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5.家康暗躍



 あづち山の西側中腹に建立された寺。信長様が開山された寺として、本来は織田家と深く関わっていくことであったろう。史実では本能寺の変後、特別な檀家を抱えることもなく歴史の中に埋もれてしまった…というのが俺の印象だ。

 その寺の境内の一画に俺と半蔵殿は閉じ込められていた。元々牢屋として建てられたものではないため、急ごしらえの壁や柵があって常時誰かの監視があり、行動範囲は写経や食事をするための小部屋と厠と寝床替わりの牢のみ。俺たちは監禁状態である。


 監禁されて、二~三日経過すると、騒動も収まって来たのか境内のほうが賑わってきた。気になりながらも見えない故無視して写経などをしていると来客の知らせがあった。複数の兵に守られながらやって来たのは袈裟を着た二人の僧。着慣れぬ袈裟と見慣れぬ坊主頭に恥ずかしそうに笑みを浮かべる二人の隻腕の男である。


「兄爺様、弟爺様…そのお姿は?」


「…いや、その…松姫様も無事に輿入れされたこどじゃし、我らが役目ももうないと思うて出家致したわけじゃ。」


 弟爺である内藤様が答える。


「そうしたら、若殿様が「僧として修業に励むべし!」と摠見寺(そうけんじ)に遣わされ申した。」


 今度は兄爺である馬場様が説明する。いやいや武士の出家に対し主が勝手に出家先を決めていいのか?てかこのお二人は家臣でもなかったはず…なのに、勘九郎様はここにお二人を遣わした?お二人は何故此処に来た?


「近頃、伊賀者が小うるさく走り回っております。だがその程度の輩、片腕しかなかろうとも我らが撃退致す所存。…安心して大殿からの下知をお待ち下され。」


 この方々は俺を守るため、出家してまでここにやって来たと仰せですか。涙がでそうになるが、ぐっと堪えた。二人は以前とは真逆の穏やかな仕草で挨拶をすると写経のための教本を何冊か置いて、牢を離れていった。面会が終わると俺たちは内牢(寝床替わりの牢)に戻される。教本は写経部屋に持っていかれた。

 牢で座りながら小声で半蔵殿に話しかけた。


「あのお二人は俺たちの護衛にここに来たと思ってよいか?」


「…隻腕とはいえ、中々の武士(もののふ)とお見受けいたします。監禁先が安土城内というのもおかしいと思うておりましたし…織田家は間違いなく貴方様をお守りする意思を持っております。」


 俺は納得いく説明に頷く。確かに罪人をあづち山に置くのはおかしい。これは俺を守るためと解釈していいだろう。では、俺がここにいることはどこまで公開されている?俺の予想では非公開にされているであろう。そうすれば信長様や勘九郎様の許可なく訪れる輩は敵と見なし易い。だが俺を安土という侵入しづらい場所に置いたのは囮として使うためではなくあくまでも守るため。となると、織田家を弱体化しようとする輩との対決は次の手が必要なはず。俺は静かに考えにふけった。




 1580年3月2日 播磨国姫路城-


 羽柴筑前守秀吉は安土との連絡役である黒田官兵衛の報告を聞いて、むすっとしていた。小姓の石田佐吉から渡された杯をぐっと煽ると乱暴に佐吉につき返した。


「で吉十郎は金ヶ崎(・・・)に連れていかれたのじゃな?…解せぬ!大殿様も小折生駒のことは覚えておろう。同じ過ちを繰り返すおつもりか?解せぬ解せぬ!それよりも明智殿の調査不足を追求すべきであろう!」


「…恐れながら、大殿は明智殿と謀っておらるのでは?」


 傍に控える蜂須賀正勝が意見を言うと、秀吉は更に顔を膨らませた。


「明智殿と大殿様は密談できるほどの関係を作れておらぬ!昨年の謹慎以来、明智殿は大殿様と距離を置くようになった。だからこそ我らが家臣筆頭となるべく邁進しておるのじゃぞ!…明智殿も何故短絡的に吉十郎を怪しむ?いくら荒木討伐に時間がかかったとは言え心に余裕がなさすぎじゃ!」


 秀吉の怒り様に報告をした官兵衛は恐縮するばかりだった。最近の殿は家臣筆頭になることに躍起になっている。心に余裕がないのは殿も同じではないか?言いたくてもこれを堪えただ平伏しているだけであった。そこに小西行長が口をはさんできた。


「今は吉十郎などの小物などに気にかけている場合では御座らぬ。毛利との戦をどう進めるかにご注力なさるべきです。」


「…うむ、原田殿は淡路越えに失敗した。我らが毛利の地に兵を送り込んでやれば、原田殿にも恩を売ることができる。小一郎準備を整えよ!」


 秀吉の命令に弟の小一郎秀長が無言で頭を下げた。軍議は続く。主に毛利に対する話のため、播磨をまとめ後詰を任された官兵衛には秀吉の命令は回ってこない。官兵衛はそのことに歯がゆく感じていた。


 吉十郎殿がいれば、この不満を解消してくれるであろうか。


 いつの間にか官兵衛は目の前の軍議ではなく、遠くに捕らわれた吉十郎に思考を向けていた。




 1580年3月4日 大和国信貴山城-


 紀伊攻略を前に三好義継は“大和仕置き”の中心であった信貴山城を訪ねた。城代の案内で奥の間に向かうと老僧が下座で待っていた。義継は上座に座ると面を上げる老僧の顔を見て懐かしむように微笑んだ。


「元気そうですな、榮樂(えいがく)殿。」


 呼ばれた老僧は僅かに笑みを見せた。


「毎日、読経と写経だけでは物足りぬ日々では御座いましたが久しぶりに穏やかに過しておりました。」


 榮樂は丸めた頭を叩いた。良い音がしたので義継も噴出しそうな表情を見せる。


「やはり、貴方様はまだまだこの乱世に身を投じていたいようで。面白い話が御座います。…若殿の小姓筆頭が横流しの罪でまた罰せられました。」


 榮樂の眉がピクリと動いた。


「…言い方が気に食わぬようですな。ですが世間ではそう噂されています。…最もその噂を流しているのは大殿ご自身のようですが。」


 榮樂の眉が再び動いた。


「……拙僧の下にも大和の商人衆が残っております。その者らも吉十郎の件については報告を受けておりました。」


「ほう…坊主のくせに商人衆を従えておりますか。やはり現世に未練がおありのようで。」


「まあ一年経ったら若殿の下に戻る予定でしたからな。…しかし、事の詳細が見えませぬ。」


「この件は若殿も詳しくご存じとのこと。知りたければ早く岐阜に戻られるがよいと思います。」


 榮樂の体が大きく震える。覇気の様なものも感じられる。復帰できるのが嬉しいのだろうかと義継は思った。だが既にご高齢。どこまで活躍できるのかと心配もする。


「それは大和国主のご許可を頂いたと思ってよろしいので?」


 義継の思いとは異なり榮樂は活力にみなぎっている様子。そして義継は榮樂の所作に恐怖も感じた。自分が幼い頃に彼がまだ“松永弾正”と名乗って京にいた頃に対面した時に味わった恐怖。


「…吉十郎は我が恩人でもあります。彼をお助け下され。」


 義継はゆっくりと頭を下げた。その様子を見た榮樂は不敵な笑みを浮かべる。


「三好の頭領にここまでさせるとは…吉十郎も名を挙げた者よ。……儂も三好家の端くれ。貴方様にここまでされて無視できるほど忠義を忘れておりませぬ。」

 榮樂もお返しとばかりに深々と頭を下げた。そして二人で一献酒を酌み交わすと、十名ほどの共を連れて岐阜へと向かった。


 1580年3月20日、榮樂は信長の許可を得て再び信忠に仕えることになる。




 1580年3月19日 駿河国???


 山奥ながら切立った崖に建てられたこの城は周囲を流れの速い川と木々に覆われ攻め込み難しという雰囲気を漂わせている。

 いつからか破却され荒れ果てていたここを密かに修復し食料を運び込み、二千の兵を籠らせて最近配下となった伊賀者に周囲の状況や京の情勢を探らせていた。


 城主は徳川家康。


 織田家との戦で敗北後、密かに用意しておいたこの城に信のおける配下のみで入城し、周辺の反織田派の城主と連絡を取っていた。

 旧武田家臣の穴山家、依田家と通じ、今川家とも孕石元泰を通じて連絡を取っていた。いずれも織田家憎しで繋がった縁である。今は孕石元泰を迎え報告を聞いていた。


「北條は織田家に屈服するようですが、内部では反発もあるようで、今探っております。」


「我らからも伊賀者に命じて探らせよう。手に入れた情報は孕石殿にもお知らせいたす。」


 家康の返事に元泰は更に頭を下げた。恐縮する元泰に家康の家臣から盃を差し出される。


「今は一人でも憎き織田を仕留める仲間が欲しい刻…今川殿の申し出には感謝しておる。もはや今川殿に仇なすことは致さぬ。」


「その言葉、主にしかとお伝えいたします。」


 家康と元泰は盃の酒を一気に煽った。そして互いに情報交換をしあう。


 家康はまだ生きていた。しかも再起を図るべく準備まで進めていた。近寄ってきた伊賀者を取り込み、武田家から離れた諸侯に声を掛け、旧主今川家にすり寄って拠点を用意しこれを維持する兵と食料まで用意していた。今も各国の情報を集め、攻勢に転じる機会を伺っていた。


 今川の使者との面会を済ませて一息ついたところで一人の武者が入ってきた。伊賀者と呼ばれる新参の男であるが、家康の直臣として織田領内を回っている男である。


「殿様、只今戻りまして御座います。」


 男は家康の前に下座し恭しく頭を下げた。家康は大げさな身振りで男を迎えた。


「おお、よく戻ってきた新次郎!して、どうであったか?」


 新次郎と呼ばれた男は今一度深く頭を下げてから顔を上げた。


「三河の石川殿は“今は会えぬ”と追い返されてしまいました。」


 男の返事に家康は顎に手を当てにやりと笑った。


今は(・・)……か。良い返事を貰うて来たな。…他には?」


 新次郎は手短に報告する。三好が紀伊の攻略のために兵を整えている話で家康が目を輝かせた。


「平八郎、何人か引き連れ紀伊でどこぞの客将となれ。…儂が紀伊に隠れていると思わせるのじゃ。」


 本田平八郎が無言で頭を下げる。


「新次郎、帰って早々悪いが信濃へ向かってくれ。小県の海野殿と会い、穴山殿に身を寄せるよう説き伏せて参れ。」


 海野とは信濃国小県郡を領する一族である。武田家が織田家に降ってからは真田家がまとめる集団に加わり、真田家が織田家に臣従した時に織田の支配下になっていた。

 家康が海野家を気にしているのは、そこに武田信玄の実子がいるからである。新次郎の情報で織田信長・信忠親子は家康の動きを封じるために松姫を正室に迎えたことを知ったが、家康のそもそもの目的はこの海野家であった。そのために縁者でもある穴山信君に接触したのだ。本来なら海野家の傍系である真田家を取り込みたかったが、当主の人となりを聞いて断念したのだ。


 新参である新次郎は保護対象が誰を指しているのかすぐには分からなかったが少し考えにやりと笑った。


「承知致しました。必ずや穴山様の下にお連れ致しまする。」


 新次郎は再び恭しく一礼すると部屋を出ていく。家康はその姿をみて満足そうに頷いていた。


「柳生新次郎厳勝(よしかつ)……。良い拾い物をしたわ。あ奴も織田家を憎む者…その活力、存分に儂が使うてやろうぞ。」


 不敵な笑みを浮かべる家康。従う重臣は只ひたすらに頭を垂れて見守るのみであった。




摠見寺:安土城築城に伴い、あづち山中腹に建立された臨済宗の寺です。開山当時の住職については諸説あり定かではありませんが織田一族から僧になった者らしいです。


榮樂三郷房:松永久秀の出家後の名で本物語創作です。


穴山家:甲斐武田の親族衆の家柄で、穴山信君は信玄の妹を妻に迎えている親族中の親族。史実でも勝頼を裏切り徳川家に寝返ります。本物語でも勝家と袂を分かち徳川に付きました。


依田家:長篠の戦い後、勝頼の命令で徳川家の侵攻を防ぐべく駿河に滞在した武田家の隠れた名臣という設定です。しかし、武田家が織田家に屈した後は独立して駿河田中城で織田家と睨み合っています。


今川家:本物語では、徳川家による駿河侵攻が行われなかったため、駿河の一部を領有する形で生き残っています。


孕石元泰:今川家の家臣で徳川との連絡役を担っています。一時期武田の家臣でしたが、長篠の敗戦以降今川家に服属しました。


徳川家康:織田家の遠江侵攻で兵を捨てて逃亡していましたが、逃亡先も逃亡先での活動もちゃっかりと準備しておりました。


柳生厳勝:大和仕置きで処刑された柳生宗厳の長子です。


海野信親:武田晴信の次男で海野幸義の娘を娶って海野家を継ぎます。幼少期に視力を失い家督継承候補から外されたそうです。本物語では出家していた信親を保護し、還俗させて武田家再興に利用されるようです。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 一定の家臣団はあるものの本貫が失われてる家康が妙にまだ力を持っている。 三河者の忠誠は基本的に領地を守る存在という認識だったが違うのかな。 そして諜報を担っている伊賀者。彼らの維持にも…
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