蛇足5 指環代わりの専用職
明日ESN大賞2の発表なのですが、多分だめだろうと思いつつも落ち着かないのと、応援してもらったお礼も兼ねて蛇の足を増やしました。
あといつもより若干砂糖が添加されてます。
9月中旬の連休前にエルムジカが大型アップデートのため、半日のメンテナンス期間に入った。
睡眠カフェ「テトラゴナ」とエルムジカコラボ店舗「テトラムジカ」で販売するコラボ商品周りのアップデート内容については私も関係者になるので湖出さんから聞いているけれど、それ以外は先行情報も全くなく、関係者以外にとっては謎に包まれたアップデートだ。
私の知っている範囲だとテトラムジカでのみなれる「調香師」はバッファーという種類の職業らしい。
自分で調合した香りによって敵に状態異常を与えたり、仲間のステータスを上げたり。
今も似たような職業はあるけれど、調香師の場合は香りが残り続ける限り継続効果があるのが特徴らしい。
例えば調香師が香りをまき散らした状態で回復魔法を使うと、通常1回だけの回復が制限時間内継続回復になったりとか。
戦わない私には無縁の話になるのだけれど。
いいんだ。店舗で販売する調香師モデルの「眠りの実験室」小瓶が滅茶苦茶可愛いから。
私は「眠りの実験室」プロジェクトリーダー特権で全種類サンプルをもらえたから、可愛い小瓶はちょっとしたインテリアとして私の部屋を飾っている。
なお、マンドラゴラ型の小瓶もデザイン案を出したけれど通らなかった。とても残念だ。
メンテナンス自体は金曜の日中だし、働いている私にとっては影響はないのだけれど、メンテナンス後に開発チームでは夜間作業があるそうで、土曜早朝のアップデートバージョンリリースまで徹夜するらしい。
「石岡ちゃん、石岡ちゃん」
開発ディレクターの湖出さんは大変だなあと午後からの楽なルーチンワークをしながらぼんやりしていると、三浦先輩が寄ってきた。
「今日定時後に夫の職場へ夜食を届けに行くのだけど、予定が空いてたら運ぶの手伝ってくれない?」
湖出さんが徹夜なら、勿論同僚プログラマーの宮山さんも徹夜である。
家族という立場なら職場に赴き、合間に差し入れしても問題ないらしい。
思えばときどき通話はしているけれど、しばらく湖出さんに会えていない。先月会ったっきりだったかな?
ただそれを先輩に言った覚えはない。きっと湖出さんから宮山さん経由で伝わったのだろう。
「空いてます! 手伝います!」
前のめり気味に答えた私の様子がおかしかったのか、先輩に笑われてしまった。
手伝いはただの口実かと思ったけれど、本当に夜食の量は多かった。宮山さんの分じゃなくて開発チーム全体への差し入れみたいだ。
会社から駅に向かう途中の百貨店の地下で予約していたらしい大量のサンドイッチやおいなりさん、クッキー缶を購入し、開発チームのオフィスがある最寄り駅のコーヒーショップでポットサービスのコーヒーを受け取ると、2人でギリギリ持てる状態になっている。正直もう1人くらい手が欲しい。
私の予定が空いてなかったら三浦先輩はどうやって運ぶつもりだったのだろう?
線路沿いに少し歩けば、開発チームがいるレンタルオフィスはすぐそこだ。
私も打ち合わせで何度か伺っているので、この道にも随分慣れてきた。
「あ、来た来た」
オフィスビルのエントランスで宮山さんが私たちを待ち構えていた。いつもはパリッとした雰囲気なのに、疲れているのか少しくたびれている気がする。
「お待たせ」
「貴子さんと石岡さん、重かったでしょう? どれが一番重い? 俺持ちますよ」
多分先輩が持ってるポットのコーヒーだな。
「もうすぐだから大丈夫。あなたは来客手続き2人分お願い」
「もうしてあるよ。夜間作業始まるまでは仮眠取ってる奴も多いから中ではちょっと音に気を付けて」
「了解。じゃあ行きましょ」
宮山さんは仮眠しなくて大丈夫なのだろうか?
でも三浦先輩の顔を見たほうが気力が回復するのかもしれないな。すごく嬉しそうにしているし。
「お邪魔します」
普段立ち入らない業務エリアの大きなテーブルへ持ってきた夜食を置くと、オフィスの床に転がりつつも起きていたらしいチームメンバーの人たちが這うように寄ってきた。
「宮山先輩の奥さんとグッスリの石岡さんだ……」
「眠りの女神が……夢か?」
「相変わらずの強烈な癒し効果……」
這いずりながらよくわからないことを言っている。
皆さん眠いなら寝たほうがいいと思いますよ。
「椅子に座って寝るより、床に直接寝たほうが腰の負担が少ないんですよ。びっくりさせてすみません」
様子を見ていた宮山さんから状況の解説があるけれど、それは今後使うかわからない知識だなあ。
湖出さんも床の住人になっているのだろうか?
周囲を見回すと……あ、居た。
奥で資料を見ながら有賀さんと話してる。全体を統括する立場だと休憩時間も忙しそうだな。
でも少しだけでも顔を見られてほっとした。思ったよりも元気そうだ。
しばらく見ていると、有賀さんがこちらに気付いた。そのまま湖出さんの肩を叩き、私のほうを指す。
湖出さんは私に気付くと目を見開いた。
私も今日会うことになると思ってなかったから、ちょっと恥ずかしい。
にこやかな有賀さんに引っ張られ湖出さんがこちらにやってきた。
「いらっしゃい石岡さん。三浦さんと一緒に夜食持ってきてくれたんだね。ありがとう、女の子には重かったでしょう?」
有賀さんは営業さんなので今日の作業については直接関わりがないのか、周囲に比べて元気そうに見える。
「いえいえ、貴重な休憩時間にお邪魔してしまって済みません」
有賀さんとは対照的に湖出さんは黙って、気恥ずかしそうにしている。仕事中なのに邪魔してしまったから申し訳ない。
「有賀、奥のミーティングルームは今空いてるか? 湖出さん、ちょうどいいから例の固有職業について石岡さんに説明してきてくれ。社内で話すなら情報は漏れないし、タイミングもちょうどいいだろ」
「部屋は1コマ分空いてるっぽいな。それくらい時間あれば充分か」
はて?
湖出さんから私に改めて説明するようなアップデート内容なんてあっただろうか?
直接関わりがある部分は全部聞いている筈だし。
宮山さんと有賀さんから追い出されるように、私と湖出さんは業務エリアを出て、少し離れたミーティングルームへ向かわされた。
ずっと無言の湖出さんが少し怖い。
いきなり来たから怒られるのかもしれない。
でも私も今日いきなり決まったから連絡できなかったし……怒られたら謝ろう。当日決まったとしても連絡する余裕はあったと思うし。
ミーティングルームの扉を閉めると、そのまま湖出さんが崩れ落ちた。
「だ、大丈夫ですか!」
「石岡さん……」
「はい」
「済みません。驚き過ぎて緊張の糸が切れてしまって……」
「行くって連絡できなくてごめんなさい」
「いいですよ。恐らく宮山と有賀と三浦さんに仕組まれたんだと思いますし」
床に座り込んだ湖出さんに手を貸すためにしゃがむと、そのままぎゅっと、抱きしめられた。
いつも紳士的で断りもなく抱きしめるようなことをしない人なので、いきなりの行動に心臓が跳ね上がる。
「すごい……ここに石岡さんがいる。会えな過ぎて見た幻覚かと思ったのに、ちゃんといる」
え、湖出さん大丈夫?
ちゃんとしているように見えて実は限界近かった?
「ずっと忙しくて通話もそんなにできなかったけれど、会いたかったです。会えて良かった……」
「私も、湖出さんに会えて嬉しいです。あの……寂しかったです」
口に出してみれば、感情がすとんと落ちてきた。
そうか、自覚は無かったけれど私は寂しくて、こんなにもこの人に会いたかったのだな。
しばらくそのままにしていると、湖出さんが急に私を解放した。顔を真っ赤にして慌てている。
「すみません、いきなり抱きしめたりして」
「いえ、嬉しかったので大丈夫です」
「……疲れているとだめですね。理性が働かなくなります」
湖出さんは申し訳なさそうにしているけれど、なんだかその姿が可愛らしく感じる。
「今日はまだ忙しいでしょうけれど、終わったらしっかり休んでくださいね」
「石岡さんにいただいた枕でしっかり休みますよ」
いつまでもドア付近で座り込んでいてはいけないと立ち上がると、僅かに残っていた温もりがさらさらと消えていく。
もう少し温もりが欲しくなって、今度は私から無断で湖出さんの背中に手を回す。
「ちょっ、石岡さんっ」
少し痩せたのかな。ちゃんとご飯を食べているのだろうか。
忙しいとちゃんと食べないとか言っていたから心配だ。
「クリスマス頃にサービス開始1周年だからまたすぐ忙しくなりますよね? 仕事なので仕方ないと思いますが、どうか無理しないでください」
「はい、気を付けます。来月なら休む時間も作れるので、どこかで休みを合わせて一緒に美味しいものを食べに行きましょう」
「楽しみにしてます」
それまで気力が不足しないように、抱きしめる力を強くして、湖出さんの温もりを補充する。
先月交際前提の友人関係から正式にお付き合いということになり、実のところまだキスすらしていない私たちだけど、きっとこういうときにキスしたいと強く思うのだろうな。
次に会うときにはしてみたい。
「さて、アップデート後の追加職業について、開発チーム責任者の俺からプレイヤーのドードーさんに説明したいことがあります」
「あ、それ口実じゃなかったんですね」
気持ちが落ち着いたところで本題らしきものを切り出された。
「この職業は依怙贔屓も甚だしいのですが、現時点ではドードーさん専用に用意した職業です」
「現時点では?」
「つまり開発チームの人間と、現役プレイヤーが……結婚を前提に付き合う場合、プレイヤー側へゲームの引退を促すためのサブ職業だと思ってください。同じ条件のプレイヤーが現れた場合は職業にもよりますが同一もしくは近似の提案がされる予定です」
「一般プレイヤーには開示されない職業になりますか?」
「非公開情報ですし、ドードーさん自身が自分のステータスを参照しても表示はされません」
そう言いながら手渡された1枚の紙に、その職業についての詳細な説明が書いてあった。
「精霊士……」
・精霊の力を借り、全ての生産を行うことができる(但し専門職の最上位スキルは使用不可)
・メイン職業が生産職の場合は精霊の手助けによりメイン職業の能力にプラス補正(生産量、品質、効果)
・メイン職業がコンダクター位まで到達している場合はアイテム「タクト」の強化が可能
・精霊士への転職後、現実時間1年でユーザーIDがロックされ、半永久的にログイン不可能に(ロック解除には開発チーム5人以上の承認が必要)
・ロックされたユーザーIDのプレイヤーキャラクターはNPC化
・ユーザーIDのロック解除を行った場合は新規プレイヤーとしてプレイ可能
「時限式なのかー」
要は制限時間があるとはいえ転職すれば我が家のマンドラゴラたちと一緒に作業ができるようになるってことだよね。
性能自体もきっといいものなのだろう。ゲームに詳しくないからどのくらいすごいとかは実感がないけれど。
「いずれNPCになった私は、マンドラゴラたちと仲良く暮らしてくれますか?」
一番気になることといえばそれだ。
離れて過ごすようになったらマンドラゴラたちは寂しがるだろう。
「当たり前じゃないですか。パースニップを育てて、マンドラゴラたちと愉快に過ごすのがドードーさんです。そこはNPCになっても変えません」
私は遊べなくなっても、分身であるドードーはあの世界に存在し続けられるのなら良かった。
できればひっそりと存在する隠しキャラみたいなNPCになるといいな。
「精霊士はアップデート後に提示されるようになりますが、選択した時点でカウントダウンは始まって、停めることはできません。だから……」
そこで湖出さんは言い淀む。
ほんの少し無言が続いて、意を決したように言葉を繋ぐ。
「まだお付き合いをし始めたばかりですので、この後どうなるかなんてわかりません。石岡さんはまだ若くてとても魅力がある素敵な女性ですし、俺よりいい人との出会いもこれからあると思います。それに、ゲームを楽しむドードーさんの姿を楽しみにしていたから、こちらの都合で辞めてもらわないといけないのは残念だと思ってます」
真剣な瞳をこちらに向けて、湖出さんが私の手を握る。
「だけど、好きになった人を諦めたくはないから、来年の明日、俺と結婚してください」
……嬉しいとかそういう気持ちじゃなくて、変なのって気持ちがまず最初にきた。
だって私から結婚したいって言ったのが始まりだったのに。
私がその申し出を断るわけなんてないのに。
それからじわじわと実感が湧いて、取り繕った表情がぐしゃぐしゃになって、今どんな顔になっているのか自分でわからなくなってしまった。
こんなに真っ直ぐ向けられた気持ちは、嬉しいし、くすぐったい。
小さなころから欲しくてたまらなかったのに、遠くから見てるだけしかできなかったプレゼントを、初めて手渡してもらえた子供みたいに、言葉にできない気持ちが溢れてきて止まらない。
だから胸が詰まって涙を溢してしまっても仕方ないだろう。
「私は、他の誰より湖出さんがいいです。絶対幸せにしますから、ずっと私の傍にいてください」
滅茶苦茶だ。
もっと冷静に返せると思っていた。
こんなお姫様を迎えにきた騎士のようなことを言うつもりじゃなかったのに。
「それはこちらも気合を入れて、石岡さんを幸せにしないといけませんね」
きれいにラッピングされた湖出さんの気持ちを抱きしめるように私は頷く。
これから先も同じように素敵な気持ちを手渡してくれると思うけれど、今日もらったこのプレゼントはきっと一生の宝物になるだろう。
「さてと」
翌朝エルムジカに接続すると夜間パッチは問題なく適用されたようで、バージョン情報が更新されている。
ログインしてデバイスを確認したらメニュー画面のお知らせが点滅している。
引退するまでどのくらい楽しめるだろうか?
手の届く範囲で自分らしく楽しむことしかできないけれど、1年後に後悔が残らないようにしたいな。
私にしか表示されていない筈のメッセージを選んで、確認画面の実行ボタンをタップする。
サブ職業欄は空白のままだけれど、突然精霊の気配を世界に感じるようになった。
心の赴くまま、歌って呼びかければ応えてくれるだろう。
さあまず手始めにマンドラゴラたちとなにを作ってみようか。
正直、修羅場の合間に会社で上司が可愛い彼女にプロポーズしてたら助走つけて殴りに行くと思う。
そういえば土日に隣県に旅行に行きます。
確か本編完結した日も翌日から旅行だったので、なんだか懐かしいです。




