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1.一年の計は裏年賀の儀にあり

本日より新章です。

この章では本能寺の変までの各々の武将の物語になるため、時間の進行速度が遅くなりますがご容赦ください。

2020/07/28 主語不明の誤文章修正



 1580年1月 近江国安土城-


 年賀の儀の前に、ご主君勘九郎様と松姫様の祝言の宴が催された。宴は大いに盛り上がり、信長様は上機嫌であった。そのまま年賀の儀が催され、内大臣就任の祝いを受ける際にはもうべろんべろんとなってしまっていた。見かねた御台様が信長様を奥へと引き下がらせ、主不在で催しを執り行う珍事となる。


「…偶には良かろう。父上が居らぬことで心休まる者がいるのも事実だ。後のことは儂が全て受けよう。」


 信長様の途中退場にも関わらず落ち着いた様子で各国の挨拶を受ける我が主、勘九郎様。日に日に当主としての威厳と風格が増しておられ、見ていて涙がこぼれそうになる。



 前年の織田家は飛躍した。


 丹波の波多野家を滅ぼし、本願寺を退去させ、遠江を奪い取り、信濃、甲斐を平定した。

 丹波は明智様の所領となり、遠江は荒子前田様に与えられた。信長様のご実弟、長野信包様が東三河に入り、松平様との分割統治になる。甲斐は河尻様に与えられ武田旧臣と仁科様が与力として配置される。信濃は北半分を森長可と団忠正に与えられ上杉への抑えを任された。河内は石山自体は信長様直轄となったが、周辺、および摂津南部、和泉は原田様に与えられ、その兵をもって新たに伊予平定の任を受ける。長曾我部家は信長様より四国全土を自領とする条件で臣従を約束している。伊予が平定できれば、村上家の勢力が弱まり、より毛利に圧力をかけることが可能になる。加賀は未だに一向門徒が抵抗を続けているが、新生した北陸方面軍によって遠からず鎮圧されるであろう。

 全てにおいて軍事バランスが崩れたことにより、あらゆる方面が織田家に傾いていた。後は軍事力、財力、朝廷の権威を活用し、織田家に臣従しない豪族共を各個撃破するだけである。




 なのにざわつく心。


 得も言われぬ不安感。


 そして大切なお方の死を間近に感じる恐怖。


 そんな気持ちが俺の中で吹き荒れている。だが今年は、久しぶりに元日の夜を信長様の前で過ごすのだ。自分の気持ちも高ぶっているせいかもしれない。




 ここは安土城西ノ丸にある御台様のお屋敷の奥の間。集うは淡休斎様に勘九郎様、蒲生様、丹羽様、忠三郎、帯刀様に蘭丸殿。堀様は遠江に出向中で欠席である。

 淡休斎様の点てる茶を飲みつつ、“裏年賀の儀”が始まった。


「細川殿よりこのような文を預かりました。」


 丹羽様が最初に言葉を発して懐から紙束を取り出し信長様に渡した。信長様は目を通して鼻で笑う。


「将軍様からの祝いの文だ。中身は兵権を将軍家に返せとかいろいろ注文を付けているがな。」


 読み終えた信長様は興味なさげに紙を床に捨てた。丹羽様がそれを拾って懐に直す。


「無視してよい文と考えます、しかし、この文が細川殿だけに送られているとは思えず、至急調査して文を受け取った者に無視するよう織田家の名で忠告すべきかと。」


「すぐ取り掛かれ。」


「はは!」


 なるほど。文通大好きの将軍様であれば、いっぱいいろんな人に手紙を書いているかもしれぬ。俺は丹羽様の見識にうんうんと頷く。次は蒲生様が口を開いた。


「羽柴殿が播磨の再平定に難航しております。」


「官兵衛からも報告が上がっておる。増員についてはその場で約束した。誰が出せる?」


「原田様は如何ですか?」


 忠三郎が意見を言う。…睨まれた。


「あ奴には伊予と長曾我部の監視をやらせている。それにあ奴の軍は人事不足だ。」


 俺はうんうんと頷く。…がっ!!なんで殴られる!?


「無吉!誰がいいか述べよ!」


「…淀の鬼面に池田の親父殿の兵を率いて向かわせればよろしいかと。」


 皆が驚いた。同時ににんまりと笑う。


「ほほう…摂津の抑えはどうする?」


 俺は痛い頭をさすりながら一度姿勢を正した。


「荒木村重の籠城はおかしき事が御座います。籠城当初に見積もった兵糧は既に底尽きているはず。にもかかわらず頑強に耐え、悲鳴を上げる様子が御座いませぬ。」


「何処からか兵糧を運び入れていると?…光秀(・・)が周囲を囲んでいるにも関わらず?」


 明智様は12月末に信長様の許しを得て前線に復帰している。対荒木も蒲生軍、三好軍から、明智軍、細川軍に入れ替わり、蒲生様は丹羽様と丹後攻略に回ったのだ。


「元々有岡城に我らを注視させ周辺でちょっかいを出すのが敵の基本戦略でした。ならば有岡城には我らの注力に耐えうる仕掛けがあったと考えるべきに御座いました。」


「…包囲網が瓦解した今も発揮されていると?」


 蒲生様が訝しむ。


「はい、そうでなければとうに有岡城は餓死の山のはず…。」


 皆が考え込んだ。荒木村重がこんなにも籠城しているのはおかしいのだ。


「十兵衛に調べさせては如何です?」


 ご主君が意見を述べる。信長様はこれに頷く。が丹羽様が手を上げた。


「明智殿は謹慎を解いたと言っても疑いが晴れたわけでは御座りませぬ。某が調べます。」


 だが信長様は首を振った。


「五郎左は何も知らぬふりして丹後攻略を進めよ。摂津の調査は光秀にやらせる。」


 こうして明智様に追加で任務が与えられた。…話は次に進む。


「武田の家臣であった真田という者が臣従を申し出ております。」


 勘九郎様が話題を持ち出した。真田安房守昌幸…信玄の腹心であった真田幸隆の子で、あの真田信繁の父だ。長篠の戦以降、主家とは距離を置き、やがて独立して沼田の国人をまとめ上げていた。


「彼の者の領地は関東に進出する良き足掛かりとなります。」


 俺はすかさず意見を述べる。信長様が俺の言葉に目を光らせた。


「ほほう…北條はどうするつもりだ?」


「北條家は親織田派と反織田派で分かれております。我らが上野(こうずけ)から関東に出れば必ずや反織田派の連中が騒ぎだし、家中を二分して騒動を起こすことでしょう。」


 北條家は我らに臣従するつもりである。それを推進しているのは幻庵様だ。あの爺は自分が死ぬ前に絶対臣従させるであろう。だがその死後に織田家が北條家をけしかける様な行動をすれば反織田派行動を起こす。そうなれば北條も上杉家同様に弱体化する。


「…勘九郎、真田という者から質を取れ。安土に送るのだ。」


 勘九郎様が頭を下げる。信長様が真田家の臣従を認めたということだ。


「父上、清州を増築してもよろしいでしょうか。妻子を預かるにしても手狭になってきておりまして…。」


 勘九郎様が上目遣いで言うと、信長様は了承された。…案外子供には甘いお人だ。


「完成したら、浜松の妻子も移動させよ。」


 信長様の言葉に勘九郎様は小気味のいい返事をした。しかし織田家が抱える人質は年々増えていく。支配域と降将が増えれば当たり前のことだが、主君と家臣の関係を新たに設けなければ銭がかかってしょうがない…。弥八郎と孫十郎に相談してみるか。


「続いて上杉の件ですが…。」


 帯刀様が次の話をし始めた。上杉家は当主急死の後に後継者争いが勃発した。本拠春日山を素早く勢力下に置いて国内の統制を図った上杉景勝と、実家の北條家を頼りに、長尾上杉家に反発する豪族を取りまとめた上杉景虎との戦いだ。

 この戦いに武田家は関与していた。上杉から銭と領地を貰って景勝の後援を行ったのだ。結果、武田家も上杉派と北條派で分裂するきっかけを作り、景勝派は勝利したが越後国内の国力と人材が低下させてしまった。


「上杉家と和睦を図ろうと思います。我が娘を大殿の養女として景勝の下に送ろうと…。」


 なんという大胆な。信長様が笑みを浮かべている。和睦が成立すれば、又左衛門様の軍は飛騨、能登、越中の攻略に注力でき、北陸平定を早期に終わらせることができる。


「諸般整えてすぐ行動せよ。」


 帯刀様は頭を床につけて返事した。戦略のためとは言え、自分の娘を敵国に差し出す。俺には決してできないことだ。…まあ俺の子に戦略的な価値があるとは思えないが…帯刀様の御子となればその価値は十分にある。内乱で国力を低下させた上杉家にとっては回復の時間を得るために食いつくであろう。


 続いて紀伊の話になった。三好軍と滝川軍で紀伊の山奥に引篭って織田家を罵倒する寺社衆に討伐する計画を進めることとなった。


「最後に…家康のことにございますが…。」


 勘九郎様が話を切り出す。途端に信長様の魔王度がMAX値まで上昇した。


「か、甲斐に商人衆を放ち、所在の確認をしたく…存じます。」


 さすがの勘九郎様も恐怖に顔を引きつらせながら意見を言う。信長様は我がご主君を睨みつけ今にも雷を落としそうな勢いであった。俺は思わず腰を上げた。


「…儂が西野衆を引き連れ、甲斐に向かおう。三郎、家康は織田家に損害を与えた憎き相手…だが勘九郎にあたるのは筋違いじゃ。心を落ち着けよ。」


 淡休斎様の言葉と同時に御台様が信長様の膝に手を置いた。信長様は体を震わせながら大きく深呼吸をすると視線を勘九郎様からそらした。


「…勘九郎、家康は甲斐、駿河のどこかに潜んで居る。家臣共の働き掛けもあって反勝頼の連中を抱き込んでいる可能性がある。巧みな言葉で今川残党を誑し込み、北條の織田嫌いの連中と繋がりを得る可能性もある。…まだ徳川家復活の目を摘み取れておらぬのだ!……あ奴は己の野望のために民を顧みぬ男…決して生かしてはおけぬのだ!」


「こ、心得ております!」


 信長様の怒りを込めた言葉に勘九郎様筆頭に全員がひれ伏した。こうして穏やかに始まった裏年賀の儀は家康への怒り心頭で終わりを告げた。





 1580年1月11日 尾張清洲城-


 裏年賀の儀にて俺は羽柴様の救援に向かうこととなった。と言っても、俺単独で兵を揃えても千に届かない。池田の親父殿にお借りしても、二千がいいところであろう。最低三千は揃えたいと考えてご主君にお頼みしたところ、清州の兵を連れていくよう言われた。清州の兵とは、市様の御子万寿丸様が元服なされたときに付けられる兵で一千ほど常備して日々鍛錬を行っている。平手政秀の甥、野口政知(のぐちまさとも)様が取りまとめられており、中には清州で預かる人質の子息もいる。黒田官兵衛様の子、吉兵衛も政知様の配下だった。

 俺は勘九郎様の書状を持って市様に面会する。相変わらず市様の俺を見る目は冷たい。蔑むような眼である。渡された書状に目を通し「政知に任せる」と言って万寿丸様の手を取ってさっさと出ていかれた。政知様は無言で会釈し、その後は淡々と話を詰め、五百の兵を借り受けることでまとまった。これで淀の兵五百に池田の親父殿の兵をお借りして、三千にはなるだろう。


 …と思っていたら、兄爺と弟爺が勝手に二百の兵を引っ張り出してきた。慌ててご主君と仁科様に文をお出しして兵二百の借り受けに承認を頂き、播磨へ向かった。淀で多賀勝兵衛率いる五百と合流し、枚方で池田様から二千を借り、先ぶれを羽柴様に送って出発した。池田隊の将は庄九郎であった。勘九郎様の配慮で遣わせてくれたらしい。相変わらず庄九郎はむすっとしていたが。



 ここからの俺は忙しい。明智様に隙を見せないように播磨での戦を終わらせ、毛利と決着をつけねばならない。

 だが“鬼面九郎”として三千の兵を率いているだけでは戦況など変えることはできない。“久保田吉十郎”として羽柴軍の内外で暗躍していかねばならないのだ。



前田利久:前田利家と区別するために、以降は利家のことを越前前田、利久のことを遠江前田と呼ぶようになります。


長野信包:伊勢北畠家の諸流、長野家の家督を継ぎますが、徳川戦の論功で東三河を領することになりました。支配域の大幅増加により、旧北畠家臣を雇い入れています。


長曾我部家:信長より「四国領有」の認可は受けておりましたが、伊予の平定に難航しておりました。


将軍様:足利義昭のことです。将軍職を返上していないので、一応「将軍様」と呼ばれています。安芸で毛利家の庇護を受けています。


荒木村重:史実では1579年12月に有岡城から妻子を捨てて逃亡しております。


野口政知:平手政秀の弟、野口正利の子。史実では何年生まれで何年死亡かわかりません。


浅井万寿丸:浅井長政と市の子で、市とともに清州で暮らしております。いずれは織田家の一門衆として領地を与えられる予定です。まだ10歳です。



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[気になる点] 周辺、および摂津南部、和泉を与えられ新たに伊予平定の任を受ける。 ↑ この文の主語、というか与えられた対象は誰なんだろう。話している主人公でもないはずだし。 長曾我部家は信長様より四…
[気になる点] 摂河泉を与えられた人の名がぬけてます。裏年賀の話で原田氏だと思いますが。
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