第百四話:泥濘の檻と、静かなる号令【前編】
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(蛮族どもが、ちょろちょろと逃げおって!)
儂は特別に誂えさせた指揮用馬車の中で、指揮扇を手のひらへピシリと打ち鳴らした。側に控える小姓が体を震わせる。軍議の席で儂が、あの礼儀知らずの隊長、ファビオンを怒鳴りつけたのが余程怖かったのだろう。その姿に、
(後で可愛がってやらねば)
と思う。そこで、なぜ、いまやらないのか、その理由が分からないことに気がついた。
ガタン
と馬車が大きく揺れた。その衝撃と開いた幌から見える風景に、儂はいまは戦の最中で、自分が蛮族を追っていることを思い出した。
どうも最近こんなことが多い。いま自分が何をしているのか、どこにいるのかが分からなくなるのだ。苛々して周りの者を見回せば、どいつもこいつも馬鹿ばかりで余計に腹が立ってくる。
ちょろちょろ逃げ回る蛮族どもも、あのファビヨンとかいう隊長も気に入らない。
「……クソどもがぁ、邪魔者はぁまとめてぇ、ぶっ殺してやるぅ」
そう言ってから、自分の声で実際に口にしたことに気がついた。
小姓がまた体を震わせている。その姿に、
(いますぐ可愛がってやるか)
そう思い、口を開こうとしたところで、また馬車が大きく揺れた。
「何をぉしているかぁ!?」
思わず前にいる御者を怒鳴りつける。
「はっ! も、申し訳ありません。何しろ路が狭く、この馬車が通れるギリギリなところで……」
「黙れ! 言い訳などぉ聞きたくないわぁ。このグズがぁ。この馬車に幾らぁ金が掛かってぇいると思うぅ!? 貴様のぉ一族郎党をぉ売り払ったところでぇ賄い切れるものではぁないわぁ!」
「は!? は、はい……」
「なんだぁその返事はぁ!? 不満でもぉあるのかぁ!」
「い、いえ、そのようなことはございません、ダストン様! もう抜けましたので、これからは安定するかと……」
「ふん、気をつけて進め!」
「はっ!」
全く馬鹿ばかりだ。どいつもこいつも儂が導いてやらねばどうにもならない。それにしても連隊長として大任を担う儂が無能な御者の面倒をみなければならんというのか!? そもそもあのギデオンからしてそうだ! 一度は騎士団を離れ、剣しか知らぬ老耄が私を差し置いて総大将だと!? その上、骨董品のレオポルドが軍監とは! 陛下も何を考えているのだ!
「か、閣下! 第三部隊からの伝令です」
そう言って飛び込んできたのは連隊長補佐のファルドレだった。いつもは取り澄ました顔を、いまは醜く引き攣らせている。それを見て思わずカッとなる。
「なんだぁあ!? 突然にぃ!」
「はっ! 先頭部隊からの連絡で、周囲を多数の敵に囲まれ防戦中とのことです!」
「な、なんだぁとぉ!? 多数とはなんだぁ!?」
「ふ、伏兵とのことです!」
「ふざけるなぁ! 蛮族どもにぃ、そんな頭がぁあるかぁ!?」
「はっ! しかし報告では谷を抜け開けた平坦地を進んでいたところ、いきなり周囲の岩の影から射かけられたとのことです」
「魔法で防いでぇ、騎馬で蹴散らせばぁ良いことではないかぁ! なんのための魔法隊か!?」
「そ、それが……」
醜い顔をさらに醜く歪めて何か言い淀む。
「なんだぁ!?」
「はっ! どうやらここは周囲が低い丘に囲まれた盆地のようで、そこへ広域の魔力阻害魔法が掛かっているようで……」
「蛮族風情の魔力で、我がアウレリアの魔法部隊の魔力が通らぬというのか!?」
「は、はい! 防御魔法程度であれば展開できるとのことですが、遠距離の攻撃魔法が無効化されるとのことで……」
信じられないことだった。オークやゴブリンといった蛮族の中にも、多少は魔力を持ち、魔法を使えるものも存在はする。しかし、アウレリアの魔法部隊の魔力を阻害するほどの力があるとは思えない。
ずっと霧の中で微睡んでいた意識が少し目覚めるような気がした。
「な、なぜだ?」
「は? なんのことでございましょう?」
「……なぜ、このようなところへ軍を進めているのだ?」
「そ、それは! 閣下が大軍を以て敵を一撃に、後顧の憂いを断ち、以て全軍の指揮を高めると……!」
「そんなことではない! なぜこのような場所に軍を進めているのかぁ!? これでは――」
(敵に包囲してくれというようではないか!)
と言おうとしたところで周囲でわっと声が上がり、馬車が止まった。
「今度はなんだぁ!!」
「敵です、トロールが……!」
次の瞬間、広く開いた馬車の幌越しに、こちらへ向かって何かが飛んでくるのが見えた。
ドガン!
物凄い物音と共に大地が揺れる。
馬車のすぐそばに大人が両手で抱えられるほどの大きさの岩が降ってきたのだ!
二頭立ての馬が嘶き、御者がなんとか落ち着かせようとしている。もうもうと砂埃が立ち上り、たちまち馬車の中にも入ってくる。その中を補佐のベルガーが駆け込んできた。
「連隊長! 後ろっ、いえ後背が――」
「なんだ!? しっかりぃ、報告せんかぁ!」
「はい! 我が隊と第八部隊との間に敵が侵入、分断されつつあります!」
「退却、いや後退してぇ前後で揉み潰せば良いことだろうぅ!」
「それができないのです! この軍勢では我々が通ってきた隘路をそのまま通過することはままなりません」
「ならば前進あるのみだぁ! なんのための騎兵隊かぁ!」
「それができぬのです!!」
(なんだ、その口の聞き方は!)
と怒鳴りつけようとした矢先に、次の言葉が叩きつけられた。
「奴らは泥濘の魔法を前方の広範囲にかけています! したがって騎馬隊の突撃は無理なのです!」
「なっ!?」
思わず絶句した儂の様子を見て、一度口を閉じてから話し始めた。
「いまは徒士隊を全面に立て防戦しておりますが、敵の数が多く……」
「そんなわけはあるまい! 長城があり、白狼の砦は未だ健在なのだぁ! 転移魔法で送れるのはせいぜい数十騎程度のはずだぁ」
「恐れながら、奴らは別の方法で侵入していると思われます」
「別の方法だとぉ?」(一瞬、ファブアンの忌々しい顔が浮かぶ)
「はい。その方法は分かりませんが、それを潰さぬ限り、状況の好転はないか……」
ズシンという音と共に大地が揺れる。また近くに巨大な岩が投げ込まれたのだ。
(我が軍が負ける? 蛮族共を相手に――)
不意に首の後ろが寒くなる。
「急いで魔法隊をこの馬車の周りに呼び寄せよ。徒士隊もだ!」
「か、閣下! それでは前線が――」
「何を言う! 儂に万が一があれば、第二軍は終わりだぁ! この戦は終わりだぞ!」
「はっ……、分かりました。そのように伝えます。……それで、共に侵入したランドルフの第二部隊にはなんと伝えますか?」
「放っておけ」
「はっ?」
「放っておけとぉ言ったのだぁ。ここは前線であるぅ。各々の現場で最善を尽くすのがぁ当たり前ではないかぁ!」
「はっ!」
不安そうな顔をしたベルガーが出ていく。そういえばファルドレの顔がいつの間にか見えなくなっていた。それにあの可愛いポールの姿も見えないではないか!
ズシンという音が近くで聞こえる。
慌てて周囲を見渡すが、声をかけられそうな奴はいない。一瞬パニックに陥りそうになった。
また大地が大きく揺れて目を瞑り身を固くして馬車に捕まる。
馬車の揺れが収まった時、なぜか儂は、
(まあ、それどころではないか)
と思った。それどころか消えた小姓の名前も顔も、うまく思い出せないことに気がついていた。
(いつからあれは儂の周りにいたのだ――)
体が慄え、総毛立っていた。
こんにちは、佐藤峰樹です。今週もありがとうございました。
今回はまさかのダストンです(笑)。実際にこんな奴がいたら大変ですが、書くのは割合楽しいのが不思議です。
それにしても一週間が経つのが早くて困ります。アイデアは色々あるのですがモニターに向かう時間が取れず困ったところです。週末にまとまった時間をとって貯金に励みたいところです。
皆さまからのブックマークと評価は、そのまま週末のモチベーションに直結していますので、よろしければ、ぜひお願いします。
次回は来週の月曜日7時前後の更新を予定しております。またお会いできることを楽しみにしています。
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