オラトリオ
少しだけ疑問に思っていた。
毎日農場で働いているマンドラゴラたちの経験値はどうなっているんだろうと。
直接聞いてみたときは、得た経験値はみんなで共有しているけれど、それでレベルアップや進化などはしないと言っていた。
畑の土にでも流し込んでいるのかなあと思っていたけれど、ずっと貯めこんでいたとは思わなかった。
タクトを揮うたびにマンドラゴラたちの貯めた経験値が流れ込んでくる。
自分が貯めた経験値は感覚がないのにマンドラゴラの経験値はわかりやすいのは自分のじゃないからだろうか。
それにしても練習のときはこんなことはなかったのに。
場所? それとももっと別の条件?
演奏中はオート操作なのか気が散ってもタクトは止めずに済んでいるけれど、レベルアップのアナウンスに集中力は途切れまくりだ。
やがて「パースニップの魔法使い」がレベル上限に達した。
――ランクアップ条件を満たしました――
――パースニップ・コンダクターになりました――
――スキル「天地の歌」を覚えました――
古事記かな? 天地初發之時 於高天原成神名、ってやつ。
日本の神々も自然や現象の擬人化なので、エルムジカの精霊様に近いのかもしれない。
久し振りの新スキルだけど、中身を確かめている余裕がない。というかもう使ってる感じがする。
そしてその効果はすぐに察することができた。
演奏が終わるそのときに鐘塔のない教会から鐘が鳴る。
音色はカリヨンっぽいけれど、そんなものはこの世界に存在しない。
鐘の音が途切れた瞬間、私とマンドラゴラたちは別の空間にいた。
どうやって移動したのか皆目見当がつかないが、落ち着いて新しい職業とスキルの確認をする。
パースニップ・コンダクターは、タクトを操り、パースニップ・マンドラゴラたちを率いて進む指揮者。
コンダクターは聖地エルムジカへの来訪を許された者に与えられる称号。
但し、精霊の不興を買ってしまうと、コンダクター称号は剥奪される。
天地の歌は聖地エルムジカへの鍵。
天属性または地属性の歌スキルを進化させるか、天属性と地属性の歌スキルを取得することで覚える。
効果は……不明ときましたか。
私の場合は地属性の歌スキルを進化させて取得したのかな?
天属性の歌スキルなんて持ってなかったし。
そもそも発見されている歌スキルがどっちの属性かなんて説明に書いてない。
この空間はキャラメイクをした空間に似ている。
あのときにはなにもなかったけれど、今は目の前に扉がある。
大変あからさまですね。
いつまでもここにいるわけにもいかないから扉の向こうへ行くけれど。
扉をあけて。
先の見えない一本道は薄暗く、私とマンドラゴラたちは手を繋ぐ。
わざと不安にさせられているような、そんな気持ちだ。
きっと人間を追い返したいのだろうな。
長年の禁足地だもの。
それでもトンネルの終わりは必ずやってくる。
一言で表すなら、苔むした空中庭園だろうか。
かつては白く美しい石畳や彫刻が並ぶ豪奢な雰囲気だったのだろう。
今もその名残を感じるが、ほどほどに朽ちたこの風景は、それはそれで無常の美しさを感じる。
そして知り合いの出迎えに気付く。
ここの彼は初対面なのかもしれないが。
「思ったより早かったな」
「地の精霊様から賜ったタクトのお陰ですよ」
農場で会った彼より輪郭がくっきりとしているのは本体だからだろうか?
威圧感もかなり強い。
「ついてきなさい。天の精霊の許へ案内しよう」
きっと会わないことには話は始まらないのだろう。
ただの農民を捕まえてなにをさせようというのだろうね精霊様たちは。
地の精霊様の後ろについていき、通された巨大なガゼボに彼女は佇んでいた。
地の精霊様と違い、石像との共通点は長いベールだけだ。
いや、ベールが彼女の本体なのかもしれない。
ベールは青空の模様で今まさに雲が流れていた。
そして顔があるべき場所にはベールで象ったつまみ細工のような大輪の花がある。
青空の色が今日見た空の色によく似ていたから、彼女は正しく天の精霊様なのだと理解する。
夕暮れも夜も、彼女のベールに映り、その度に色を変えるのだろう。
「初めまして、天の精霊様。まずは1曲、歌を捧げさせてください」
地の精霊様に会った日から、こんな日があるかもしれないと練習していた歌がある。
こんなに早く披露することになるとは思っていなかったけれど。
楽器の演奏を合わせてくれようとするマンドラゴラたちを制した。
これは私が天地の歌に乗せて歌い上げないといけない気がする。
息を大きく吸って、太陽を目指し羽ばたく鳥の気持ちを想像する。
――Auf starkem Fittige schwinget sich der Adler stolz,
und teilet die Luft imschnellesten Fluge zur Sonne hin. ――
――Den Morgen grüßt der Lerche frohes Lied,
und Liebe girrt das zarte Taubenpaar.――
――Aus jedem Busch und Hain erschallt der Nachtigallen süße Kehle.――
――Noch drückte Gram nicht ihre Brust,
noch war zur Klage nicht gestimmt ihr reizender Gesang.――
空を飛べぬドードー鳥が天に捧げる歌ならば、空を自由に飛ぶ鳥に憧れながら、鳥の営みを歌いましょう。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン オラトリオ「天地創造」第2部 アリア「力強い翼を広げて」




