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10.木下藤吉郎という男



 ~~~~~~~~~~~~~~


 1562年 元日


 いつもの通り、清州で年賀の挨拶が執り行われた。林佐渡守様の挨拶で始まり、物静かな宴会が行われる。


 私は暫く年賀の儀には出席できない身分であったため、後になって奇妙丸様に話を聞いただけだったが、今年から、家臣の末席に丹羽様、生駒様、塙様が加わられた。逆に犬山織田家の席は無くなった。


 そして今年からは、信長様の妹君、お市様が上座の席に加わられた。御年15歳。妖艶さの漂う御台様よりも、美しく、また男心を擽る可愛らしさを備えた御方であった。御台様は列席した家臣のざわつく様を見て、大いに不機嫌であったと聞く。


 私は、御台様派であったので、お市様をお見かけしても、何も揺さぶられるモノはなかったのだが…。


 ~~~~~~~~~~~~~~




 一昨年は、親族扱い。


 昨年は、小姓衆として警護。


 今年は、台所で酒瓶に酒を入れる係。


 …年賀の挨拶は年々身分が下がっている。来年辺りは出席者の草履を温める係かも、とひとり呟いてくっくっくっと笑っていると、舞さんに見られてしまっていた。


「無吉、何を想像して笑ってるのか知らないけど、仕事をしてくださいよ。」


 小声で注意され「あい」と返事をして、俺は濁り酒を酒瓶に移す作業を繰り返した。



 宴席が終われば、二次会の始まり。


 信長様は古渡様を連れて女房衆の館に移動された。俺も舞さんと移動する。この日だけは、俺も部屋まで通され、奇妙丸様、吉乃様とお話ができるのだ。


「無吉殿、暫くぶりに御座る。」


 声のかけられた方を見ると、黒い袴を着た男の子が座って俺に頭を下げられていた。


帯刀(たちわき)様、私如きに挨拶は無用で御座います。お顔をお上げください。」


 俺は慌てて返事をした。何でも古渡様が「無吉の小僧には礼を尽くすべし」と帯刀様に教えておられたらしく、それを聞いた信長様は「確かに」と言って笑われた。…勘弁してほしい。


 直子様の御子は、今年より名を帯刀(たちわき)と改められた。東宮を護衛する官吏の名だが、ご本人が何故か気に入り、自分の名にされたそうだ。奇妙丸様がそれを羨ましがり、「奇妙も名を改めまする」と信長様に言うと、怒られていた。茶筅丸様は俺がこの場にいることが気に入らないらしく、何かに付けて突っかかって来ていたが、その度に奇妙丸様に怒られ、仕舞には吉乃様に泣きついていた。勘八様は内気な坂の方の為にせっせとお菓子を取って来て渡している。お市様はようやく乳離れをされた徳姫様と手遊びをされていた。


 賑やかになった。


 俺は例え一年に一度だけであっても、この日が毎年あれば生きて行けるとも感じていた。


 夜が更けると、子供たちは寝床に向かっていく。信長様は昨年同様古渡様を連れ、御御台様の部屋に向かわれた。俺は舞さんと部屋の片付けを行っていたが、御台様に声を掛けられた。


「無吉、今宵は貴方も妾の部屋に来なさい。」


 とうとう、裏ボス様に呼ばれてしまった。お片付けを舞さんにお願いし、俺は御台様に手を引かれ、館の一番奥の間に初めて入った。


「おお、無吉を連れて来たのか。」


 信長様がご機嫌な声で言うと、「必要かと思いまして」と御台様は答えられ、無駄のない仕草で信長様の前に座られた。俺はどうしていいのかわからずオロオロしていると「小僧、お前もここに座れ」と、古渡様が自分の横を指で示され、俺は恐る恐るそこに座った。…必要(・・)てどういうことだ?



 ま、まさか、衆道ちっくなこと?


 俺は、此処に呼ばれた意味を量りかねてじっと信長様を見据えていた。


「…何を緊張した顔をしておる?」


 信長様が酒を煽りながら俺に質問された。


「い、いえ、何用で呼ばれたのかと…。」


「ふふふ、無吉でも意図のわからぬことがあるようですね。…ここでは、一年の計を三郎五郎義兄様と話し会うています。今年は貴方の知恵も拝借しようかと思いましてね。」


 小袖を口元に当てて笑いながら御台様が答えられた。安堵はしたが、それはそれで緊張する。織田家の一年の方針に俺ごときが口出しして良いのだろうか。


沓掛(くつかけ)から書状が届いている。松平は濃の言う通り、俺との不戦の約定を取り付けたいそうだ。」


 俺の緊張とは無関係に信長様は話を始められた。


「水野殿に間を取り持ってもらおう。確か娘が松平の先代の正室であったはずだ。」


 古渡様もここでは、ため口なんだ。


「では、お前が取り仕切れ。」


「いや、俺は滝川殿と佐治殿を引き連れ伊勢にちょっかいを掛けたいと思うのだが…。」


 古渡様の提案に信長様は思案されていた。


「熱田の岡本良勝殿を使うて、北伊勢に揺さぶりを掛けては如何ですか?」


 そこへ御台様が別の提案をされた。意外と良い案だったようで、古渡様も肯かれた。


「無吉、お前に問題だ。犬山はどうすべきだ?」


 話題は急に変わり、しかも俺に振られてきた。しかし俺の答えは昨年から決まっていた。


「今は放っておくべきです。」


「…何故だ?」


 信長様の表情が変わり、声のトーンが低くなった。俺はこれを“魔王モード”と呼ぶことにした。


「犬山も、周辺支城も城自体が堅牢です。無暗に城攻めするよりも、周囲に懐柔し、孤立させ、士気を削ぐほうが効率的です。」


 信長様の目が光った……気がした。


「先に美濃を攻略しろと?」


「あい。洲股を手に入れたことで、一色家と西美濃衆との間に大きな楔を打ち込んだことになります。西美濃の連中は道三様を慕う者が多いと聞きます。個別に西美濃に調略を掛け、稲葉山城を西から攻略できるように進められては如何でしょうか。」


 話し終えると、三者がじっと俺を見ていた。特に御台様が俺を推し量るかのようにじっと見ていた。


「濃、堀田道空と、川並衆に書状を書け。」


 信長様の声に御台様は俺から視線を外して一礼された。


 その後、内務の方針を決め、外交は近江を重点に進めることを確認して話が終了した。古渡様と俺は部屋を辞して屋敷を出ると帯刀様が立っていた。


「遅くまでご苦労様です。」


「うむ。…小僧、今宵はどうするのだ?」


 俺は、懐から菓子を取り出し、生駒の姫様と約束があることを告げると、残念そうな表情で、帯刀様と屋敷に戻られた。

 どうも、俺は古渡様からも期待されているようで、隙あらば絶対俺と何か語り合いたかったみたいだ。


 俺、暗躍しすぎてるかな?何か歴史を大きく変えてしまうかも。それはそれでいいかもしれないが。



 生駒屋敷に戻ると、姫様が寝ずに俺のコトを待っていてくれた。女房衆の館で貰ったお菓子を姫様に渡してご機嫌を取り、俺の今年の元日が終了した。





 二月に入ると生駒家は忙しくなった。

 西三河に商圏を持つ生駒家は、信長様の命で岡崎城に居を構える松平家の動向を調べており、俺も生駒の商団に加わって西三河を歩き回ることになった。


 季節は冬。


 まだ身体が出来上がっていない俺にはかなり厳しい仕事であったが、気合でなんとか病にかからずに過ごしていた。共に旅をする方々からは、酷い扱いは受けることは無いが、特別扱いを受けられるわけでもなく、日々淡々と情報収集に勤しんでいた。


 ある時、商人の1人が三河の重要人物への接触に成功した。西三河ではかなり顔の利く人物で、石川家成(いえなり)様。三河国内の今川派の国人と争っている最中で、常に物資が不足しており、尾張の商人であることを告げると割と簡単に接触できたそうだ。

 話によると、三河はいくつもの松平家が主家の座を争っており、これに周辺の豪族や、今川派の国人、寺領回復を狙う坊主共が加わり混戦模様を呈している状況であった。


 史実では、織田家と盟約を結んだ岡崎松平(後の徳川家康)が三河一向一揆を経て三河の統一を果たしている。俺は直接家成様にはお会いしなかったが、尾張との同盟を匂わせる会話ができたようで、且つかなり三河の情勢についても話を聞くことができ、俺達はその情報を報告すべく、尾張に戻ることとなった。


 その道中で、思いがけない人物に出会った。


「もし…生駒様の商団ではございますか?」


 声を掛けられ振り向くと、人懐っこい顔つきの背の低い男が立っていた。


「私は、浅井新八郎様の小者で、木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)と言います。そこの小僧を清州で見かけたことがありましたので、お声をかけさせて頂きました。」


 全員が俺を見る。…これは厄介者扱いをする目だ。素性が簡単にばれるような人間は諜報には向いていない。俺は清州では有名だったようで、これで今後諜報活動には従事できないことが確定だな。…それにしても大物に出会ってしまった。いやこの頃はまだ名も知られていないのか。


「これも何かの縁で御座います。清州に戻られるのであれば、私もご同行させて下さい。」


 調子のいい口調で、あれこれと話を続け結局生駒の商団と一緒に旅をすることになったようだ。俺は木下様のお蔭で、顔を隠して歩くよう言われ、沓掛城に入っても、宿から一歩も出してもらえなくなってしまったのだが。

 なんとか清州に戻ってきた一行だが、街に入るなり木下様が同行させて頂いたお礼と称して、茶屋に招待された。俺は顔見知りが多いことを理由に先に生駒屋敷に戻るよう命じられ、しぶしぶ一人で家路に着いた。


 翌日家長様から、謹慎を言い渡された。部屋に篭もり写経を命じられた。

 どうやら、俺が顔バレしたことを悪いように告げ口した者がいるようだった。

 翌月の登城まで、俺は写経と姫様の遊び相手で過ごす羽目になった。



 登城の日、生駒家長様に連れられて女房衆の館に向かったが、館の表門で一人の男が土下座をして待っていた。


「何者か?」


 家長様が不審なこの男に声をかけると男は顔を伏せたまま答えた。


「お初にお目に掛かります!苅安賀(かりやすか)城主、浅井政貞(あざいまささだ)が家臣、木下藤吉郎と申します!無吉殿にお詫びをしたく…ここでお待ちしておりました!」


 家長様は俺を見た。俺は首を傾げたる素振りを見せた。


「無吉は、お主のことなど知らぬようだが?」


 男ががばっと顔を上げた。


「む!無吉殿!」


「私はこのひと月外出を禁じられておりました。木下様とお会いする機会など御座いませぬ。」


「いえ!そのひと月外出を禁じられた原因を私めが作り申しました!其のお詫びを…」


 そこまで言うと、家長様が手をかざし木下様の話を遮られた。


「お主が、三河で我らに気付いた小者か…。中々の観察眼と言いたいところだが、あれで我らは暫く三河に近付くことを控えることになったのだ。」


 家長様が怒気を纏わせている。その様子を見て木下様は慌ててまた頭を下げた。頭を地面にガンガンとぶつけて必死に謝って来た。



 うざい人だ、このお方は。



 それから、館に入ろうとする俺達を無理矢理止めて頭を下げ無視しようとする家長様の足にしがみ付き、大騒ぎした。そして騒ぎを聞きつけた館の者が、中で俺が来るのを待っていた殿様に報告したようで…


「何を遊んでいる!無吉!」


 と、信長様が表に出て来られた。


 信長様のお姿を見かけた木下様はマッハのスピードで地面に頭をこすり付けた。信長様は門の前で土下座をする小男に近寄り、無理やり顔を上げさせた。


「ひっ!!」


「…なんだぁ?貴様?」


 木下様からすれば、突然尾張のお殿様に首を掴まれたんだ。びびって当然だろう。


「…殿様、その者は浅井様のご家来だそうです。先日三河で我ら生駒衆に話しかけ、正体を周囲に気付かれそうになってしまったことを詫びに来られたようです。」


 俺の説明を聞いて、信長様はもう一度木下様を睨み付けた。


「ほお…此奴、三河に行っておったのか?何をしていた?」


 何か思い当たる節があるようで、顔がニヤついている。


「へ、へい!私は遠江に伝手が、ご、御座いましてあのその!」




 どうやら、浅井様から遠江の情勢について報告を受けていたようで、その情報源がこの男であることに気付いたようだった。


「家長、こ奴は新八の有能な物見の男じゃ、儂が新八に言うておくから許してやれ。」


 家長様が承知されると、信長様は木下様を解放した。木下様は三人に三様の礼をして慌てて街中に走って行った。


「ふん…猿によう似た顔つきじゃな。逃げる姿も猿の様じゃ。わぁあっはっはっはっは!」



 これを機に木下藤吉郎さまは信長様から「サル」と呼ばれるようになった。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 木下藤吉郎と言う男は、常に計算高い男であったと回顧する。

 あの時も、信長様が館におられることを知っていてワザと大騒ぎして信長様に近付かれたのだと思う。


 それからしばらくして、木下藤吉郎は浅井様の家臣から奉行衆へと抜擢された。私も何度か顔を合わせるようになり、ご主君に仕えるために出世を望む者として気が合ったのであろう…あの方とは最後(・・)まで縁が切れることは無かった。


 ~~~~~~~~~~~~~~



木下藤吉郎:後の豊臣秀吉です。この物語では豊臣姓を名乗ることはありませんが、信長様配下の軍団長として活躍されます。草履を温めて気に入られたとか逸話が幾つもありますが、そのほとんどが創作だと言われています。


帯刀:たてわき、とも読みますが、本物語は古い言い方である「たちわき」で統一致します。


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