第17話 気分転換はとても大事
昼過ぎ。
リザとの会談を終えた俺たちは、一度落ち着くために大浴場でさっぱりした後、浴場近くの談話室で休憩していた。
談話室には体が沈み込むくらいふかふかのソファが置かれており、風呂でほぐされた身体をゆったり休めることができる。
「あー、本当に設備的には申し分ないよなあ」
そうして呟いていると、俺と同じくソファに体を沈めたソフィアが頷いた。
「そうですね。この大浴場も魔王城地下の温泉を引っ張ってきているそうですし。至れり尽くせりです。……ちょっとお湯の温度は高いですけれどね」
ソフィアは俺と同じようにソファに身を沈めつつ、服の胸元をぱたぱたと動かし、火照った身体を冷まそうとしている。それだけではない。
「……ふう……あっつい……」
温まったからか、軽く赤らんでいる肌がちらちらと見えてくる。
というか、大分ギリギリのところまで見えている。
警戒心が無さ過ぎじゃないかと思いつつも、何とも色っぽいし、目の保養になるので、気にしないことにした。
……ああ、そうだな。なんというか、青春しているって気分になるしな……!
吸血鬼の王様の授業参観にくるという現実に気が滅入っていたのだが、少しだけ気力が復活してきた気がする。
そして気力が復活してくると、頭が回ってくる。
「まあ、ソフィアの父親が来るのは確定だとしても、二日があると考えると、いくらでもやりようはあるな。もう特進クラスの連中には話さないように!って言ってあるし」
「はい。皆さんきっちり頷いてくださいましたからね。その辺りは問題ないです」
「ああ、あとは俺が普段の言葉に気を付ければすべて丸く収まるんだ」
そうだ。俺がソフィアに『~してくれ』というような命令形の言葉を出さなければ、俺が彼女を支配して奴隷化しているという事実もバレはしない。
考えてみればそれだけでいいのだ。
「あー、風呂に入って身体も休まったし、安心してきたよ」
「ふふ、私はもともと、クロノさんの力を知っていますから、安心していますけれどね。……それにこの一年間は、お父様も無理に私を連れ戻したりはしないでしょうし」
「この魔王城で学ぶ機会は貴重だからな。実利的に考えれば、無理やりな帰還をさせる意味はないからな」
魔族が二十歳になるこの歳に、魔王城という都会で様々な事を学べるのは、文化的にとてもいいことだと思う。
王様ともあろうものが、そんなことも分からないはずはないだろうしな。
「まあ、とりあえず、ソフィアは緊張しすぎないようにな。君は結構慌てるとボロが出るタイプだから」
「は、はい! その辺りは分かってますので、気合いを入れて気楽に、お父様に接しようかと思います!」
そういってソフィアは両手でぐっと拳を作っている。
気楽にと言っているのだが、これは本当に大丈夫なんだろうか。
完全に力んでいるように見える。
「うん、なんというか、気合いを入れるのはほどほどにな」
「了解です! ……それにしても、クロノさんは、落ち着いているんですね」
「まあ、不安がって、頭を捻っていても考えが煮詰まるだけで意味がないしな。特に田舎では考えただけで無意味な問題も起きるし」
「といいますと?」
「例えば、ほら、山奥に住んでいると、偶にある天気だけどさ。繁殖期の赤い火吹き竜が街の上を通る時、凄く興奮しているから火炎弾を吐き散らすだろ? 火炎弾の雨が来ることが分かっていたら、後は深く考えず、弾くことだけに集中したりするんだよ」
そう言ったら、ソフィアがゆっくりと首を傾げた。
「あ、あの……赤い火吹き竜って……レッドドラゴン……ですよね。灼熱の、鉄をも溶かす炎を吐き出す、竜種の中でもトップクラスに強力な存在ですよね? 再生能力の強い吸血鬼すら焼き尽くすという……」
「え? トップクラスに強力なのか、あの火吹きドラゴン。あんまり他の竜と比べたことが無いし、名称もあまり分からないけど……まあ、炎に関して言えばそうだな。鉄が溶けるから鉄製の棒や傘だと防げなかったのは確かだ。分厚い樹木の盾を作って打ち払ったりするんだ。晴れ時々レッドドラゴンの日とかは割と大変なんだよなあ。乾燥してるし燃えやすいから、頑張って速く動いて風で炎を吹き飛ばしたりな」
懐かしい話だ。
子供だったころはその奇妙な天気に悩まされたりしたけれども、今では偶にある日常程度にはなったのだから。
そう思っていたら、ソフィアの表情がガチガチに固まっていた。
「あの……本当にクロノさんの街は生物がすんでいるんです?」
「いやまあ、老人ばかりの街だけど、生物はいるってば。というか俺もただの魔人で、生物だからな」
「あ、は、はい。そうですね……」
何だろうこの反応。
ソフィアはやばい物を見聞きしてしまったような顔をしている。
俺は何も間違ったことは言っていないはずなのだけれども。
「ソフィア、なんか不味い事言っちゃったかな、俺」
「い、いえいえ、そんなことは全然ありませんよ? ただ……お父様の勝ち目が確実に一つ無くなったなあ、と」
「勝ち目って戦う気はないんだからな」
「勿論ですよ。ただ、ええ、色々と安心できるなあ、と思っただけで」
ソフィアは頬を掻きながら、少しだけ楽しそうに笑った。
「言っている意味は分からんが、安心してくれたんなら何よりだよ。……さて、風呂休憩も終わったし、これから何をするかね?」
「あれ、ダンジョンには行かないんですか?」
「おう、この状態で行ってもあんまり成果が出ないと思ってな」
今からダンジョン探索をして隷属化を解除する道具を探しても、あれだけ広いダンジョンの中から、その遺産を見つけられるかどうかは分からない。
リザは吸血鬼の王様の対応で手が離せないというし、人員も少なくなっている。
今、吸血鬼王が来るからといって、焦った状態で探すのは悪手だろう。焦りは怪我に繋がるし、何より先ほど落ち着けと自分がソフィアに言ったばかりだ。
「こういう時は気分転換して、思考をリセットするのが大事だと思っていてな。こうして風呂にゆったり浸かったのもそれが理由だし」
「なるほど。気分転換ですか……って、そうだ」
そう言ったあと、ソフィアは何かを思いついたかのように声を上げた。
「クロノさん。それでしたら、城下町の方に行きませんか?」
「城下町?」
「はい。今は昼間ですし、色々なお店も開いていて、いい機会かと思いまして」
ソフィアに言われて思い出す。
俺は魔王城という都会に来たというのに、いきなりダンジョンを作成するコアが滅茶苦茶になるわ。同級生を隷属化してしまうわ。
隠されていたクラスに入ることになるわで、これまでほとんど魔王城の中にいっぱなしだった。
折角田舎から出てきたのに、都会の空気を味わう事なんてほとんどなかった。
「ああ、俺、ずっと街に行きたい行きたいって言っていたのに、全然行けなかったからな……」
「い、色々ありましたものね。だ、だから落ち込まないでください、クロノさん」
「おう……そうだ。そうだな。このタイミングで街に行って、色々と俺のダンジョンの中におけるモノや、住居として使いやすくなるものを買いに行くか」
超特進クラスの活動のお陰で、金もたっぷり稼げているし。
ここでパーッと使ってしまって、ダンジョンの飾りつけのために豪遊するのもいいかもしれない。あと、何よりベッドも買いたい。
今のマットレスじゃ狭すぎるし、眠り辛すぎるからな。とはいえ、
「俺、都会のデザインとか、センスとか分からないからな……。ソフィア、友人として色々と聞かせて貰ってもいいか?」
買い物についてきてほしい、と田舎ではしたことが無い頼みをしてみた。
どんな答えが来るのか少しドキドキしながら待っていると、
「はい、もちろんですよ。お付き合いしますよ」
ソフィアはにこにことほほ笑んだまま頷いてくれた。
……ああ、これが若い友人との買い物という奴か。
田舎では爺さんばあさんしかいなかったので、全く経験したことがない。そんな経験がこの魔王城で出来るのは幸せだなあ、と思っていると、
「――面白い話を、聞かせて貰った」
俺たちの頭上からそんな声が聞こえた。ソフィアと共に見上げると、
「え、ゆ、ユキノさん!?」
談話室の天井にある梁にユキノが座っていた。確か先のダンジョン探索の後、リザに仕事があるからと連れ回されていたはずだが、と思っていると、
「とう……!」
身軽な動きで俺たちの前に降りてきた。そこから俺たちの方を見て、
「城下町へのお買い物、ワタシも行く」
そんな事を言い始めた。
「え、でも、リザさんから言いつけられたお仕事があるんじゃないんですか?」
「それは平気。貴方とソフィアのお父さんの件で忙しくなったから、暇になった。だからお風呂に入って休憩してたところだから、問題ない。……嘘じゃないよ?」
頭についた耳をピコピコさせながら言ってくる。
まあ、この人が嘘をつくタイプではないのは分かっているため疑ってはいないのだけれど。
「というか、俺とソフィアの事情はもう知っているんですね」
「知ってる。一応、同じような立場だから、知らされた。ソフィア、なんだか、大変みたいだね」
「あ、あはは……なんというか、ご迷惑をかけて申し訳ありません」
「気にしない。むしろワタシに自由時間が出来て嬉しい。……だから、二人と一緒に行きたい。……ダメ?」
ユキノは首を可愛らしく傾げて聞いてくるが、ダメなわけがない。
なにせセンパイと友人と一緒に出掛ける経験なんてそれこそないのだから。
「ぜひ、一緒に行きましょう。ソフィアも、それで大丈夫か?」
「はい! 私もユキノさんともっと喋りたかったですし」
「おー、良かった。よろしく」
「じゃ、全員で行きますか」
「はい!」
「んー、出発ー」
そうして俺はソフィアとユキノと共に、城下町へ繰り出すことにした。初めての都会の街にワクワクとした気持ちを胸に抱きながら、俺は歩いていく。
このたび、講談社にて、書籍化が決定いたしました!
ここまで至れたのは皆様の応援のお陰です。ありがとうございます!
皆様の応援にお答えするためにも、これから発売まで毎日更新をしていこうと思います。
今後とも自称!平凡魔族をよろしくお願いいたします!




