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2.羽柴軍

新章二話目です。




 播磨までの道中、“本能寺の変”について考える。


 あの事変の直接の要因は信長様と明智様の確執にあることは間違いない。だがそれだけで明智様が事を起こすとは考えられない。必ずこの確執に乗じた人物、組織がいるはずだ。そして明智様の手を借りて織田家の弱体化を生み出し、何らかの利益を得た……はず。

 明智様が行動を起こすことを前提に考えるのはどうかと思うが、これまでの経験から行くとそうなる可能性が非常に高い。なぜなら、この世界も俺の知る前世の史実通りあるいはそれに近い形でイベントは発生しているからだ。だが立ち回り次第でイベントが回避できることも知っている。淡休斎様も原田様も生き残った。だから明智様が信長様に刃を向けることを前提で考えて回避するためにどうすればいいかを考えるほうが無難だ。


 前世でもあった黒幕説を参考に、実行者と先導者を分けて考える。実行者になりえる条件として、大軍(一万以上を擁する)と地理的条件(近江、京に近い)で絞込めば、羽柴様と明智様、そして三好様と滝川様、原田様が残る。

 先導者は織田家弱体化に得られる益と影響力で考えると、候補は、公家衆、寺社衆、三好様、松平様、北條様、長曾我部様、これに敵対勢力として毛利家、上杉家、伊賀者に…あとは旧幕臣か。


 公家衆は織田家が弱体化することで利するものは多いようで実は少ない。足利でも三好でも六角でもなく織田が京を治めることで生活が安定し戦乱に巻き込まれることを回避できている。織田家を排することで新たに自分たちの生活基盤を支えてくれる武家を選出する必要があり、また再び京を混乱に陥れてしまう。…最も公家衆内での派閥争いを端に発して織田家を排斥しようとしている輩がいるのであれば公家衆が黒幕の可能性があるが、山科の西野衆や所司代の監視の目を潜って織田家以外の武家と密談するのは難しい。公家に接触している武家は明智様、羽柴様、荒木村重、丹羽様、原田様、三好様、それに上杉くらいだ。


 寺社衆は織田家と敵対している組織は多い。…が理念や利得するものが異なり複数の宗派が1つにまとまることも難しく、おかげで我らは個別に撃破するだけでいい相手でもある。だが、宗教的な地位から家臣の一部を取り込んでそこから侵食して反乱を起こさせることは可能ではある。まあ、織田家臣の中に織田家と敵対している寺社からの誘いに乗るような阿呆はいないと思っているのだが…。


 三好様は今でこそ大和国主として織田家臣団の中で高い地位を得ているが、本拠の阿波を無条件で奪われており、家臣団の再編にはかなり苦労をされている。今でこそ大人しく臣従されているが、織田家と敵対する理由を多く持っておられるのだ。


 松平様は微妙だ。父の呪縛から救ってくれた恩と父を含めた徳川家を窮地に立たせている怨と半々ではないかと考えている。松平様ご本人だけではなにもしないだろうが、三河家臣に担ぎ上げられれば謀反もあり得ないことはない。


 北條様は幻庵様の死をきっかけにどうなるか要注視だな。


 長曾我部様はなかなか四国を統一できないことに焦りと恐れを感じていると聞く。



 だが、どれも決定的なモノがない。「あり得る」「ありそうだ」止まりだ。それでは先の思考に結び付けられない。…思考回路を変更しようか。



 織田家が弱体化する条件から考えよう。言うまでもなく信長様の死が必須になるが、それだけでは弱体化しない。なぜなら信長様に次ぐ地位を持ち、戦力も財力も人材も豊富に抱える勘九郎様がいるからだ。つまり考えたくはないがこのお二人の命を奪うことが弱体化に必要な条件だ。…それも同時に。


 俺は体を震わせる。事変回避の為とは言え、こんなことを考えなきゃいけないのは苦痛だ。吐き気も催す。


 気を取り直そう。その手段だが、お二人を同時に殺すにはお二人が同じ場所または近い場所にいる必要がある。だが、普通はそのようなことは行わない。既に暗殺を警戒して、信長様と勘九郎様は常に別々に行動している。

 では、一緒に行動することはないのかと言うと、そのようなことはなく、先日の年賀の儀や朝廷への参内、後は戦に出立する軍の観覧など、いくつかの行事でお二人が並び立つこともある。だがその時でもお二人の滞在場所については細心の注意を払う。…やはりお二人を同じ場所に引き出して襲うのは至難の業と言えよう。


 だが俺の知る前世では、明智様はそれをやってのけた。信長様と勘九郎様がそれぞれ本能寺と妙覚寺に滞在の夜に一万以上の兵を京の町に侵入させ包囲して焼き討ちしたのだ。あらゆる可能性を吟味して事変を回避しなければ。

 殺害の方法だが…信長様は安土または京で茶会などを開く機会が多く、よく京に滞在されていると聞く。だが、その際には所司代村井様の命で服部殿の率いる警備隊が信長様の身辺を警護している。警備隊のメンバーについては出自を明らかにして身辺も十分に洗っているとは聞くが、入り込める余地はあるな。逆に勘九郎様は常に京からは距離を置いて活動しており、身辺警護もスパイが入り込む余地はない。…となると、二人同時の暗殺は現実的に厳しいため、大軍を寄せて包囲殲滅の方法しかないか。



 まとめれば、信長様勘九郎様の御二人が揃って出席される行事の直前に大軍で宿泊先を囲んで夜襲をかける。この方法しかない。


 結局、何時、誰の手引きで?って話に戻る。仮に明智様が実行するにあたり、誰の何のために明智様が動くかって考えることになる。…思考がループしているな。つまり情報が不十分ってことだ。だが、俺は自分の活動域を畿内中心で行ってきた。確証はないが事変が起きる要因は京より西にあると睨んでいる。徳川でもなければ、今川でもなく、武田でも、北條でもない。だからこそ俺はできるだけ“鬼面九郎”として畿内の戦場を渡り歩いているのだ。


 俺は淀川を渡り、西国街道に入るところで庄九郎に声を掛けた。


「姫路への到着を一日遅らせることはできないか?」


 庄九郎の表情が一瞬変わった。だがすぐに元のむすっとした表情に戻す。


「…明智様の陣に向かう気だな。こちらは行軍を遅らせる。姫路までそれほどの距離はない。遅らせても一日だけだぞ。すぐ戻ってこい。」


 俺は庄九郎に頭を下げてすぐさま馬を走らせた。念の為吉兵衛を連れて摂津に向かった。有岡城を囲んだ明智様の陣に到着するとすぐに本陣へと案内される。明智軍の中でも大太刀を背負い鬼面をつけた大柄な武士は珍しく皆がを俺に注目するが、俺は無言で通り過ぎ明智様と対面した。


「久しぶりだな。筑前守の援軍として播磨に向かうと聞いていたが?」


「その途中で寄らせて頂きました。某も長いこと明智殿にお会いしておらず、この機を逃すべきではないと考え…。」


 俺は鬼面九郎としての口調で言葉を返す。


「はっはっは!某に会いたくて来たと申すか。…うれしい限りよ。お主の家臣も少数ながら十分に役立って居る。某から改めて礼を言っておこう。」


 淀衆として俺の兵二百ばかりを明智様に預けている。慶次郎からは逐次報告も貰っており、明智軍の中でも一目置かれていることも知っている。


「明智殿への御恩を少しでもお返しできればと前田、津田の両将を向かわせているだけです。如何様にもお使い下さりませ。」


 俺の返事に明智様は笑みを浮かべる。周囲の諸将が満足そうに頷いている。……?


「皆、あの二人を気に入っておってな。鬼面殿が二人を播磨に連れて行くと言うんじゃないかと思っておったのだ。」


 なるほど。慶次郎もうまく明智様の軍に溶け込んだようだな。


「羽柴殿の戦は兵糧攻め。武の力より数を求めております。某もこの大太刀を振るう機会はないで御座ろうよ。」


 それから有岡城の状況と兵糧問題のことを確認して陣幕を出た。

 俺は明智様にお会いしてからの日々を思い出していた。亡き生駒の親父様に連れられ明智様の屋敷で食事をしたとき。尾張を追放され淡休斎様に匿われている中でお会いしたとき。越前侵攻で柴田様、羽柴様と揉めておられたとき…。そんな場合においても明智様の御心にはある種の安らぎを感じていた。

 だが、今日の明智様にはそれが感じられない。寧ろ覇気に似たようなものを感じた。何かが明智様の中で変わったのかもしれぬ。


 俺は自分自身を顧みた。


 …何かが自分の中で変わる。俺も経験したことがある。濡れ衣を着せられ信長様の前に引き出され、商人衆仲間に裏切られたとき…。


 俺は明智軍の中に滞在する慶次郎と与三郎の元に向かった。久しぶりに主の顔を見たと喜ぶ与三郎の手を取り、訴えかけるように言葉を発した。


「明智様を頼む。何があってもあの方をお支え致すのだ。」


 俺の真面目な表情に吃驚した与三郎だが、俺の手を握り返した。


「畏まりました。この朱槍に誓って明智様をお守りいたします。」


 俺は慶次郎を見る。


「お前もだ。…頼んだぞ。」


 慶次郎は肩をすくめた。


「いつになく真面目なお願いをされるのですな。…何があったか知りませんが、我ら淀衆は明智軍の中でも一目置かれております。殿の命…必ずや果たして見せます。」


 二人が頭を下げるのを確認し、俺は庄九郎たちを追いかけた。





 ~~~~~~~~~~~~~~


 1580年1月-


 当時、明智様が信長様と勘九郎様を討ち、それを羽柴様が討って天下の趨勢が大きく変動することを知っていたのは、私と御台様だけであり、それを全力で阻止しようと暗躍していたのも二人だけであった。私は本願寺との戦に大きく関わり、御台様は信長様の御心に大きく関わった。

 どれが正しくてどれが誤った行動であったのか今になってもわかりえぬ。そして、この年からどんな些細な出来事でさえ、あの事変に結び付くのではないかとおびえた毎日を過ごしていた。

 だが、友とは良きものである。私は羽柴様への援軍の中で心を擦り減らしていた。それを庄九郎が救ってくれたのだと思う。そして私は新たな友も得た。


 黒田官兵衛孝高。


 前年に小寺姓から本姓に戻し、正式に羽柴様の家臣となられた。


 史実でも様々な活躍を見せたこの男は、この世界でも羽柴様の信を得て別所家攻略を任されていた。まあ…あいつのお陰で庄九郎も再婚できたのだからな。



 …だがあの男が羽柴様のお傍にいたことに違和感を覚えなかったことを後悔する。


 ~~~~~~~~~~~~~~



 1589年1月20日 播磨国姫路城-


 結局二日遅れで姫路城に到着した。一日は俺のせいだが、もう一日は吉兵衛が熱を出したためだった。幸い一晩で熱が下がり行軍速度を落として進んでの到着だった。直ぐに大広間に案内される。そこには上座に座る羽柴様と、ご実弟の小一郎様、彦右衛門の父、蜂須賀小六様、と見知らぬ面々…。俺は庄九郎と吉兵衛を伴い羽柴様に挨拶をした。


「津田九郎忠広に御座る。大殿様の命により、兵三千を率いて参陣仕り候。」


 鬼面を被る俺の挨拶に羽柴様は噴出した。


「ぶふぁぁあ!…構わぬ、堅苦しい挨拶などなくてよい。戦の話も後じゃ!久しぶりに会うたのじゃ、まずは一献…どうじゃ?」


 言うが早いが侍女たちが膳を手際よく用意して回る。庄九郎と吉兵衛の分もある。


「そういやこちらの紹介がまだじゃったの。小六は…知っておるか?あ、そうかお前の子が若殿の小姓になっておったな。」


 小六様が無言で頭を下げる。


「こ奴は戸田三郎四郎。儂の母衣衆として仕えておる。で、こ奴が脇坂甚内。この坊主は継潤。そして小西弥九郎だ。」


 俺と庄九郎は一人ずつに頭を下げていく。


「吉兵衛、官兵衛は今三木城の包囲役で出ておる…。そうじゃ!明後日入れ替えの日じゃからお主らも包囲役をやっていくがええ。」


「兄者!」


 慌てて小一郎様が声を掛けるが羽柴様は手で制した。


「ちょうどええ、儂らがどうやって三木城の包囲を維持しているか見てもらえ。小六、お前が同行して説明せよ。」


 小六様が無言で頭を下げる。信長様の魔王度MAXにも耐えうる方でもあり、正直怖い印象がある。それにしても小一郎様が不服そうな表情をしているのが気になるな。援軍を要請しておきながら余裕の表情を見せる羽柴様も気になるし。


 まあ、三木の干殺しとやらを見てみますか。……また俺熱にうなされるかもしれないけど。




戸田勝隆:羽柴秀吉に母衣衆の一人として古くから仕えています。武功を多く上げ秀吉からも信頼されていたといわれています。


脇坂安治:浅井家→明智家→羽柴家と仕官先を変え賤ヶ岳七本槍の一人に数えられます。自ら望んで秀吉の家臣になったそうで、秀吉好きなんでしょうね。


宮部継潤:浅井家臣であったが織田家に寝返り、秀吉の与力として活躍します。本能寺の変直前には因幡を任され対毛利戦線の最前線で活躍した武将だそうです。


小西行長:堺の豪商小西隆佐の子で宇喜多家の家臣から秀吉の家臣となった人物です。



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