61.挨拶回りしました
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「チーちゃん、なんて人と知り合いなのよ。」
政治家が珍しいのか順子さんはまだ振り返って見ている。
「ウチの社長の友人なんだよ。気さくで良い人に見せかけているけど、結構老獪でね。割り込みでアポを入れるんで待ち時間に話し相手をさせられていたんだ。」
社長との間に挟まれた秘書たちが困り顔で御用聞きのような真似をさせられていたらしい。実際、俺に伝言するだけで帰っていくことも多かったから結果オーライだったのだろう。
ハッキリ言って持っている権力の割りには優先順位が低いのだ。社長の中ではもっと優先順位の高い人物が多く居る。それが解っているだけに秘書たちは困っていたのだ。
「しかもSNSでやりとりする仲だなんて。あー驚いた。」
「恋人として紹介したかったんだけど。流石にその格好じゃね。」
単に友人として紹介した。まあ明らかに成人している女性を未成年の俺が恋人として紹介されても困るだろうけど。
「あーっ。・・・うん・・・気をつけます。」
順子さんが自分の姿を見下ろす。少しは反省してくれる・・・いや2人っきりなら・・・オネエと男の間で心揺らいでしまった。
「もしかして好きなタイプだった?」
「ま・・・ね。ずっとチーちゃんの目線で話していたじゃない。ああいうところは凄いと思うわ。」
俺の目線・・・は順子さんの胸だ。道理で目線が泳いでいたはずだ。チラチラ見ていたらしい。これはシッカリと御代を頂戴しなくてはいけないな。
その後はずっと名古屋まで2人っきりの世界だ。大胆なドレス姿の順子さんを堪能しまくった。
『♪~ ♪~♪~♪~ もうすぐ京都、京都に到着します。』
堪能しすぎて順子さんの胸を枕にして寝てしまったらしい。朝1番に出たから流石に眠たかったのだ。
「何・・・起きてたの?」
涎を付けてないか確かめつつ、そっと起き上がると順子さんと視線が合う。
「うん。チーちゃんの寝顔を堪能しちゃった。」
順子さんは順子さんで堪能したらしい。絶対に俺の顔が真っ赤になっているぞ。
「さあ降りよう。京都は停車時間が短いから、さっさと降りないと。」
「はあ。」
「何を溜息を吐いているんですか志保さん。」
撮影所の前で待ち合わせしていた志保さんは着物姿だった。普段は大胆に肢体を晒す『西九条れいな』の姿は何処にも無かった。
その代わり、陽子さんのように玄人の女性、それも裏の世界の雰囲気を持つメイクをしてきたのだ。相変わらずナリきるのは上手いな。
「だって誰1人として私の方を見ないんだもん。」
ありゃ幼児化してる。
「単に嫌われているだけじゃないんですか?」
まあ理由は1つしかない。撮影所のスタッフも男性だったというわけだ。露出が全く無い着物姿と今にも見えてしまいそうなドレス姿ではドレス姿の方へ視線が向いてしまうのは仕方が無い。
「私のステージママ計画がすべて、おじゃんよ。どうしてくれるのよ。」
地団駄まで踏んでいる。草履なのに器用だな。
「子供じゃないんだから、付いてこなくてもいいって言っているじゃないですか。それとも何か思惑があったんですか?」
「『西九条れいな』引退説が流れないかなと。」
業界内で散々叩かれても映画出演を断り続けてもオファーは減らないらしい。そこで引退説を流そうと画策したらしい。なのに大胆なドレス姿の順子さんと俺が挨拶回りに行けば、順子さんと志保さんを混同することもあるかもしれないな。
「でも無表情からの微笑みを連発していましたよね。あの瞬間だけは心を鷲掴みになっていましたよ。彼ら。」
「だって愛想良くしないとダメだと思って。」
あれで愛想が良いと思っているらしい。普段から表情の違いが解る俺だから言えるが、大半の時間は無表情どころか無愛想だったぞ。
「ヒデタカ調子はどう?」
メインスタジオに入っていくと前日入りを果たしていたユウタ、ヒデタカ、タツヤが視界に入る。順子さんはスタジオの壁の花になるようだ。
「あっ・・・チヒロ・・・助けてくれぇ。発声でダメ出し食らうんだ。」
ド素人の彼らにみっちり1日掛けて演技の基本を叩き込んでいる。明日からクランクインだ。
「発声ね。難しいよね。さては養成所のメニューを端折ったわね。」
俺も含め彼らは、九星芸能の養成所でマンツーマンで好きな時間帯で訓練を受けられるように和重さんが設定してくれたのである。
ヒデタカはきっと目新しいメニューばかりを選択したんだろう。基本中の基本である発声方法の訓練を受けなかったらしい。
「だって発声練習だろ。」
基本的には学校の音楽の時間に習う発声練習と大きな違いは無い。
「そもそも音楽の時間、真面目に受けたことあるの?」
「うっ。」
「もしかして、合唱のときに大きな声を出したことが無いんじゃ。」
「うっ。」
やっぱりね。大部分の生徒がそうだが合唱のときに大きな声で歌うことが恥ずかしいと思っている節がある。
各パートも合唱部などの一部の人の歌声と普通の大きさの乱雑とした歌声の2つしか聞こえないことの方が多い。
ソロで歌わせると下手をすれば普段の喋っている声よりも小さいことさえある。
「あのね。漫才師でもマイクを使わずに場内に響き渡せる訓練も受けているの。いい機会だから、完璧にマスターしてみればいいと思うよ。」
「他人事だと思って。」
「もちろん他人事よ。ミックスボイスで合唱並みの声量を出せば声が潰れるの。そんなこと誰も望んでないわ。」
「だったらチヒロも発声方法の訓練受けてねえじゃん。」
「そうね一緒よ。アタシから頼んだけるね。」
下地が違うとか声が裏返りそうになるミックスボイスを長く続けるために訓練をしたとか。どうでもいいことだしね。余りスタートラインで自信を無くされても困るから、こんなものかな。




