第35話 過去を越える一撃
自分のダンジョンに飛び込んできたクロノをリザは見た。
彼は、百層目の床に血を零しながらも戦意ある学生たちを見ながら、自分たちの傍へとやってくる。
「お疲れです、リザさん、ブラドのおっさん。……二人も結構出血というか、怪我してますね」
「あ、はは、そうだねえ。ダンジョンでクロノを待っている時は、大体、こうなってるね。……それよりも、片方の鬼神を討伐してくれて、ありがとうね。お陰でグレイブ王が参戦してくれて、学生たちを守ってくれたよ」
「礼を言うのは早いですよ。まだ……本命が終わってないですしね」
そう言ってクロノは鬼神ソフィアを見る。
赤黒い巨体を持った彼女は、その大きな瞳でクロノをじろりと見ていた。
彼女の体には傷の一つも見られない。
「はは……どうにもね。ソフィアちゃんの鬼神が凄く、硬くてね。クロノが来る前に何とかしようと思ったけれど、きつかった、よ」
「うむ、すまんな、クロノ少年。山の街に行くために硬度を高めに高めた十一年前のワシよりも硬くてな、ワシも全力を出したが……このザマだ」
再生中の両腕をクロノに見せながらブラドが自嘲的な笑いを浮かべた。
「十一年前のおっさんより硬い、って、そりゃ相当だな。あの時のガード、結局当時の俺は砕けなかったんだし」
彼の言葉にリザの心臓がドクン、とはねた。
「く、クロノでもダメだったの!?」
あの力の塊であるようなクロノですら砕けなかった硬度を持つブラドよりも硬い。その事実に恐怖を覚えて、鼓動がどんどん早まっていくが、
「ええ、まあ、九歳の子供にあの硬度は無理でしたね。ただまあ、だからといって、今ソフィアの鬼神と戦わないって選択肢はないんですけどね……」
クロノは何てことない、不安の一つすら見せないような表情で言った。
そのまま彼はソフィアに視線を移す。そして、
「さあ、鬼神ソフィア。勝負をしに来たぞ」
静かに歩み寄った。
すると、ダンジョンの出入り口に近づきつつあった鬼神ソフィアの歩みが止まった。そればかりか、
「ウ……」
わずか一歩であるが、後退した。
「ソフィアちゃんの戦意が緩んだ……? いや、クロノに怯えているの……?!」
「ああ、それだけ本能的にも強く、クロノ少年のことが刻み込まれているのだろう。だが……」
ブラドが言い淀むのと同時、鬼神ソフィアは後退を止めた。
そしてこちらへと向かってくる。
「――ソレデモ、ワタシハソトヘ……!」
「本能的に願う事は一つとは限らん。外に憧れる欲求もまた本能的な物だ。そこに優劣の差はなく全てを満たそうとすれば、話し合いでは絶対に止まらん。――だから、戦ってくれクロノ少年! 思いっ切りだ!」
「ああ、そうさせて貰う……!」
言葉と共にクロノはソフィアに向かって再び接近し始めた。
すると、鬼神ソフィアの表情が歪み、
「クルナアアアアアアア!」
全身が紅く輝き始めた。
「気を付けて! 爆発が来る!」
「爆発……ああ、ユキノさんが言っていた、中庭をぶっ壊した奴ですか」
どうやらクロノは、中庭の一撃で吹っ飛ばされたユキノから何かを聞いているらしい。リザの慌てた叫びに焦る事すらなく、
「――床よ、上がれ!」
彼は足裏で百層目の床を叩いた。
瞬間、分厚い石床が跳ね上がる。
それはクロノの盾になった。
「おお、あれがクロノ少年のダンジョン操作能力か。凄まじいな……!」
「う、うん、だけどあれじゃまだ厚さが足りない……! そんな壁一枚じゃ威力を防げないよ、クロノ……!」
あれでは、ほんの少し威力を殺すのがやっとだ。そう、叫ぼうとしたのだが、それよりも早く
「――!」
鬼神ソフィアから強烈な衝撃が炸裂した。
強烈な圧力が、砂ぼこりと共に、盾となった石壁ごとクロノを襲った。
砂埃はクロノを飲み込み、明らかに石壁が砕けるような音が響き渡る。その衝撃は強風となってリザたちまで届く。
「く、クロノ……!」
そんな風の中、息を呑みながら、リザはクロノがいた地点を見つめていたのだが、
「ああ、火や熱はなくて、殆ど衝撃だけなんですか。壁を作らなくても耐えられましたね、これ」
「く、クロノ!?」
クロノはそこに立っていた。
埃にまみれたものの、無傷な状態で。
●
「く、クロノ……? 今のを、耐えたの?」
背後からリザの途切れ途切れの言葉で問うてくる。俺はソフィアに接近しながら彼女の問いかけに頷いていく。
「ええ、念のため防御をしましたが、この程度なら、ウチじゃ日常茶飯事だったんで、大丈夫そうです」
「日常茶飯事……? これ、が?」
「薬を作るのに、こういう爆発は何度も食らったことありますし。特に上位精霊系の素材を使うと大体こんな感じでしたから、目と耳を庇って、口を開けておけば、切り抜けられますよ」
「君の御実家は本当に薬剤師の家なのかな!?」
リザが目を見開きながら聞いてくるけれども、俺としては爆発に耐えるのが薬剤師をやる際に取得すべき能力だと教わっていたので、なんでそんな反応なのか分からない。
ひょっとして都会ではもうちょっと爆発しない素材を使うんだろうか、と思っていると、
「クウウッッ……!」
鬼神ソフィアが翼を開いてタックルしてきた。だが、動きはそこまで早くない。だから、
「床よ。もう一度、跳ね上がれ」
「ッ!?」
彼女の足が踏んだ床が、俺の言葉に従って跳ね上がった。
そうなれば床を走っていた彼女の姿勢は崩れ、前につんのめる。
後に残るのは、タックルをしそこなった姿勢で宙を進む、彼女の身体だけ。
自分のダンジョンだと、地の利を生かせて戦える。そのことを非常に有り難く思いながら
「さあ、くらえ……!」
鬼神の胸元を狙って、俺は魔力を込めた拳を振るった。
黒い光の鎖が宿ったアッパーカット。それは、鬼神ソフィアの身体に高速で向かうが、
「ダメだ! 普通の技では足りないぞクロノ少年!」
背後から今度はブラドの叫びが聞こえた。
その言葉が俺に届くと同時に、拳の一撃はソフィアの身体に着弾したが、
「グ……キ、クモノカ……!!」
その打撃は鬼神の体に減り込むことすらない。
その硬度は、確かに十一年前のブラドを思い出す。
自分が砕けなかったガードの硬さはしっかり記憶の中に残っている。
なるほど。確かにこれは堅い。
俺の拳は鬼神ソフィアを体を砕くことなく、そのまま空中に彼女を弾き飛ばしただけに留まった。それを見て、背後のブラドが眉をしかめていた。
「やはり、クロノ少年でも、威力が足りないか……!」
落胆するような声色だ。だけれども、それは早とちりといえる。なぜなら、
「ブラドおっさん、普通の一撃では足りないって言っていたけどさ。俺、アンタに見せたいものがあるんだよ……」
「な、なんだ、急に。見せたいもの、だと?」
「ああ。……十一年前、あの時の硬さを打ち抜こうとして、編み出した技を今、見せてやる」
先ほどの拳は、彼女を打ち上げて、距離を作るための準備動作に過ぎないのだから。
「さあ、第二ラウンドだ」
俺は頭についていた魔人の角を、折った。
その瞬間、俺の体に内蔵されていた魔力が、膨れ上がる。
「これでケリをつけるぞ、鬼神ソフィア」
黒い光で出来た鎖が背部に集中し、尻尾のような、翼のような形状に変化する。
そしてその光は俺の体にまとわりつき、動くたびに揺らめいていく。
「ッ!」
それを見て、危機感を得たのだろうか。
宙に浮かんでいた鬼神ソフィアは翼を羽ばたかせ、空を飛んだ。
そのまま、俺の頭上を飛び越えて、ダンジョンから出るためのドアに向かおうとしていた。だが、
「鬼神ソフィア、飛ばないでくれよ。飛行されるのは苦手なんだからさ、――上の一階層、落ちてくれ」
俺の黒い鎖が、ダンジョンの天井に刺さり、その天井を、階層ごと落とした(・・・・・・)。
天井を構築する岩だけではない。
ダンジョン一階層分の重みが、鬼神ソフィアの体に乗っかった。
「グオ……!?」
それでも鬼神ソフィアの身体は潰れはしない。
だが、翼の羽ばたきは止まった。
浮上することはかなわず、重さに負け、地に落ちて来る。
それだけで十分だ。
視線の先には、翼でのガードもしていない、ガラ空きの胸が見える。
「食らってくれ、鬼神ソフィア。これが、お前の親父さんを倒すために編み出した、普通の魔人が必死に考えて作った、技だ……!」
言葉と共に俺は走り出す。
同時、鎖で出来た翼が黒く輝き、背中から凄まじい勢いで魔力の光を放出する。
まるでブースターのように、俺の体を加速させる。そんな俺に、
「マダ、ワタシハアアアア!!」
ソフィアは爆発で対抗しようとした。
彼女も赤く、血のような体を輝かせ、強大な衝撃が俺の体に降り注ぐ。ただ、
「ダメだぞ、鬼神ソフィア。それじゃ、俺は止められない」
田舎の生活で、薬剤師としての活動で、その程度の衝撃には慣れっこだ。
壁すら作らず、俺はその衝撃という向かい風を切り裂いていく。
そんな俺に驚きの目を向ける鬼神ソフィアの胸部に、回転しながら突っ込んでいく。
狙うのは、先ほど拳で一撃を加え、わずかにへこませた地点。
使うのは、本来は彼女の親に見せつけるために使うはずだった、ガードをぶち抜くための突進技。
黒く光る魔力の鎖を足に集中させて破壊力を上げ、更に魔力のブースターの勢いと回転の遠心力と、全体重をプラスした蹴りの振り抜き。
「魔人技――《デーモニッシュ・トールハンマー》……!!」
黒い光の鎖で覆われた脚部による一撃は、そのまま鬼神ソフィアの胸元に着弾し、
「――!」
胸元をごっそり薙ぎ払うように、ぶち抜いた。
鬼神の体を保たせていた核であろう、赤黒い球体も確実に砕けた。
そうして胸元をえぐり取られた鬼神ソフィアは甲高い、呻きの様な悲鳴を上げた後で、
「ヤット……オワレル……」
満足げな鬼神の言葉を聞き届けるのと同時、鬼神ソフィアの身体は赤黒い液体になって地面へその身を倒すのだった。
●
そして、その後で、
「クロノさん……? ……ここ、は……? 私は……」
「よう。ソフィア。意識が戻ったようで何よりだ」
鬼神の暴走で気絶していたソフィアは、俺のダンジョンの中で、目を覚ますのだった。
先ほどまで苦しんでいたような表情もなく、しっかりと血色の良くなった顔で。
気合い入れて書き直しまくった結果遅くなりました。すみません。
というわけで決着です!




