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57.抱きませんでした

お読み頂きましてありがとうございます。

「えっ。順子先生にタツヤとヒデタカまで・・・どうして?」


 翌日は高等部の文化祭だ。宣伝用の衣装に着替えるとユウタの待つ教室の前に急いだのだが、ユウタだけでなくヒデタカとタツヤ、順子さんもタキシード姿で待っていたのだ。


「順子姉がどうしてもチヒロと1番に練り歩きたいんだと。あとの3人は交代要員。まあビラ配りの人員も必要だしな。」


 流石のユウタも呆れたようだ。


 催し物は高等部・中等部の両方の1階と2階の教室を使って行われ、広い場所が必要な場合は体育館だ。


 上条さんたちのダンス部は文化祭終了前の30分、体育館を使って行われる。もちろん応援に駆けつける予定だ。その代わり、午前中と午後の一部はミッチリ教室の催し物である倒錯喫茶で扱き使われることになっていた。


「な・・なによ。担任なんだから、いいでしょ。」


 俺の冷たい視線に耐え切れなくなったのか。明らかに動揺している。


 当たり前だが教室の催し物は各教室の生徒だけで行われることになっている。担任の先生は管理監督だけだったはずだ。それなのに企画段階から踏み込み。果ては実行まで関わろうとしているのだ。


 教師の自覚を持って欲しいと思っても無駄なんだろうな。


「アタシ結構重いわよ。大丈夫なんですか?」


 既に周囲には人だかりが出来つつある。もう決定事項なのだ。宣伝活動に担任の先生が付いて回ることも珍しいことじゃない。そう自分に言い聞かせる。


 合気道を習っていたころから、足腰には自信がある。今でも歩けるところは歩いて行くことを基本としている所為か見えないところに筋肉が付いている。


 その分、見かけよりは体重が重いはずだ。


「軽い軽い・・・か・・・るい・・・わよ。」


 俺が順子さんの首に捕まり、順子さんが片腕で俺の膝を抱える。


 思ったよりも随分重かったのだろう。それでも踏ん張り俺を抱えあげる。何が何でも欲望のままに生きたいようだ。困ったものだ。


 まずは高等部の1階を練り歩く。イケメンが3人もビラ配りをしているのだ。あっという間に人だかりが出来る。その人波を割って行くように進んでいく。


 その後、中等部の2階に上がり、奥まで行き、1階に下りて高等部まで戻ってきて高等部の2階に上がる。


 これを午前中と正午の2回行う予定だ。


 紅1点の順子さんは仁王みたいな顔でいっぱいいっぱいの様子。愛想を振りまく余裕も無い。


 その分、俺たちが愛想を振りまく。ビラには各人を指名できる半券が付けられており、その券を使えば3分ほど席に着いてお喋りできる仕組みになっている。


 やはりユウタの人気が圧倒的でビラが凄い速さでなくなっていく。ついでヒデタカ、タツヤの順だ。俺の分はなかなか減ってくれない。


 近寄ってきてくれた中等部の女子生徒に渡そうと手を伸ばすと順子さんが反対側によたよたと歩き、反対側に居た高等部の男子生徒に渡そうとすると、また反対側に歩いていった。


「先生・・・降りますよ!」


 流石に3回も続けば、邪魔をする気なのはバレバレだ。中等部の2階に登ったところで順子さんの首から手を離し、廊下に降り立つと有無を言わさず、タツヤの首に手を回す。


 タツヤは恐る恐るといった様子で俺の膝を抱える。やっぱり、安定感が順子さんと違うよな。目の前のタツヤの顔が真っ赤なのは頂けないけど。


「ああっ。もう・・・。」


 目は俺を追っているが俺の冷たい視線に気付いたのか。それとも体力の限界だったのか。その場にへたり込んだ。


 中等部の1階に降りたところでヒデタカに交代するとコッチもヨロヨロだった。すぐにユウタと交代する。3人の中で一番身体の小さいユウタだったが軽々と俺を抱えると抜群の安定感を出した。


 これは裏でコッソリ鍛えているな。武道大会のときも何も言って無かったよな。まあヒデタカと違って自慢げに語るタイプじゃないから言わないだけか。


 渚佑子さんに頼めばプライバシーの奥深くまで踏み込んで調べることも出来るのだが友達を裏切るみたいで、そこまではしたくない。まあそのうち話してくれるだろう。


 あれっ・・・。


 中等部の1階から高等部の2階に上がると、順子さんがへたり込んだままだった。


「順子先生。これを飲んで。」


 俺はユウタに降ろして貰うと順子さんの傍まで行き、ポケットから薬を取り出し手渡す。


「これは?」


「漢方薬の痛み止め。『ぎっくり腰』でしょ。」


 『ぎっくり腰』のところだけは耳元で囁く。武士の情けだ。


「にがーい。」


 ポケットから取り出した薬を何も聞かずに飲んでくれた。信頼されているのだったらいいけど、何も考えて無いだけかもしれないんだよな順子さんの場合。


「全部飲んだ?」


「飲んだよー。」


「もういいかな。さあ立って! 保健室行くよ。」


 スマートフォンで5分経ったことを確認すると保健室へ行くように即す。


「えっ。嘘、運んでくれるんじゃ無いの?」


 へたり込んだままだったのは俺に抱きかかえられたかったらしい。重量あげの選手じゃない自分よりも大きな女性を持ち上げるなんて、いくらなんでも無理だ。


「立って立って・・・大丈夫だって!」


 順子さんは恐る恐る立ち上がる。やっぱり信頼してくれている訳じゃ無いらしい。


「痛く無い。なにこれ。」


 痛み止めだって言ったのに・・・。飲んで直ぐに歩けることが不思議なようだ。


「おはようございます。マドンナ先生。ベッドを貸して下さいね。」


 早い時間帯だからか。保健室にはマドンナ先生が居た。


「えっ。どうしたの? オッパイが張ってきた?」


 いきなり何を言い出すんだ。この人。


 そういえば性同一性障害と誤解しているんだっけ。


「ち、違いますよー。女性ホルモンは、ま、まだやってません。」


 これからも絶対やらないけど。絶対真っ赤な顔しているぞ。


「あら高柳さん。どうなされたの。ペンギン歩きなんか・・・ははん。頑張り過ぎたのね。腰・・・やっちゃった?」


「ええまあ。」


「お盛んねえ。教師は業務量も多いんだから、彼氏とエッチするのもほどほどにしなさいね。」


「違いますっ。」


 確かに週3日で毎回2回はエッチするもんな。多いかもしれない。


 指折り数えて顔を上げるとマドンナ先生と視線がかち合う。


 しまった。俺が答えてどうする。


「違うんです。チーちゃんを抱え上げて階段を登ってきたときに『ぎくっ』となったんです。」


 珍しく順子さんからフォローの言葉が聞けた。


「そ、そうなんです。とりあえずアタシが持っていた痛み止めを飲ませたんですけど、ベッドの上でストレッチしてもらう積もりなんです。」


 思わず早口でまくし立ててしまった。危ない危ない。


「ああこれね。これを飲んだのなら痙攣は止まっているわ。トモヒロくん。良く知っていたわね。」


 順子さんが飲んだ漢方薬の空袋を見せると納得してくれたようだ。


 ぎっくり腰は、腰の周囲の筋肉が痙攣しておこるもので、直接筋肉が損傷するわけでは無い。痙攣している筋肉を無理やり使おうとして損傷する。だから痙攣を止めてくれる漢方薬を飲んだ後、ストレッチすれば直ぐに治るのだ。


「母が時々罹るので。ほら順子先生、ストレッチして下さい。今日は1日寝ていてください。文化祭が終わったら迎えに来ますから。」


 これは嘘だ。流石にマドンナ先生相手にマッサージのときに使うなんて言えない。特に志保さん相手のマッサージはエロマッサージと大差無いから説明出来ないのだ。


「そうね。疲れも溜まっているんでしょう。今日は無理をせず、ゆっくりと寝てなさい。トモヒロくんのクラスは私が時折見に行くから。」


 順子さんは不満そうな顔をするが、ベッドの上でゆっくりと伸びをすると寝てしまった。まあ自業自得だからな。

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