9.昌幸の戦慄
読者の皆様、おそくなりまして大変申し訳ございません。
一時間おきに三話連続投稿します(1)
1580年7月11日 近江国摠見寺-
俺にとっては珍しいお方がやって来られた。
忠三郎の父、伊賀を治める蒲生賢秀様である。蒲生様との接点は裏年賀の儀くらいしかない。そんなお方が会いに来られたもんだから俺は体を固くして応対した。
「そう強張らんでも良い。忠三郎や竹中殿と同じく世間話に来たと思ってくれ。」
年老い白髪の増えた蒲生様はそう言って優しく言葉をかけてくれた。
「帯刀様に渡された写経本を見させてもろうた。…中々面白き内容で御座った。」
…ほらきた。写経本とは以前に帯刀様にお渡しした織田家が弱体化する可能性をまとめた書物である。蒲生様はその中身について俺に聞きたくてここを訪れたんだろう。
「ついてはその中身について詳しく聞きたい。」
「お応えできることならば…。」
そう言って俺は頭を下げる。下げるしかない。
「お主は近い将来、家臣の誰かが大殿に反旗を翻すとみているのではないか?」
いきなりの直球質問。あの書物は信長と信忠を同日に討つことで簡単に政権崩壊を招くと記し、その方法も何通りか書いた。
「ここは公の場ではない。遠慮なく聞かせてほしい。」
蒲生様が笑顔で座ったまま俺に近づいた。正直怖い。
「恐れながら…あの書は過去に起きた出来事を元に織田家が天下に号令を掛ける者として繁栄するにはどうしたらいいかをまとめたものに御座います。特定の誰の謀反を想定して書いたものでは御座りませぬ。」
「では質問を変えよう。今謀反を起こすことが可能な者は誰だ?」
…全然質問変えてないじゃん。ちょ…それ以上にじり寄らないで!
「当然、大殿の側近であらせられる丹羽様、蒲生様に御座います。お二方が近江への入り口を守られる要でありこの兵が敵へと転じればあっという間に安土を襲われてしまいます。」
「…確かにそのような記述もあったが…お主が最も危惧しておるのは、大殿若殿が揃って上洛或いは下向した時と書いてあった気がしたが?」
くっそ!しっかりと読んでるじゃねーか。
「上洛、下向時にはしっかりと護衛を付ければ回避ができまする。ですが、安土へ突然転進されるようなことが起きれば、各国に散らばる諸将は対応できませぬ。」
「ふむ。その道理は尤もじゃが…それではあの書物の内容と矛盾しておる。お主が最も危惧しておるのは大殿が安土を離れているときじゃ。……どう思うておる?」
引き下がる気全然なしだよね?俺があの書物で言いたかったのは「誰が」ではなく「どうやって」なの!
「恐れながら…大殿が平らげ、勘九郎様が治めんとする今の世は、主を飲み込み、より力を得んと戦を仕掛けるのが常に御座います。畿内を安定に導き、北條上杉を屈服せしめ、毛利を滅ぼさんと突き進む織田家に独力で歯向かう者はおりませぬ。ですが、当主の突然の死は家内の弱体化を招くのです。畿内を平定し京を安定させたとしても手放しで往来できるものでは御座いませぬ。常に危機感を持って頂きたいと思うて書いたのです。」
最後は声を荒げてしまったが伝わったであろうか。蒲生様は腕を組んで考え込まれた。
「お主の言うことは尤も。…だが怪しき人物など無しにあの内容は書けぬ…というのが皆の総意だ。」
皆?……ということは蒲生様が代表で聞きに来られた?
俺がよくわからない顔をしていると蒲生様が更ににじり寄ってきた。
「筑前守と日向守の様子がおかしい。単に功を競い合っているとは思えぬ。筑前は何かと理由をつけて毛利への侵攻を遅らせるし、日向が猪突するようになった。」
そちらでも目星がついてるじゃん。そうだよ、最も危険視するべきはこのお二人なのだ。前世の記憶においてもそうだし、今の世においてもだ。まるで信長様の後継者を狙っているかのように。
「…お二人が大殿の命を狙っているという何か証拠がありましたでしょうか?」
俺の質問に蒲生様は首を振った。やはりない。
「公家衆に怪しげな動きは?」
「服部半蔵という伊賀者と伊勢殿に探らせているが別の埃しか出てこぬ。」
「別の埃?」
「島津、大友、毛利、北條、最上、伊達、南部…各国の諸将に通じて金品を得ているとか、内裏に勤める女官との密通とか…あの二人に繋がる内容の埃が見つからないのじゃ。」
この時代遠方の有力大名は公家や商人の伝手を使って中央との結びつきを持っていた。織田家に庇護されながらも他の大名と文のやり取りは日常で内容によっては織田家は関与することはない。
だが俺の出した文書により村井様を筆頭に奉行衆がピリピリして公家共の交流に干渉しており、その結果織田家にとってはどうでもいい埃が立ってしまうありさまとなっていたそうだ。
俺は肩を落とす。気にするべき事項とやった結果がかみ合わず、かえって公家衆から苦情を受ける結果となり、どうしたものかと書いた本人に聞きに来た次第と言われたからだ。
「恐れながら……失策に御座います。」
俺ははっきりと言った。
「これからは朝廷をうまく御して天下統一後の見込みも立てねばならぬ時期です。ここで公家衆を締め付け不満を募らせれば諸侯を迎合させる機会を作るようなもの。毛利家と対峙し、北條の弱体化を目論む我らに迎合された諸侯を相手にするには戦力不足では御座いませぬか?」
蒲生様が肩を落とす。…まあ俺が引き金を引いてしまったのは仕方がない。だが、村井様も蒲生様も公家の扱いには慣れているはず。何故?と思う。
「今は公家との関係修復を図るべきです。その為に明智様、細川様に京にお戻り頂き公家衆の相手をさせるのがよいでしょう。」
俺はいやいやながらも提案した。この案は明智様を京に留めさせることになる。だが、淡休斎様が甲斐から動けぬ以上、そうせざるを得ないのだ。蒲生様もそれは理解されているようでしぶしぶといった表情で「そうか」と言われた。
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1580年7月末日、明智光秀の主宰で大規模な歌会が行われた。信長の出席はなかったが、信忠と有力家臣が出席し、公家衆と詠み合わせなどを行った。二条の屋敷を会場に華やかな催しが行われ大盛況に終わった。
この催しのために織田家は銭をばら撒いて公家衆のご機嫌取りを行ったことは屈辱的ながらも事実である。
だが、ここに至るまでの発端は私の書いた書物ではなく、新たに村井貞勝の配下となった平岩親吉という人物であったことは後々に知ることとなる。
平岩親吉…三河出身で幼少時代は家康と共に駿府で過ごした徳川家の忠臣である。
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1580年8月9日 美濃国岐阜城-
謁見の間である男が織田信忠に拝謁していた。男の名は真田昌幸。武田家降伏後一旦は独立していたが小県と沼田の国人衆をまとめ上げて織田家に臣従した男である。本来ならば上野を調略している森長可の右腕として働いているはずだが、許可を得て信忠に謁見していた。因みに次男源次郎信繁は安土で信長の小姓を務めている。
昌幸は後ろに控える小姓を紹介した。
「この者は名を“六郎”と言い海野一族に連なる者です。」
小姓が大げさに平伏した。
「六郎の話では、使いを頼まれ儂の下に参った後、小県に戻ると主含めて一族が行方を晦ましていたそうで残っていたのは海野に仕える下男下女ばかりでどうして良いものかわからず、儂を訪ねてきました。」
信忠は体を前に乗り出した。
「ほう。して海野とやらは何処へ行ったのだ?」
「は…六郎の話を聞いて方々に使いを出したのですが、穴山殿への使いだけが追い返されておりまして…。」
「勿体ぶった言い方はよい。結論を申せ。」
「ご無礼を。海野一族は穴山信君の甘言に乗り、相模へと向かいました。」
「…確かか?」
「穴山信君の使者と思しき輩が相模方面に向かうのを何度も見ております。」
「弱いな。」
「我らでは敵国である相模に入ることはできませぬ。相模に伝手のある商人も居らず、森殿にお話しして織田様のお力を借りたく罷り越して御座います。」
昌幸が再び平伏する。六郎もそれに倣う。話を聞いているのは信忠の他に塩川長満、平手汎秀、前田玄以、斎藤利治、仁科盛信である。一同は真田昌幸の報告に目を見合わせていた。
「やはり海野一族は穴山信君が手引きして連れて行ったか。」
「奴の後ろには家康がいるはずだ。次の手を打ってくるぞ。」
「しぶとい奴だ。どこにそんな資金があるというのだろう?」
「資金源は今川家、そして縁戚でもある北條だ。証拠などないがな。」
様々な意見が飛び交い信忠はそれに頷く。そしてふと部屋の隅に座る老人に声を掛けた。
「榮樂殿。お主はどう思う?」
昌幸ははっとして後ろを振り向く。今までそこに老人がいるとは気づかなかったことに驚いていた。老人はゆっくりと体を信忠のほうに向けて一礼した。
「されば……駿河には“服部”という商家が御座います。元は尾張三河で舟業を営んでおりましたが、桶狭間での戦以降拠点を駿河に移し今川家に取り入って甲斐相模にも手を伸ばす大商家に成長しております。…この者、織田家に故郷を追われた恨みが御座いますれば…」
昌幸は戦慄する。この榮樂という老僧は情報に精通している。しかもその量と範囲は自分を大きく凌駕している。各国の事情に詳しいのであれば、ある程度名が知られていてもおかしくはないのだが…。
「更には、紀伊で“本多平八郎”なる武者が根来の世話になっているようです。」
「本多…?家康の家臣だった者か?」
「はい。恐らくは徳川殿の所在をかく乱することを目的としているようですが…。」
「ではお主は家康と根来は繋がりがないと見ているか?」
「断言はできませぬが…。しかし、紀伊に兵を送り込めば、本多を伝手に根来と徳川殿が繋がる可能性が高う御座います。」
老僧の言葉に信忠が頷く。
「いずれにせよ、紀伊には三好、滝川の軍が攻める手筈になっておる。榮樂殿、その本多という者の動向を見張ることは可能か?」
「幾らか先立つものが必要に御座いますが…何とかやってみましょう。」
そう言って老僧は頭を下げた。
真田昌幸は安堵した。早めに沼田衆を纏めて臣従できたことに。織田家は信長が危険視されることが多いが、昌幸の目には信忠のほうが恐ろしいと感じていた。
信忠の周囲には人材が多い。それは毛利良勝、服部一忠、団忠正といった武功の者ではなく、前田利久、河尻秀隆、森長可、斎藤利治といった大軍を率いる能力を有する武将が多いこと。塩川長満、林一吉、平手汎秀、増田長盛、酒井忠尚といった内務に長けた人材が揃っていること。天台法主に大喝を浴びせたという前田玄以をはじめとする寺社衆が助力していること。何より、この広間を警護する小姓衆はなんだ?まだ幼さが残る者の手練れを思わせるほどの殺気…。
やがて信忠の下を辞し、殺気を放つ若い小姓に連れられ六郎と御殿を後にする。振り返って頭を下げている若い小姓に声を掛けた。
「失礼、お主の名を聞いても良いか?」
小姓は表情を変えずに答えた。
「…柳生五郎右衛門宗章と申す。」
昌幸は僅かに表情を変え直ぐに元に戻して礼をした。
「失礼いたした。貴殿の名確かに覚えました。…これからも良しなに。」
そう言うと、踵を返し岐阜城を後にした。
柳生……。確かあの男も柳生と名乗っておったな。これは変な疑いをかけられる前に喋っておいたほうが良いな。国に戻って河尻殿に報告するか。
頭の中で考え事を纏めると昌幸は上野へと帰路を急いだ。
蒲生賢秀:近江六角家の家臣であったが、織田家に臣従し堅実な政務を信頼され重臣となります。史実では本能寺の変ののちに病死します。
平岩親吉:徳川家康の家臣で駿府の人質時代から一緒に過ごした“友”とも呼べる間柄の武将です。本物語では西三河衆として石川数正とともに活動しておりましたが、西三河を出奔し、信長の許しを得て村井貞勝に仕官しておりました。
真田昌幸:史実では豊臣家から「表裏比興の者」と言われた戦国期の武将としてくわせものの代表格になります。本物語では自身の地位確立のため、武田家臣として服属せず、一旦上野で独立した後に臣従しています。
六郎:架空の人物です。モチーフは“海野六郎”です。
本多忠勝:徳川家康に過ぎたる者と称された武将と言われております。本物語では家康の命を受けて紀伊に潜伏しておりましたが、榮樂に見つかっております。
柳生宗章:柳生宗厳の四男。新次郎厳勝の弟です。先年の大和仕置きでの生き残りで主人公と孫十郎によって教育を受けた若人衆の一人です。




