8.上杉家の安堵
1580年6月14日 近江国摠見寺-
再び半兵衛様が俺を訪ねてきた。
明智軍、羽柴軍、長曾我部軍は大軍を率いて西へと出陣されたそうだ。明智様の担当である丹後は瞬く間に平らげ、続いて但馬に侵攻したところで丹羽様がにわかにご病気となり一旦丹波まで引き返された。幸い丹羽様の体調は回復に向かっているという。明智様が単独での但馬侵攻を進言されたが、信長様に一蹴されたそうだ。
羽柴様は赤穂郡に兵を展開し、宇喜多軍との睨み合いが続いている。なんでも水面下では直家との和平交渉が行われているとか。“なで斬り”と騒いでいた信長様がよく和平交渉を許したなと思っていると、半兵衛様が数枚の書状を見せてくれた。
それは、新しく半兵衛様が設立された京都護衛隊が捕らえた“伊賀者”を調べ上げた内容をまとめたものだった。毛利家から公家衆に宛てた手紙に関するものが多かったが、その中で宇喜多直家から織田家に庇護されている旧主浦上宗景宛の手紙があったのだ。内容は「毛利に愛想つかしている。ついては織田家に傘下に加わりたい。取りなしてくれないか」といったものである。前世での直家について知っている俺からすれば胡散臭いとしか言いようがないが、信長様は浦上宗景を呼び出し事実確認を取ったうえで羽柴様に命じたそうだった。この為、表面上では対陣しておいて水面下で和平交渉を進めている。官兵衛殿がその任に当たっていた。
官兵衛殿は信長様への報告のために定期的に安土に来られるそうで、俺は半兵衛様に言伝をお願いすると半兵衛様は快く承知してくれた。
後で聞いたのだが、半兵衛様がご主君の下を離れて安土で活動するのは、俺との連絡役をご主君より仰せつかったからだったらしい。伊賀者に対する対処と俺を陥れた者を調査するために安土で活動していたことに驚いた。
四国の長曾我部軍は長雨に兵糧がやられてしまい、戦わずして土佐へと撤退する羽目になった。原田様が堺衆に米の再調達を命じているそうで兵糧が整い次第再び侵攻するというが兵糧の再調達にはひと月ほどかかるとの見通し。
入念に準備して満を持しての進軍が予想外のアクシデントに見舞われており信長様はご機嫌ナナメであり、蘭丸様を含む小姓衆が四苦八苦しているという。
そして、北條氏政が綱成を副将として小田原を出立したと聞いた。俺の中では氏政は「穴熊」というイメージであったが、先代の氏康存命の頃は自ら兵を率いて戦をしていたらしい。北条軍は上野に向かい、信濃経由で西へと向かう。途中、岐阜と安土によって挨拶の後、四国に上陸して讃岐屋島に陣を敷く予定だ。
「…果たして北條様は勘九郎様と大殿様に初めてご挨拶されることになるが、どんな話をしてどう思われるのか。」
半兵衛様からの話を聞いて俺は興味をそそられて呟いた。考え込む俺を見て半兵衛様はにこりと微笑んだ。
「互いに器を量ろうと化かし合いになるでしょうな。」
気にはなるのだが、ここを出られぬ身分であることに歯がゆく感じながら山頂に見える天守に俺は目を向けた。
1580年7月2日 近江国摠見寺-
再び半兵衛様が俺を訪ねてきた。黒田官兵衛殿を伴っての訪問だ。つまり羽柴様の陣に動きがあったということか。
高い塀に覆われ四季を愛でる等の情緒が感じられない庭の見える一室で、俺と前田慶次郎と津田与三郎が下座側に位置する床に座し、反対側に半兵衛様と官兵衛殿が座られた。
前世においては“兵衛's”と呼ばれたこのお二人。この世界では仕える主も立場もその寿命すら異なってしまっているが、こうやって見ると圧巻である。
「ようやく宇喜多家との同盟が締結されました。」
半兵衛様が端的に説明する。信長様の許可を貰って進めていた宇喜多家との交渉が同盟という形で締結できた。もちろん対等な同盟ではなく、安土に質を送り、銭の供出や軍役などが課せられるが、本領安堵となり、羽柴様の与力として毛利討伐に尽力することとなった。説明の詳細は官兵衛殿が行ったが、表情が硬い。理由を伺うと
「…大殿からは何のお褒めも頂けなんだ…。」
と返事して視線を落とした。俺は消沈する官兵衛殿を見ながら信長様が宇喜多家従属に興味を示さない理由をなんとなく察した。
現在の織田家西進の目標は「毛利家討伐」である。そのために大軍を整え、全員集まる中で叱咤鼓舞までしたのに、羽柴様は毛利家に与する宇喜多直家を懐柔しようとした。それ自体は問題ないのだが、宇喜多家を寝返らせた事に喜び官兵衛殿を遣わせ手柄を報告してきたことにお怒りなのであろう。
「官兵衛殿、新しく加わった宇喜多家をどう使うおつもりで?」
官兵衛殿は顎に手を当て考えた。暫くして納得したように頷く。
「宇喜多家の使い道を説明しなかったから御不満だったということか。」
「官兵衛殿から羽柴様に献策されればよろしかろう。結果を出せれば大殿もきっとお褒めになるはず。」
「なるほど。…ここのところお役に立てず筑前様から遠ざけられておった故、良い案を献策してお役に立てて見せよう。」
官兵衛殿は笑った。半兵衛様はにこりと笑って頷いた。俺も笑顔を見せたが、釈然としないものがあった。
黒田官兵衛が羽柴様から遠ざけられている?
俺は官兵衛殿を注意深く観察した。やや汗をかいた表情に喜びが見られる。羽柴様と官兵衛殿との間に何かありそうだった。
1580年7月1日 美濃国岐阜城-
越後上杉家の当主景勝と村井大隅守重勝(帯刀のこと)の娘との婚姻が滞りなく行われ、お礼のご挨拶として景勝とその腹心である直江兼続が安土を訪れた。盛大な歓迎を受けた後、上杉家は岐阜の信忠を訪問した。
麓の御殿の大広間に案内され、下座にて平伏して待っているとカチャカチャと甲冑の擦れる音が聞こえ、景勝は驚いた。音はだんだんと近づきやがて襖の開く音とともに甲冑を着た者が中に入り、上座に着座した。婚礼のご挨拶で訪れて甲冑を着ているとはどういう状況か見当もつかず只管平伏していると上座から声を掛けられた。
「上杉殿、よく参られた。面を上げられよ。」
景勝が恐る恐る顔を上げるときらびやかな甲冑を着込んではいるが、やさし気な表情を浮かべた若き織田家当主が座っていた。
「初めて御意を得ます。上杉弾正少弼景勝に御座います。」
「遠路遥々ご苦労であった。上杉殿に会うのを楽しみにしておった。」
帰ってきた返事は気さくで親しみの籠った声。景勝は戸惑いを覚えて僅かに顔を上げた。信忠と目が合い、きょとんとした表情を見せた後、何かに気づいて笑顔を向けた。
「そうか。この格好が気になっておるのだな。済まぬな。この後客を迎える予定があるのだが、そのための準備でな。…で、わが父の若き姫君は如何お過ごしか?」
甲冑姿は我らの次の客人のため。些か解せぬところもあるが次の話題を振られた景勝は再び平伏して答えた。
「は…我が城にてすこぶる元気に過ごしておりまする。」
織田家より頂いた正室はまだ十一。幼さ残るお姿では夫婦としての営みはまだ先の話である。
「そうか。それを聞いて安心した。上杉殿にはこれからも宜しく頼むぞ。」
景勝は三度平伏した。嘗ては敵対し織田家包囲網の一翼として刃も交えた仲。だが代替わりの後は友好的な扱い。跡目争いで国力の低下していた上杉家にとっては手を取る選択しかなく。そのために反発している家臣も少なくない。だが、織田家の援助があれば国内の乱れを収めることもできる。婚姻は悪い話ではななかったのだ。実際に対面した織田家の若き当主は我らに好意的な態度。内心安堵もしていた。
その後は他愛もない会話をいくつか交わす。終始和やかに進んでいたが、一人の小姓が告げた言葉により、雰囲気が変わった。
「殿様、北條殿の支度が整いまして御座います。」
信忠の顔からすっと笑みが消える。そして怒気のようなものが現れる。
「…通せ。」
そう言うと再び表情をもとに戻し、景勝に声をかけた。
「貴殿らもこちらに座り、見届けられよ。」
そう言って中座を指示した。困った表情をしていると中座に座る塩川長満が立ち上がり、景勝と兼続の手を引いて中座に座らせた。すかさず小姓が脇差を渡してくる。手にしていいのかどうか迷っていると、
「さ、はよう。」
と信忠が急かし、二人は脇差を受け取った。
…軽い。竹光か。これは中座に座る者として恰好をつけさせるためか…と理解する。二人は顔を見合わせながらも脇差を差して中座で姿勢を正した。
準備を整えたことで外に控えていた小姓が客を迎えに行った。信忠の表情は険しい。
北條…と言っていたな。確か西国の戦に参画するために兵を率いて小田原を出たと聞いていたが…。
と考え込んでいると小姓の案内で正装した武士が部屋に入ってきた。男は下座の中央に腰を下ろし深々と頭を下げる。信忠の「面を上げよ」という言葉に顔を上げて信忠の姿を見てぎょっとした。
「…ずいぶんと待たされたのだが、わざわざ甲冑を脱いで着かえておったか?」
不機嫌さが伝わるような口調で信忠が聞くと、男が再び平伏した。
「も、申し訳ござりませぬ!織田家の当主に謁見するにあたり甲冑姿では不敬と心得着かえて参りました。無作法なる心得、ご容赦下さりませ!」
床につく両手が震えている。悔しさを押し殺しているようだ。上座からの言葉が続く。
「……北條殿は、我らの状況が判っておらぬと見える。西国の毛利を討伐せんが為、父が一刻も早く上洛するよう命じていたはず。我も北條殿に時間を取らせぬよう謁見は短くするつもりであったし、引き連れた兵の慰撫も予定してわざわざこの姿にしたのだがな。」
信忠の物言いに男が恐れ入るように頭を下げる。この男が北條家当主、氏政か…と景勝がじっと見つめた。確か幻庵によって織田家臣従が決定し、忠誠の証として次期当主が安土に送られているとか。
その北條家当主が織田家の若き当主を前に大汗を掻いて平伏している…。武家としての上下関係を完全に知らしめる謁見である。
北條家は関東でも有力な武家であり、過去に周辺諸国との大きな戦を乗り越えて朝廷からも一定の地位を得ている。そんな大大名の当主が大汗を掻いて平伏させられているのだ。景勝も兼続も見ていて“恐れ”を感じた。
「直ぐに出立されよ。道中に兵糧は用意されておるのだ。準備も必要なかろう。急がねば我の文を持った伝令が先に安土に着いてしまうぞ。」
信忠の脅しに屈するように氏政は「はは!」と言って慌てて退出した。足音が遠ざかったのち、小姓が景勝と兼続に手を差し出したので、二人は腰に差した脇差を返した。
「さて…直江殿。北条の当主の様子を見て如何思われたかな?」
直江兼続は体を信忠のほうに向けて頭を下げた。下げつつ頭を高速で回転させた。答える内容によって上杉家の扱いが変わるやも知れぬ。そう考え質問を受けてから頭を上げて回答するまで時間を要した。主である景勝と一瞬目を合わせ景勝が頷くのを確認してから口を開いた。
「………北條殿は出兵の目的をご理解されておらぬように思いますが…安土の大殿がそのように仕向けているものとお察しいたします。」
「ふむ。」
信忠の反応は悪くない。次の言葉を聞こうとしていた。
「おそらくは此度の戦での行動に難癖をつけて、隠居させ北條家を代替わりさせようとお思いでは御座いませぬか?」
「口が過ぎますぞ!直江殿!」
隣にいた塩川長満が声を荒げたが、信忠はこれをたしなめた。
「なるほど、直江殿には我らの魂胆が見えておるか。では、我が上杉家に求めるものは何かわかるか?」
次なる質問。兼続はこの質問のほうが難しいと考えた。景勝の婚礼以降、織田家との真面な会話はない。安土でも今後の戦についての話は特になかったのだ。だが、兼続はあることに気づいた。
我らは信長配下ではなく、現当主、信忠配下として働くことを望まれている?だとしたら我らの役割は?
兼続は頭を働かせて周辺の状況を鑑みて考えを構築していった。
「…我らは、この先に来る関東、奥羽の混乱に対して、鎮圧、或いはその後方支援…が役割となるかと推察致します。」
兼続の答えに信忠が満足そうな笑みを浮かべた。
「帯刀の兄上から聞いておったが、お主は中々の知恵者であるな。周囲の状況を踏まえて、自家がこのように優遇されている理由をも踏まえ最適解を出してきおった。」
うれしそうに喋ると中座に座る平手汎秀を見た。汎秀は無言で頭を下げた。
「上杉殿の扱いを考えたのはこの汎秀じゃ。詳細はこ奴に聞くといい。お前たちには関東管領としてではなく、織田信忠の家臣として関東奥羽平定の支援をしてもらう。」
関東は良くも悪くも北條中心に動いてきた。それだけ北條家に力があったからだ。だが、織田家の軍門に下り、当主が西国に出張ったうえに次期当主が安土に人質…これでは関東での権威も低下するであろう。その時には佐竹などの周辺諸国が蠢動するに違いない。織田家はその行動に対して咎をかけて出兵することを考えていた。だが自前の兵だけで関東を蹂躙するには危険すぎる。そこで上杉家を後詰として出張らせることで関東諸国に圧力をかけようという魂胆であった。
北條家が弱体化しつつある中、上杉家の存在そのものが関東諸国には“畏れ”でもあるのだ。この効果は大きい。結局織田家は上杉の名声を利用しようと婚姻と同盟を結んだのだ。厚遇されるのも当然。
「畏まりました。我ら上杉は織田様のご期待に添えるよう邁進いたしまする。」
兼続はそう括って頭を下げる。横に座る景勝もあわせて頭を下げた。ここで増長してはならぬ。すれば先ほどの北條のようにひどい扱いを受け、弱体化する。それだけは避けねばならぬ。
兼続の思いは景勝の認識と一致していたようで、景勝も余計なことは言わず黙って頭を下げていた。
信忠は上杉家を完全に家臣化させることに成功し、関東平定への大きな足掛かりを作ることができた。
この二家は織田政権下で両極端な結果を迎える。上杉家は関東平定の功労者として越後本国に加えて常陸を下賜され、有力武家として末代まで繁栄するが、北條家は兼続の読み通り、西国の戦後に代替わりを求められ、加えて領内での内乱を迎えてしまい、最終的には所領を伊豆のみとされてしまうことになる。
讃岐屋島:日本書紀の頃に築城されたという屋嶋城があった場所。戦国期の頃はまだ四国と陸続きになっておらず島の外周のほとんどが断崖になっており、瀬戸内海を一望できる場所だったそうです。
宇喜多家:元々は浦上家の家臣でしたが、直家の時に主家を圧倒して実力で追い出し成り上がりました。梟雄として名を知られており、有名な逸話として、弟が兄の直家と謁見するときは必ず帷子を着込んでいたというのがあります。それほど直家は恐れられていたそうです。
上杉家:元は越後守護代長尾家ですが、謙信の時に関東管領であった上杉憲政が関東を追われて越後に下向し謙信を養子として迎えて上杉姓を名乗っております。
北條家:元は山城の伊勢家に連なる者とと言われています。早雲が伊豆を手に入れ、そこから代を重ねるごとに支配領域を広げて主家であった今川家から独立した形になります。




