第3話:女子寮
レーヌに先導され、リースは学園内のある場所へ案内されていた。
背中に巻きつけるように大剣ヴィクトワールを背負っているが、歩く分には支障はない。
ただ、ほぼ真横にして背負っているので、狭い通路やドアを抜けるときにカニ歩きになる必要があるが。
「ここが今日からあなたが過ごす場所よ」
「ちょっといいか、レーヌ」
「何かしら?」
「なぜ女子寮なんだ!」
リースは激怒した。
そりゃあ学園生活にあこがれが無いといえば嘘になるし、その上、衣食住まで保証してくれるのはありがたい。だが、レーヌが案内したのは、学園内の女子寮だった。
「あら? だってリースちゃんは女の子なんだから、女子寮は当然じゃない」
「男子寮もあるのだろう?」
「あるけどダメに決まってるでしょ。野獣の檻に生肉を放り込むわけにいかないもの」
「と、とにかく! クラスならまだしも、寝食を若い女子と共にするわけにはいかないだろう?」
『あのなぁ、お前はもうハーフエルフの女の子なんだよ。ま、早く慣れるこった』
ヴィクトワールとレーヌに無理矢理押しこまれるようにして、リースはしぶしぶと女子寮に足を踏み入れた。建物の年季は入っているが掃き清められており、むしろその古さが歴史ある芸術品のような雰囲気を醸し出す。
「ちょっと古いけれど、中身はとても綺麗な場所よ。リースちゃんもきっと気に入ると思うわ」
「女子寮という点を除けばな」
今は皆、授業で出払っているのか、ほとんど人影は見えなかった。
日当たりのよい廊下を歩き、目的の部屋に着く。
寮は全体で三階建てになっていて、最上階の最奥部がリースの部屋になるらしい。
「さ、どうぞどうぞ」
「仕方ないか……」
レーヌが笑顔で木製のドアを開け入るように促すと、リースは観念して足を踏み入れた。
そして、室内を見て目を丸くした。
「……いい部屋だな」
リースが嘆息すると、レーヌが得意げに微笑む。
「でしょう? ここの寮はどこも日当たりもいいし、手入れもきちんと行きとどいているのよ」
レーヌの言うとおり、案内された部屋はとても綺麗だった。
使いこまれて絨毯が少し毛羽だっているが、埃などは見当たらない。
小さめの机とクローゼット、そしてベッドが二つ。ベッドの下には引き出しがあり、私物を入れられるスペースがある。
多少シンプルではあるが、もともと野宿が多かったリースからすると王宮にも匹敵する住居だ。
「どう? 気に入った?」
「ああ、部屋が片隅にあるというのもいい。ひっそりと潜伏して生活する事が出来る」
「……それはちょっと無理かと思うけど。とにかく、今日からここがリースちゃんのお部屋ね。あなたは今は一文無しだけど、私が後見人としてお金は払うから大丈夫よ」
「済まないな。いつかこの借りは返す」
「いいのよ。どうせお金なんて余ってて使い道が無いし」
「……食うや食わずの生活だったのに、本当に五百年経ったのだな」
リースはどこか寂しげにそう呟いた。
再び仲間と会えたのは嬉しい。だが、その間、彼らはどんな思いで過ごしてきたのだろう。
そして、その気持ちを共有出来ない事が、少しだけ寂しかった。
『まあいいじゃねぇか。幸い、俺たちゃ長寿だしな。お前さんもハーフエルフの若者になれたんだ。人間よりずっと寿命は長い。これからまた色々馬鹿やればいいだろ』
「そうだな」
済んだ事を嘆いても仕方ない。性別も種族も常識もまるで違うが、だからこそ出来る事もあるはずだ。リースはそう考える事にした。
「で、飯はどうすればいいんだ? この近くに適当な狩り場があれば、肉を調達してきたいんだが」
「……リースちゃん、頼むから現地調達はしないで。購買で食材を買って自炊用の厨房を使うか、離れに食堂があるからそこで済ませて」
「えっ!? 専属の料理人がいるのか!? ここは離宮か何かなのか!?」
『……こりゃ、学園生活を送らせるのに苦労しそうだ……』
ヴィクトワールがそう呟くと、レーヌも黙って頷いた。
ただ、リースだけが不思議そうに首を傾げていた。
「あー、しかし疲れたな……この程度で根を上げるとは、随分と軟弱になってしまったなぁ……」
レーヌから一通り女子寮の説明を受けた後、リースはベッドに体をあお向けに投げ出していた。
昔は一晩かけて山越えしてもへっちゃらだったのに、今日は多少歩き回っただけで全身が疲労を訴えている。
『仕方ねぇさ。お前の体はハーフエルフの子供なんだぞ。むしろ体力がある方だ』
「ハーフエルフなぁ……そう言われてもあまりピンと来ないな」
リースはそう言って、柔らかな金の髪に指を伸ばす。
耳に触れると、確かに過去の物と違い、少しだけ長く尖っている。
だが、それ以外は人間とあまり変わらないようにも思えた。
というか、前世との落差が激しすぎて、むしろ共通点が見当たらない。
「ヴィクトワール、少し頼みがある」
『何だ? 金なら持ってないぞ』
「違う。どうにも眠くてたまらん。少しだけ仮眠を取りたい。不審者が来たら起こしてくれ』
『あのなぁ、戦場じゃねぇんだから普通に寝ろよ』
「いいから頼む……正直、目を開けている事すらつらい」
『へいへい。怪しい奴が来たら起こしてやるよ』
ヴィクトワールの返事が終わるか終わらないかのうちに、リースはすやすやと安らかな寝息を立て始めた。漆黒の大剣に表情は無いが、心なしか少女の眠りを満足げに見守っているように見えた。
それから数時間後、何者かの気配を察知し、リースは反射的に飛び起きた。
目の前の怪しげな人物の腕を捻り、そのまま体をねじり、ベッドの上で体勢を反転させる。
リースが馬乗りになり、その人物をあお向けに押さえ付ける。
「痛っ!? は、放してください!」
「何者だ!? 刺客か!?」
「え? えっ? 丸いですけど?」
少女の言うとおり、彼女は丸くて野暮ったい眼鏡を掛けていた。
栗色の髪を三つ編みにした、どこか垢抜けない感じのする地味な少女。
野生動物のように短時間の睡眠を繰り返すリースにしては熟睡していた方で、完全に油断していた。
これが魔物だったら起きる事無く死んでいた。
やはり、元の肉体のように勘が働かない。
『おい、やめてやれよ。痛がってるじゃねえか』
「ヴィクトワール! 不審者が来たら起こせと言っただろう!」
「え、ふ、不審者!? ち、違います!」
「だったらお前は何者だ!? なぜ私の部屋に潜入した!?」
「だ、だって……ここ、私の部屋ですし……あなたが寝てるの私のベッドだし……」
「は?」
リースは掴んでいた手を緩める。
よく見ると、彼女の服装には見覚えがあった。
「それは……クラスの制服か?」
「は、はい。そうですけど。今日、新しい子が来るって聞いてたんですけど、まさかリースレットさんだったなんて」
「なぜ私の名を知っている?」
「だって、さっき教室で自己紹介してたじゃないですか」
そう言えばそうだった。リースはすっかり失念していた。
緊張していたというのもあるが、この少女が地味すぎて、気付かなかったのもある。
『不審者が来たら起こすって言ったけどよ、その子はお前さんのルームメイトだぜ? むしろ、見知らぬ人間が自分のベッドで寝てたんだから、お前の方が不審者だぞ』
リースは赤面し、慌てて少女から手を放す。
そして、バク宙して地面に着地し、土下座した。
「す、すまなかった! 知らぬとはいえ、若い乙女を押し倒すなんて不埒な真似を!」
「え? え? ええ……?」
いきなり引きずり倒されたと思ったら、今度はアクロバティックな土下座をし、若い乙女を押し倒した事を恥じる自分よりさらに若い乙女に対し、少女は困惑するばかりだった。
「い、いえ、もういいんです。何だかよく分からないけど、顔を上げてください」
眼鏡の少女がおっかなびっくり声を掛けると、リースは面を上げた。
リースからすると、いたいけな少女に無駄な暴行を加えたようで、何とも気恥ずかしい。
そんなリースに対し、眼鏡の少女は優しく手を差し伸べ、リースを立ち上がらせた。
「ええっと、自己紹介がまだでしたね。私はマリマリと申します。今日から、あなたと一緒にこの部屋で暮らさせていただきます。同じハーフエルフの仲間が出来て、とても嬉しいです」
丸眼鏡を掛けた少女――ハーフエルフのマリマリは、少し緊張しつつも笑ってそう言った。




