19.我がご主君への献策
三話連続、五部完まで投稿します(二話目)
服部殿を村井様に紹介した後、俺は淀城に立ち寄った。本多弥八郎に説明して服部殿に付ける兵の調達を村井様と調整して行うよう指示する。弥八郎は珍しく礼を言って頭を下げた。同じ徳川家を追い出された者として思うところがあったのだろうか…。諸般を任せて俺は本来の任務である海老江砦に戻ってきた。
海老江では目立った動きはなく、池田の親父殿も暇を持て余していたようで、俺が持ち帰ってきた話を面白そうに聞いていた。
翌日、各部隊の侍大将が本陣である天王寺砦に集められた。前日に信長様からの文を総大将の原田様に届けており、その内容を元に軍議を開くためだ。集まった諸将を一通り見た原田様が口を開く。
「大殿より新たなる命令が届いた。…ひと月以内に本願寺に決定的な打撃を与えよ、とのお達しだ。これより軍議を開きどう攻めるか決定する。皆の意見を述べられたし。」
原田様の言葉の後、諸将は顔を見合わせて沈黙した。今まで何年もかかってこの状態の石山をひと月で大打撃を与える…。普通に考えれば無茶ぶり極まりない。誰も意見を言わないことを確認した原田様が俺に合図を送った。…また俺に。俺は立ち上がった。図体のデカい俺は皆が座っている中で立ち上がると圧迫感半端ない。こうやって余計なことを言わせないように圧力を掛けておいてからゆっくりと言葉を発した。
「既に聞き及びと存じますが、先日池田殿の陣に亡命者が転がり込んできております。」
周囲がざわつく。聞いてないぞ的な。ああ、言ってないさ。
「その方は既に某の手で丁重に安土へお送りし大殿の許可を得て庇護し奉りました。」
言い方からそれなりの身分だと理解するだろう。
「その方曰く、石山の中は醜き派閥争いを引き起こして分裂しているとのこと。この事実とどの派閥がどれくらいの規模で石山内のどこを拠点としているかを知れば敵に打撃を与えるのは容易き事。」
再びざわつく。うるさいぞまだしゃべってる途中だ。と考えていたら原田様が手を上げられた。
「鬼面殿は、先の話で大殿に謁見し直接石山に対する指示を聞いておる。この文も鬼面殿が儂に渡したものだ。鬼面殿は大殿からお聞きした作戦を皆に説明しておるのだ。…心して聞け!」
ナイスアシスト。不満顔もあるが黙ってくれると説明しやすい。
「先も申し上げた通り、石山の内部はボロボロである。既に内通者も出ておる。現に某も伊賀者と雑賀を受け入れておる。ちょこっと突けばこちらに転がりこもうとする輩が出てくるであろう。それらを丁重にもてなし、内部の事情を探れば…。」
「そんなやり方でひと月であの石山を落とせるのか!?」
いかつい武将が立ち上がって恫喝するように声を出す。森可隆様だ。父、可成様の後を継いで信長様直臣ではあるが、少々気が荒いお人だ。見ろ、原田様が面倒くさそうな顔してるじゃないか。
「森殿、此度の戦、敵は誰かとお考えか?」
「何を今さら!本願寺の坊主共ではないか!」
「いえ、本願寺は石山から追い出す対象であり、敵は本願寺を私欲に利用する坊官共でござる。…これを間違えては石山に群がり飢えに苦しんでいる民百姓共まで相手をすることになり、また被害を出すことになるぞ!」
言い返してやった。以前に天王寺砦で戦った時は民百姓を相手にしていた。あの時は百姓同士で略奪が横行したからやむを得ず手を出した。おかげでこちらにも被害が出た。今は織田家の力が勝っており、百姓どもを閉じ込めに成功している。原田様が苦労してやっているのだ。なのにまたも虐殺という悪名を高める戦は必要ない。
「…特に下間家は、刑部卿家、宮内卿家、少進家で三つ巴の権力争いをしている。これに加賀からの七里家なども加わってきた。我らに付け入る隙はいくらでもござる。こちらの誘いに乗ってやってくる輩を丁重に扱い情報を収集されたし!」
皆黙り込んだ。どうやらここに集まっている連中は脳筋ばかりのようだ。原田様が苦労されているのが納得できる。俺は原田様に一礼し座った。
「九郎殿の言、いちいち最も也。儂も平野衆に命じて坊官どもに声を掛けてみるとしよう。皆も励め!」
原田様は諸将に向かって激励するが、ここにいる者たちの表情は暗い。池田の親父殿は俯いて笑いをこらえておられる。…とにかく策を弄することが苦手な者たちの集まりなのだ。親父殿が笑いをこらえるのも仕方がない。この戦、原田様と親父殿で手柄を山分けになるな。
軍議が終わり、俺は予定通り部隊を親父殿に預けて美濃に帰るため原田様に挨拶を行った。原田様は残念そうな表情で俺の挨拶を受け取った。
「東側の次の戦に駆り出されるそうじゃな。しかし、長いこと若殿から離れて働いておったな。」
「はい。しかしながら美濃から遠くに出張るため、勘九郎様とも暫くお会いできないのですが。」
「出張る?何処へ?」
「企業秘密です。」
「き、きぎゃう?…ま、まあ達者でな。お主のお陰で本願寺は何とかなりそうだ。だが、儂の家臣にも交渉や知略に長ける者が必要だわい。」
そう言って笑顔を見せるがすぐにため息をついてしまった。
「安井殿に相談されてはいかがですか?かの者は畿内で顔も効きます。」
原田様は頷いた。俺からも安井殿にお願いしておこう。
俺は海老江の陣に戻り、俺の代わりに津田隊を率いる多賀勝兵衛に指示を与えるとその日の夜の内に美濃へと向かった。
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1579年6月-
波多野秀治が籠る八上城が落ちた。明智様が辛抱強く周辺の国人を調略し、孤立した波多野秀治は降伏に応じて城を開城した。その後、安土に送られ同地で処刑される。
明智様は八上城を落とした勢いで丹波を平定し、再び荒木村重の籠る有岡城の包囲網に加わった。勢いに乗った織田家は丹羽様細川様の軍勢をもって丹後へと攻め込んだ。
上杉家が勢いをなくし、徳川家が滅び、波多野家が降伏したことで織田家包囲網は完全に瓦解した。後は抵抗する諸豪族を個別に蹴散らし、毛利家と本格的に対峙するだけであった。
1579年7月-
明智様は京で公家衆と茶会を開いていた。目的は織田家の威光を公家共に知らしめるため。信長様の許可も頂いたうえでの茶会であり、本来なら問題なかったはずなのだが、明智様がその茶会にて吹聴された内容が信長様の耳に入り激怒された。
私はこの時、遠く武蔵の国に出張っていたため何もできなかったのだが、この事件がお二人の亀裂を大きくされたのだと考えている。
“某は織田家中で最も苦労をしている。それ故織田の大殿に最も厚い信頼を受けている”
私は明智様がこのようなことを公家衆の前で言うお方とは思えない。誰かが作為的に信長様の耳に入れたとしか思えない。だが、激怒した信長様を誰も諫めることはできず、明智様は謹慎を言い渡された。蒲生軍と三好軍が有岡城を取り囲み明智軍は亀山城に撤退した。明智様ご自身は坂本城で謹慎となられた。
この事件がなければ畿内の平定はもっと早くに成ったであろう。逆に言えばそれほどまでに信長様は激怒されたということであった。
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1579年6月末 美濃国岐阜城-
山頂に佇む天守の応接の間で、俺は勘九郎様と謁見した。同室されるのは、塩川様、平手様、増田様、竹中様、斎藤様、そして鈴姫様。
下座には俺と、丹羽源六郎、蜂須賀彦右衛門、池田庄九郎。
密談である。
面子は俺から勘九郎様に申し上げてお集まり頂いた。場所も金華山にして護衛も女中も遠ざけた。
「無吉、内々の話があるということで皆に集まってもらったが、鈴まで呼んだ訳もちゃんと説明してくれるのであろうな。」
勘九郎様の第一声は俺を怪しむ言葉であった。当然だ。全く事前の説明もせずにお願いしたのだ。
「はい、武田攻略についてお話したき議がございます。」
皆が黙っている。やはりここにいる方々はちゃんと最後まで話を聞いてくれる方々だ。安心する。
「この話は既に安土の大殿様にもご許可を頂いておりますことをご了承ください。」
皆驚く。当然だ。本来は勘九郎様を差し置いて俺がやっていいようなことではない。今回だけ特別なのだ。それをまず理解して頂こう。俺は信長様に説明した甲斐の現状をご報告した。確証が取れていないことと今から調査ができないことも説明する。そのうえで逃げた徳川家康が狙っていることを口に出した。
「…武田家の…乗っ取り?」
勘九郎様が訝しむ。そりゃそうだ。
家康には今正室がいない。武田家と同盟を取り付けるには武田の血を引く娘を正室に迎えることが手っ取り早い。だが、領地を失った家康に勝頼は娘などやらんであろう。ではどうするか。
寡兵で甲斐に乗り込み、徳川寄りの国人衆を抱き込んで姫を奪えばよいのだ。体裁は後からとりつくろえばよい。押し掛け婿として強引に甲斐を乗っ取ればよいのだ。そのために徳川家は重臣とともに遠江から逃亡している。恐らく自身の最も信頼する兵も残しているだろう。そして徳川家の侵入を防げる余力が武田家にないと想像できる。先の織田家との戦で先代からの重臣の多くを失い、甲斐全体をまとめる力が不足しているのだ。更に武田の諸流の一族がこれを機に発言力を高めようと当主に反発しているのだ。
調べた結果ではない。だが、俺は知っている。武田は滅ぶべくして滅んだ。前世の記憶では織田家によって一掃されたが、ここでは徳川家によって奪われようとしているのだ。見逃すわけにはいかない。
俺は一通りの説明をしてから全員の表情をうかがった。途方もなく信じがたい内容に一様に驚いていた。俺は一呼吸おいてから本題に入った。
「家康が今何処で何をやっているかわかりませぬ。ですが確実に武田家を奪う算段を進めていることでしょう。ですがこの計画、我々も同じように遂行することができるのです。信濃衆、奥三河衆の伝手を使って武田の縁戚と接触し、武田家存続を条件に姫を迎えて和睦することで徳川家よりも先に甲斐を手に入れることが可能なのです!」
皆の表情が一変した。思いもよらない作戦。信長様が到底了承されるとは思えない作戦。俺が一世一代の大博打で了承いただいた作戦だ。
「無吉の話は分かった。ここに鈴を呼んだ理由もな。私の正室として武田の姫を迎え入れ、勝頼を隠居させて織田家に従う者を当主にさせる。武田の親族にそう持ち掛けるということだな?」
「はい。」
「鈴ならば問題ない。側室として弁えておる。長満もその辺は理解しておる。」
塩川様が頭を下げる。…いや、そうじゃないんだ。
「殿、私がお迎えしたいと考えている姫様は“松姫”様にございます。」
勘九郎様は扇子を落とされた。部屋にいた全員が表情を変えた。
「ば、馬鹿な!かの姫君は先代信玄が亡くなった時に出家されその後命を落としたと!」
平手様が身を乗り出して叫んだ。俺は首を振る。
「生きております。出家もしておりませぬ。」
今度は斎藤様が身を乗り出した。
「先の戦で捕らえた武田兵から聞き出した情報ぞ!それが間違っていると!」
俺は頷く。
「信玄亡き後、勝頼に権力を集中させんがため、武田の血を引く女子は密かに甲斐から遠ざけられました。そうして血縁から物言う力を奪い勝頼の下で一枚岩になるよう再編が行われました。」
皆が俺の話に聞き入っていた。
「そして、このことを知っているのは信玄に重臣として仕えていた者だけです。」
皆が一斉にあっと驚きの声をあげた。この話、俺には知ることができたのだ。話してくれるまで時間がかかったがな。
武田家は勝頼の求心力が衰え、分家やら傍系の一族が台頭している。こ奴らを黙らせるには勝頼ではなく、先代信玄の娘を手に入れ宗家に成り代わることが必要だ。松姫様は信玄の正室の子ではないが、武田家の血を引く実子で、信玄自身で「儂の娘」として織田家に紹介しているからこれ以上の打ってつけはいない。そしてその姫様は生きておられる。
「私が庇護する二人の武田老臣が教えてくれました。姫様が居られる場所も。但しその場所は北條の支配下であるため、早々に小田原に向かい筋を通さねばなりませぬ。」
俺は一礼した。
部屋は静まり返っている。経緯を知っているだけに竹中様も塩川様も何も言えず黙り込んでいた。勘九郎様は呆けたように虚空を見つめている。申し訳ありません。あまりにもいろんなことを言いすぎました。でも早く現実に戻ってきてください。
一同が勘九郎様に注目した。何を思われているのであろうか、視線が何かを追う様に動いていた。そこへ意を決したように側にいた鈴姫様が勘九郎様の手を握った。
「…介様…しっかりなされませ。あなた様は私程度ではお支えできぬほどの責をこれから背負うのです。お支えする女子が五~六人増えたところで私自身に変わりはございませぬ。…松姫様のお話は女中をしていた頃よりたくさんお伺いしております。そのお方はきっと…私と共に介様をお支えすることでしょう。私などに遠慮などなさらず…お迎えなされませ。」
ほほう。「介様」と呼ばれておるのか。いいことを知った。…いやそうじゃない。さすがは鈴姫様。勘九郎様が迷っていることをズバズバと皆の前で言ってしまわれた。ほら半兵衛様が笑いをこらえているぞ。塩川様が頭を掻いているぞ。
勘九郎様はゆっくりと振り向き鈴姫様の顔を見た。そして握っている手に視線を落とした。
「鈴、私はいつもお前様に助けられているようだな。」
「これからもお助け致します。」
「わかった。」
何か吹っ切れたようで勘九郎様は姿勢を改め、落とした扇子を拾い上げて俺を指した。
「此処に彦右衛門と庄九郎を呼んだのは、共に小田原に行ってもらうためであろう!…源六郎は私の傍に残ってもらうがな。今の話…猶予はない。先手は家康が打っているのだ。今すぐ小田原へ向かえ!筋を通したうえで松姫殿を私の前に連れてくるのだ!」
ははっと俺は頭を下げる。彦右衛門と庄九郎もそれに倣う。
「平手!増田!急ぎ仁科家に取り次ぐのだ!武田家を絶やさぬ為に、家康に乗っ取られぬ為に、織田の為に動くよう手配せよ!」
ははっと二人が平伏した。
「長満…心配するな、鈴は、鈴だ。」
「心配しておりませぬ。ですが、松姫様も安心してここで暮らして頂くには後ろ盾も必要です。仁科家は直臣として迎える算段をしたほうがよろしいかと。」
「長満がそういうのであれば進めよ。無吉、何をしている?早う行け!」
俺は慌てて部屋を出た。彦右衛門と庄九郎がそれに続く。…よかった。鈴姫様のおかげで良い方向に流れた。勘九郎様の笑顔も見れた。これで北條家から許可を頂いて松姫様一党をお迎えできれば武田家を取り込む下地が出来上がる。できるだけ早く信濃北部と甲斐上野を平定すれば、本能寺の変までに時間を稼げる。
岐阜城を出発し、熱田から舟で小田原へ向けて出発した後で、同行する今井兼久殿から聞かされた。
明智様が信長様の勘気を被ったことを。
森可隆:本物語では、対浅井戦で負傷し隠居した可成の後を継いで森家当主として生きております。近江に所領を持ち、信長直臣として活動しておりその自負が少しばかり強いようです。
波多野秀治:八上城にて明智光秀の母を殺し、光秀の怒りを買って殺されたとかいう話がありますが、どうやら創作のようです。(作者は初めて知りました)
塩川様、平手様、増田様:信忠旗下の奉行衆です。
鈴姫:塩川長満の娘で元々信忠の世話係でしたが、血迷って?お手を付けられ子ができたので側室として迎えられております。旦那様を“介様”と呼んでいることが発覚しました。
松姫:武田信玄の娘として信忠と婚約していた姫君です。史実では信玄の死後、実兄盛信のいる仁科家に移って暮らしていましたが、武田家滅亡時に出家し、武蔵に落ち延びたそうです。




