第30話 薬師時代の思い出
このまま倒れると危ない。そう思い俺は彼女の背中を支える。
「あ……すみません」
「――いや、すみませんとかじゃなくて、大丈夫か、ソフィア? 明らかに体に力が入ってないんだが」
俺が背中を支えながら聞くと、ソフィアは小さく頷いた。
「ええと、何でしょうね。ちょっと、安心してしまったのかもしれませんが……力を入れているつもりなんですけれど……」
「大丈夫? 私が少し診察しようか? ……念のためサラマードは医務室の教授を呼んできて」
「わかった」
リザはユキノに指示を出して医務室に向かうのを見送った後、俺の隣まで来て、ソフィアの顔を覗く。
「やっぱり顔色おかしいけど、気持ち悪かったりする?」
「い、いえ、ただ、なんだか、お腹の辺りから全然感覚が無くてですね……」
ソフィアの言葉を聞いて、そして、ソフィアの腰元を見たブラドの表情が変わる。
「ソフィア。……その腰にあるのは、鬼神の紋だな……?」
先ほどまでの微笑からから真顔に。
そして今まで見たことが無いくらい、真剣なものに。
「え、あ、はい。そうですよ」
「いつから出ていたのだ?」
「今日の朝からですね」
「朝ということは、もう時間が経っているのか……!?」
彼女の答えを聞いて、ブラドは勢いよく立ち上がった。そして、ソフィアに近づこうとした、その瞬間、
「ぁぇ――?」
ソフィアの腰から、赤黒い、血のような巨腕が生える様に顕現した。
そしてその腕は俺とリザに向かって拳を突き出してくる。
「避けろ!」
「え……ちょ、これは……!?」
ブラドの叫びにリザは驚き身をすくませた。
このまま俺が避けてはリザに拳が当たる。だから、俺は
「っと……!」
その赤黒い腕を手のひらで止めて、反らした。
ミシリと肉がきしむほどの力が俺の腕に掛かるが、威力の大半は受け流すことに成功した。
「あ、ありがとう、クロノ。助かったよ」
「いえ、礼は良いです。それよりも、――ソフィアを頼みます」
俺は、赤黒い拳を発生させたソフィアを見ていた。
彼女は顔から尋常ではないほどの汗を流していた。
「え……って、ソフィアちゃん!? 凄い汗……! 大丈夫!?」
「は、はい……ただ、力、抜けていく感じがします……」
どうやら意識はあるようだが、体に異常が出ていることは間違いない。そして、
「ブラドのおっさん、こりゃ何だ?」
ブラドはこの症状を知っているような口ぶりだった。
だから、俺はブラドに尋ねた。すると答えは直ぐに帰ってきた。
「鬼神だよ。ワシたちの体の中にいる、吸血鬼の王族が代々受け継いでいる力の根源にして、一種の別生命……いわば、生きている血液だ。吸血鬼の王族として特有の能力を司るものだな。それが暴走しているのだ。その証拠が、この紋だ」
「うん? ソフィアはこの紋は疲れた時や興奮した時に出るって言っていたぞ?」
先ほど聞いたばかりの知識だが、それが間違っていたのか。
「ああ、それは間違い……というよりはワシが事実とは違う事を教えたんだ。正確には逆で、この紋が出ると、体力は消耗するし、疲労し、そして気分が高揚するのだ」
「そんな……」
その言葉に、俺はもちろん、額に汗をびっしょりかいたソフィアでさえも驚く。
「すまないな。この魔王城での暮らしが終わるまでは黙っているつもりだったのだが……予想よりも暴走が早すぎた」
言いながら、ブラドは懐に手を突っ込む。
そして赤い液体の入った瓶を取り出すと、ソフィアの元へ近づき、
「ともあれソフィア、これを飲め」
「これは……前にも鬼神の紋が出て、疲れてしまった時に飲んだ、強壮薬……ですよね」
「ああ、正確には暴走を抑制する薬だ。何にせよ、飲めば少し楽になる」
「は、はい……」
ソフィアは赤い薬を口に含む。
すると、彼女のの表情が少しだけ柔らかなものになる。
同時、赤黒い腕はビキリと一瞬硬直したと思ったら、ソフィアの体に吸い込まれるように消えて行った。ただ、
「ちっ……五年前の薬では鬼神の紋を消せんか。全く、わが娘ながら鬼神と相性が良すぎるな……」
ブラドは苦々しい表情で、ソフィアの腰元に輝く赤い紋章を見やっていた。
腕は消えても、事態は好転しきっていないようだ。ただ、分からないことが多すぎる。だから、
「……おい、おっさん。説明はしてもらえるんだよな? なんで吸血鬼特有の基幹が暴走してるのか。そしてなんで、おっさんはその対応薬を持っていたのか。その辺り、教えてほしいんだけどよ」
「私も、教えてほしいな、グレイブ王。これはちょっと異常過ぎるよ」
俺とリザがブラドに聞くと、彼は静かに頷いた。
「ああ、そうだな。ここまで来たら話そう。……そもそも、ワシがここまで来たのはな、授業参観を求めてきただけ、ではないのだ。それは目的のうちの半分ほどで、残りは、ソフィアの体の確認のためだ。鬼神と相性が良すぎるが故に、その力を定期的に暴走してきた、この子の、な」
「定期的って……そこまでの回数を暴走させておきながら、なんでソフィアはそのことを知らないんだ?」
先ほど、腕が出てきた瞬間のソフィアの表情は、明らかに事情を知る者のソレではなかった。
実際に今、大量の汗をかきながらも驚き混じりの顔でソフィアはブラドの話を聞いていたし。
「子供のうちに知るべきことでは無い。せめて、この魔王城での学習が終わるまで、何も心配なく暮らしてほしかったので、ワシが教えていなかったからだ。……今までの計算通りなら、発症するのは来年の筈だったしな」
「計算だと?」
さっきも定期的だの、予想だのと言っていたが、
……この暴走はそこまで分かりやすいタイミングで発生する物なのか?
疑問と訝しみを込めてブラドを見ていると、彼は先程ソフィアに飲ませた薬の空き瓶を見せてきた。
「ほら、この薬瓶に見覚えがあるだろう?」
言われ、見てみると、確かにそれは見覚えがある物だった。
というか、ありすぎるものだった。なにせ、
「これ、俺の実家の薬屋で使っている瓶じゃねえか!」
そう。子供のころから実家の手伝いで見続けた道具だったのだ。
「ワシは定期的にソフィアの暴走を抑える薬を貰いに行っておったのだ。君の御実家でしか作れない、素晴らしい薬を、な」
「それが、十一年前と五年前にウチに来た理由、か」
「君がいた街にしか、この薬を作れる者はおらず、また材料も君の街にしかなかった。……メイルドラゴンの牙や、最上位水精霊の涙など、君が殴りながら集めてきてくれたのは、本当に有り難く思っているよ」
「ああ、あれ、この薬を作る為だったのか!」
今になってあんな普通の薬には使えないような、奇妙な材料を集めさせられた理由が分かったよ。
「ちょ、ちょっと、クロノ、メイルドラゴンとか最上位精霊を殴ったことあるの? その二つって物理攻撃が滅茶苦茶通りにくかったはずなんだけど……」
「確かに通りにくかったですね。メイルドラゴンは鱗がめっちゃ硬くて皮膚が擦りむけましたし、水精霊は酸で出来ていてこれまた皮膚が少し解けましたし」
「あ、殴れた上にその程度のダメージで済んだんだね……」
「その程度って、割と痛かったんですけどね……」
何より、牙は折り辛いし、水精霊は中々涙を落とさないでで大変だったし。本当に大変だった思い出がある。
「まあ、大変な思いをして作った薬が有効だっていうんなら、嬉しいことだけれども。ちゃんと、効果はあったんだろ?」
「ああ、それ一つで六年は暴走が止まる。だからこちらの計算上では、六年ごとに、暴走が発生するはずだったのだ。だが……妙な胸騒ぎを感じて、授業参観を名目に来て見たら、こうなったという訳だ」
なるほど。とりあえず、ブラドがこの場に来た理由と、薬を持っていた理由は、多少だが理解できた。だから、
「……それで、ブラドのおっさんの事情は分かったけども、ソフィアはウチの薬を飲ませたことで、治るのか? 見た感じ、体調は悪そうなままなんだが」
俺はソフィアの体調面について聞くことにした。だが、俺の問いに、ブラドは首を横に振る。
「無理だ。この鬼神の紋が浮かび上がっているということは、未だ、治っていない。この紋が出ている限り、体力も気力も消耗し続けるし、数時間もすれば再び、暴走するだろう。前の症状で作った薬では、気分を楽にするのが精いっぱい、という所だな。それ故に、ワシは毎年、ソフィアが発症してから、薬を作ってもらいに行っていた訳だが」
「症状に対応して作らないといかず、作りおきが出来ないタイプの薬だったか……」
薬師の息子として、そういう厄介な作り方があるというのは知っている。
だがまさか、友人がその症状に悩まされているとは思わなかった。
「対処法はないのか? 自然治癒とかは?」
「自然治癒は絶対にしない。病ではなく、力の暴走だからな。クロノ少年の街に行って、症状を報告し、半年かけて薬を作ってもらうのが一番だ」
「でもよ、ブラドのおっさん。そうすると、ソフィアはこのままずっと体力を消耗しっぱなしって事になるぞ? 最悪、命にかかわるんじゃねえのか?」
明らかにこの消耗度は異常に見えた。
この街に来る前にも、そして来た後も病人をいくらか見てきた自分でもそう思った。
「ああ、そうだな。その件に関しては、フィラニコスに一つ用件がある」
「え、私に?」
「ああ、ソフィアを休学させようと思う」
書いていて物凄く長くなったので分割します! 続きは一時間後に!




