにくかった。


「今は二人と家康を繋げる何かを得ようと遠江の商人衆は張り付かせています。」


 秀政が言葉を締めくくると信長は頷いた。二人はこのまま泳がせておくとして、他の元徳川家臣は疑う必要はないだろうかという疑問が出てくる。


「そう言えば、九郎の家臣にも徳川の旧臣がいたな。」


 池田恒興がぽつりと呟くと、秀政がこれに続く。


「前田殿の配下にも、長野殿の配下にもおりまする。徳川旧臣ということで疑い始めてはキリがありませぬ。とにかく調べてみないことには…。」


 恒興は腕を組んで考え込み、秀政は押し黙った。信長は信忠に命じて武力で駿河を制圧することも考えた。しかしその選択肢をすぐに捨てて首を振った。戦略上信忠にこれ以上の武力行使はさせたくない。そして今は毛利家が最優先であり、東への軍事行動は北條の動きを封じてからと考えていたからだ。だからと言って今川に対して何もしないのも愚策。


「……この件は後にする。」


 信長はそれだけ言うと次の議題を促した。蒲生賢秀がその様子に眉間に皺を寄せた。賢秀の視線に気づいた信長は不貞腐れたように視線を外した。



 夜も更けていく。



 だが誰も立ち上がることはなく、ひたすらに会話を続ける一同。やがて議題もなくなり、会議が終了する。


「さて…。」


 膝に手を当てつつ立ち上がった信長に蒲生賢秀が声を掛けた。


「どちらへ?」


「…。」


「先ほどの件で吉十郎殿に話を聞こうとは思うておられますまいな?」


「誰に何を聞こうが儂の勝手であろう。」


 信長は冷たく言い返した。だが、この会話に意外な人物が食いつく。


「吉十郎がここに居るのですか!」


 勢いよく立ち上がったのは竹中重治であった。暫く在京していた彼には吉十郎が二の丸の離れに移ったことを知らなかった為驚いた。慌てて平伏し同行を願った。賢秀は更に鋭く白い視線を向ける。


「大勢で行けば他の者に怪しまれます。それでなくとも先日の大殿の御所業は御台様の機転で大事にならずに済んだのですぞ。」


 信長は先日小姓を数人引き連れて吉十郎を訪ねた。当主が人数を引き連れ歩き回れば下々の者共も何があったと噂する。先日は正室に会いに行ったという体になったので変な噂は立たなかったが、何度も信長自ら二の丸手前の屋敷に足を運んでいては怪しまれる。


「儂に指図するのか!」


 怒りを露にする信長だが、流石は家臣筆頭、賢秀は怯まなかった。


「先日も御台様に散々説教されたのをお忘れで御座いますか!」


 信長は怒りに任せて賢秀に殴りかかろうとしたが蘭丸が信長の体にしがみ付いた。


 もう収拾がつかない状態だった。







「……で、私めが此処に来たというわけで御座います。」


 昨日の会議の出来事を事細かに説明して一息ついた。俺の出した苦い茶は飲み干しており、今は白湯を飲んでいる。


「皆、吉十郎様がお好きなようで、話会うた結果、この場所を行き来するのに怪しまれぬものとして私が…。」


「大殿様は此処に私を置けば何時でも会いに行けると思うていたのでしょうな。確かにそうだが、「お盛んなこと」とか「今宵の相手は誰ぞ」とか「天下布武をないがしろに嘆かわし」だどの噂を立たれると皆が困るのであろうな。」


「おっしゃる通りで。」


 蘭丸は一礼した。俺は紙と筆を取りだし無言で書き始めた。信長様からのQには納得しうるAを返さねばならない。


 旧徳川家臣については、平岩親吉はクロと判断できるがその他はグレーだ。よって現時点で親吉一人を拘束しても益はなく、全員を泳がしておくのが妥当。本多弥八郎が家康とまだ繋がっているとは考えにくいが、信用と信頼は別物…俺から接触することは避けた方がいい。

 駿河については友野氏に対して締め付けを行うことで銭の流れを止めてやれば時間を稼げるはずだ。その間に北條領周辺を織田領に塗り替えるべく関東諸侯の調略を進めればよい。



 ……いや、先に家康と決着をつけるべきか。



 俺は必要なことを書に認め、蘭丸殿に内容を確認してもらったうえで言伝を頼んだ。


「明智様と羽柴様にお気をつけ下され。此度の異動に際してお二人とも無言であることが気になります。…これは必ず大殿様だけにお伝えくだされ。」



 俺の真剣な眼差しに蘭丸殿はごくりと生唾を飲み込んでいた。




吉備丸:本物語では松平信益と五徳の長子という設定です。史実では二人に子はできておりません。


友野氏:駿府に居を構え諸国と商いを行っていた商人で、史実では今川氏、武田氏、徳川氏と駿河を領する大名の御用商人として活躍しました。


服部何某:元々は尾張国海西郡を拠点とした土豪衆で伊勢湾の水運を利用して商いにも手を出していた。桶狭間では今川方に付きその後は尾張を追われて友野氏を頼り、家臣化しているという設定です。史実では尾張を追われた後は野党と化しています。



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