第四十話:王太子との奇妙なお茶会【前篇】
王の許可を得たことで、事態は一気に動き出した。
まず王太子宛に書式に則った文章で「喜んで伺わせていただきます」という返事を書く(実際に書いたのはギデオン殿だったのだが)と、
「流石にそのままという訳にはいかんだろう」
というギデオン殿の言葉に従い、当日着ていく服を探すことになった。
今からでは服を誂えることが難しいので、ギデオン殿が若い頃に着ていた礼服を直してもらうことになり、知り合いの仕立て屋に連れて行かれて、体のあちこちを突き回されることになった。その後も自室に帰ることはできず、王宮へ上がるための作法を付け焼き刃の講習を受けることになり、俺にとっては、闘技場で処刑人三人と向き合うより、よほど疲れる時間だった。
王太子からの返事はすぐに返ってきて、日取りが決まった。陛下にそのことを伝えると、「翌日、ライル一人で面会に来ること」という返事があった。幸い服の仕立て直しは間に合ったが、作法の方は心もとないまま当日を迎えることになった。
「くれぐれも言葉には気をつけて」「何を言われても、御心を落ち着かれて」
など、王太子が用意した迎えの馬車に乗るまで、ギデオン殿とセレスは心配してくれた。
俺の方はといえば、山から下りて以来、流れに身を任せてきたこともあり、招きに応じる、ということ以外に取り立てて思うことはなかった。結局、その場になってみなければ分からないのだ。
馬車は王都の喧騒を抜け、郊外の静かな森へと続く道を進んでいく。三時間ほど揺られただろうか。やがて目の前に、陽光を浴びてきらきらと輝く湖と、そのほとりにひっそりと佇む美しい建物が見えてきた。それが『水晶の離宮』だった。
壁に使われている白亜の大理石が太陽の光を浴びて白く輝き、湖に面した壁のほとんどにガラス窓がはめ込まれている。その姿が湖面に反射し、離宮全体が、まるで光の結晶のようにきらめいていた。
馬車が止まり外に出ると、俺は奇妙な感覚に包まれた。人がいないのだ。 王城にはあれほどいた護衛の騎士や兵士の姿が、ここにはほとんど見当たらない。離宮とはいえ王太子がいることを考えれば、然るべき護衛がいるはずなのだが、執事らしき老人が一人、静かに出迎えに立っているだけだ。
「ライル・アッシュフィールド様でいらっしゃいますね。お待ちしておりました。アレクシウス殿下がお待ちです」
老執事は、深く丁寧にお辞儀をした。俺も、教わった通りにぎこちなく挨拶を返す。
「さあ、こちらへどうぞ」
彼の案内で俺は離宮に入る。静まり返った回廊の中に、俺達の足音だけが響く。
「こちらは護衛の方が、あまりいらっしゃらないのですね?」
俺の問いに老執事は振り返ると、穏やかな笑みを浮かべた。
「はい、殿下のご希望で、極力人は使わず、ごく少数の殿下が心親しんだ者だけでお勤めをさせていただいております。ですからお城とは随分違うかと思います」
そう言いながら彼は、まるで空気を撫でるかのように、離宮全体をゆっくりと手で示した。
「代わりにこの水晶の離宮は、王国で最も強力な魔法結界によって守られております。許可なくこの敷地に入ろうとする者は、たとえそれが空からやって来ても、瞬時にその存在を感知され、無力化されます。ですので物理的な兵士を100名置くよりも、遥かに堅牢な守りでございます。それに……」
そこで彼は言葉を切ると、小さく笑みを浮かべ、
「その他にも色々ございます」
そう言うと再び歩き始めた。
(……なるほど、そういうことか)
俺はこの馬車がこの建物に近づくにつれて、肌にピリピリとする違和感を感じていたのだが、どうやらその理由はこの魔法結界のようだった。
「さあ、こちらへ。殿下がお待ちです」
老人は俺を促し、離宮の奥へと導いた。 通されたのはガラス張りの温室だった。色とりどりの花が咲き乱れ、甘い香りが満ちている。 その中央の、白いテーブルセットに、一人の人物が座っていた。
その人を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
(本当に人間なのか?)
金色の髪は陽に浴びて輝き、肌はまるで磨き上げられた磁器のように白く、血の色が透けて見えるようだった。 そしてその黒い瞳は、こちらの心の奥底まで測るような、静謐で、底知れない深さを持っていた。
長く切れ長の目、高く通った鼻筋、そして薄く結ばれた唇。それらがあまりにも完璧な均衡で配置され、人間離れした神秘性があった。
俺は、その人物が王太子アレクシウス殿下であることを理解し、ギデオン殿に教わった通り、王族に対する礼をしようとした。
「……面を上げよ、ライル・アッシュフィールド」
凛とした、涼やかな声がした。
「堅苦しい挨拶は不要だ。私は、ただそなたと話がしてみたかったのだ」
俺が言われるまま席に着くと、先程の執事がカップをテーブルに並べ、ポットからお茶を注いだ。ふわっと、良い香りが立ち上がる。お茶を注ぎ終わると老人は一礼して部屋から出ていった。残されたのは俺と王太子だけだった。
王太子は優雅な動きでカップを手に取ると、軽く一口飲んだ。中に何も入っていないことを示すためだろう。俺もギデオン殿に教わったようにカップを取り一口飲む。苦さの中にも微かな甘味があり、詳しくない俺でも、これが丹精を込めて淹れられたものだということが分かった。
王太子はカップを置くと俺の顔を真っ直ぐに見た。
「ライル。本日はご足労を掛けたな。父上……国王陛下からの手紙でそなたの話を読んだ」
俺は黙って頷く。
「父上はあの事件の日、『奇跡が起きた』と仰せだ。死の淵にあった己が、そなたが手に触れただけで、長い間、頭を覆っていた深い霧が晴れ、ようやく本当の自分を取り戻せたと書かれていた。お陰でゲルハルトのクーデターを寸前で阻止でき、この国を守った恩人だと。その他の報告でも、闘技場でお前が三人の処刑人をあっという間に倒し、それは神技とも言えるものだったと……。ライル、これらのことはみな事実なのか?」
「……事実、のようであります」
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次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




