第百二話:もう一つの因果の端。第十三部隊の戦い【前編】
「敵襲といってもぉ、せいぜい相手は二、三十騎からぁ四十騎程度というではないかぁ! それもぉこちらの反撃でぇ簡単に逃げ出したというぅ。ならばぁこれを追ってぇ後顧の憂いを断つべきだろぉう!」
ダストン連隊長が大きな腹を揺すらせてそう言った。
私にはそれが上級貴族風なのか分からないが、そのおかしな発音で発せられた主張に、幕舎に集められた少なからずの隊長が賛同の声を上げた。しかし私を含む半分ほどの隊長の顔色は冴えなかった。それはそうだろう、たとえ少人数でも進軍する隊列の後背を襲われるというのは心穏やかではない。自軍と母国との間を敵によって断ち切られるということ自体が、その規模とは関係なく兵士を不安にさせるのだ。
遠慮しがちに、第五部隊のオーツ隊長が意見の具申を求めた。連隊長は弛んだ顔の皺を震わせて一息つくと、面倒臭そうに頷き許可を与える。
「連隊長のご主張はもっともなものと考えますが、ギデオン総大将はどうお考えなのでしょうか?」
連隊長は半ば肉に埋もれた細い目で発言者を一瞥すると、もっちゃりもっちゃりと重そうに口を動かす。どうやら口についたあの肉が変な発音の原因らしい。考えてみればこんな風に喋る貴族を私は他に知らない。
「現場のことはぁ、現場の判断を、第一とすべしぃ。それが、我が軍の基本方針であるっ」
「なるほど……、それは総大将のご指示ということでしょうか?」
「無論だ。会敵すればぁ鎧袖一触! これを殲滅するぅ。でなければ、何のためのぉアウレリア騎士団であるかぁ!」
「はっ」と短く答えて隊長が引き下がる。これ以上の問答は却って事態を悪くすると思ったのだろう。
(しかし、ちょっと遅かったな)
と私は思った瞬間、連隊長の怒号が叩きつけられた。
「貴様はぁあたら蛮族の小兵力を恐れてぇ、全軍の士気を挫くというのかぁ!?」
「いえ! そのようなことは毛頭ありません!」
慌てて床几に座る隊長を見てあからさまな侮蔑の表情を浮かべる。さらに細くなった目からは(少門閥の貴族の小倅が、生意気なことを言うな)という声が聞こえるようだった。
それからしばらくは軍議という名の、お調子者たちがお追唱をさえずる舞台となった。そんな中、私は連隊長から一番離れた末席にいる身の幸運を静かに味わっていた。気がつくと連隊長付きの小姓がカップを差し出していた。中を覗くと最近流行りのガヒと呼ばれる飲み物だった。寒い地方で取れる果実の種を炒ってから粉状にして抽出するもので、貴族の中で珍重されているらしい。
私は以前飲んだことがあったが、苦くてとても口に合わず、酷い目にあったので、軽く首を振ってこれを断った。
それを目ざとく見つけたのが、連隊長の横に座っていた連隊長補佐の男だった。最初に会った時に挨拶はしていたはずだが、聞いた途端、私の頭からは零れ落ちていた。
「おや、第十三部隊のファビアン隊長はガヒがお口に合わないか?」
素早く側に控えているリナが他には聞こえない小さな声で、
「シュルツ」
と呟いた。持つべきは有能な副隊長だ。
「いえ、どうも南育ちの私の口には少々苦すぎるようで、ご遠慮した次第です。シュルツ連隊長補佐」
ふん、と大きな鼻息を鳴らしたのは高みに座るダストン連隊長だった。残念ながら耳は良いらしい。
「ほぉ、儂がわざわざ用意したガヒが飲めないというのかぁ?」
肉に挟まれた細い目に、陰険な光が宿るのが分かった。
「ご無礼をお許しください。貴重な物であることは承知しておりますが、飲み慣れぬものを口にしてお腹が驚いて、今後の行軍に差し障りがあってはいけませんので」
我ながら大した返事だと自画自賛していたが、連隊長は違う意見を持っていた。
「ふん、海賊上がりの平民風情に分かるはずのない味だ。小魚は塩水でも飲んでいるがいいのだぁ」
そのあからさまに侮蔑を隠そうともしない言葉に、さすがに幕舎の面々がギョッとしたのが伝わってきた。陰で何を言われているのかは私も承知していたが、こうした公の軍議の席でここまで悪様に扱われたことはなかった。上官といえども一線を超えていた。
横に立つリナが緊張するのが分かった。私は小さく彼女を制しながら、素早く居並ぶ連中の顔色を伺う。
(およそ三分の二かな)
そう心の中で見積もると、改めて口を開いた。
「ええ、正確には海賊を捕まえる方の立場でしたが、まあ似たようなものでしょう。塩水で慣れた口は苦さに弱い物なのです」
そう言うと予想通り席に着いた面々の三分の二が笑った。私は一緒に笑いながら小さな声でリナに、
「笑っている奴の顔を覚えておいてくれ」
と告げた。ひとしきり笑いが収まるのを待って、私は改めて口を開いた。
「ところで敵のことです。連隊長はなぜ彼らが我々の後方から現れたとお考えでしょう? 事前の報告では、奴らは現在、白狼の砦に殺到しているとのことでした。また砦が破られたという報告もありません。なのに少数といえども敵が我が方の後背に現れたということは、あるいは奴らが何らかの手段で長城を超えたということではありませんか」
幕舎から笑い声が消えた。全員の視線が自分に注がれているのを感じた。その静寂を破ったのは連隊長の馬鹿笑いだった。特製の大型の床几を軋ませ、体全体をゆすって笑うその様子は、酷く不恰好だったが、次第に加わる者が現れ幕舎を揺らすほどの笑い声となった。
笑いながら苦しそうに連隊長が口を開く。
「ファビオン、お前はぁあの長城が破られたと、そぉ言うのか?」
私は発音の誤りについては無視して話を続けた。
「いえ、そうではありません。ただ実際に敵が現れた以上、何事にあたっても可能性を考えるべきではないかと――」
「ふざけるな!!!!」
突然の怒声に、私を含めた全員が呆気にとられた。驚いた小姓の一人がカップを落とし、ガチャンと砕ける音が聞こえた。それに気がついた連隊長が妙な声でその小姓に声をかける。
「おお、ポールよ、驚かせてしまったか。すまぬ、すまぬ」
太った男が体を震わせ、私的に連れてきている、まだ子供のような自分の小姓に謝っている姿は滑稽を通り越し、異常な光景だった。謝られた小姓が引きつった顔で立ち尽くす。私の後ろでリナが小さく呻いているのが聞こえた。当の本人はそれを気にする様子もなく私を見ると怒りを再燃させた。
「貴様はぁ、何の証拠があってぇ長城が破られたなどというぅ妄言を吐くのかぁ!?」
「いえ、私はそんなことを申し上げたのではありません。いかにして奴らが砦を破らず、長城を超えたのかについてお考えを伺っただけです」
「あの長城は五百年の遥か昔、伝説的な大魔法使いアクレーヌが築いたものぉ。オークやゴブリンなどの蛮族が破れるものではないぃ! 貴様はぁ、臆病風に吹かれて気でも狂ったのかぁ!? お前のような者にその副官は勿体ない、儂の下に転属させよぉ! そもそもぉお前はぁ、下民の分際でぇ……」
(これは話にならないな)
私は罵詈雑言を聞きながらそう思っていた。
その後、連隊長が私に対する悪口を言い疲れたのを期に散会となった。
結局、決定されたのは私の第十三部隊を含む第二軍の約半数を率いて、逃げた敵を追跡しこれを殲滅するということだった。「それでは第一軍との間の距離が開いてしまう」という意見や「確認されている敵に対してあまりにも戦力を割きすぎる」という声もあったが、「大軍の一撃を以て敵を破り、補給線を確保する」という意見が優先された。
最後に連隊長は、
「初戦でこれを討ちぃ全軍の士気を上げぇ、きたる我らのぉ凱旋の帰路を汚す道草を根絶やしにぃするのだぁ!」
と宣言した。
自分の幕舎に帰る私に、周囲に人がいないことを確認した上でリナが小さな声で話しかけてきた。
「隊長……、私、あいつを射殺してもいいでしょうか」
どうやら彼女の怒りは限界を超え、純粋な殺意に昇華されたようだ。
「まあ、それも一つの手ではあるのだけど……」
と答えながら私はずっと他のことを考えていた。彼女は自分の言葉が肯定されたことで却って頭が冷えたのか、驚いた顔で私を見ていた。
「リナ、私たちは相当まずい状態にいる」
「えっ!?」
「私に対するあの態度は流石に異常だ。もともと歪んだ自尊心が制服を着て歩いているような奴ではあるが、軍議の席での振る舞いは知っているはずだ」
その言葉に思わず立ち止まりそうになるリナを、
「止まるな」
と制する。
「作戦についてもおかしい。戦列が伸びている現在、第一軍との関係は密にして、まずはギデオン総大将に状況の確認をすべきだ。何しろ長城を超えて我々の後ろから敵が現れたんだ。少なくとも以前は、その程度のことが分からない人ではなかったはずだ」
「確かに。嫌な人でしたが完全に無能というわけではなかったと思います」
私は色々なことを考えつつ、リナに尋ねる。
「あの時、私と同じ部隊長のうち何人笑っていた?」
彼女は歩きながら、私の主語を省いた質問に素早く答えた。
「八人です。第一部隊のジークムント隊長、第二部隊のランドルフ隊長、第三部隊のバルタザール隊長、第四部隊のガンター隊長、第七部隊のブルーノ隊長、第八部隊のビッケ隊長、第十一部隊のレオン隊長、第十二部隊のミューラー隊長の八人です。それに連隊長補佐のベルガー、シュルツ、ガンツですね」
「そうか……」
「どうしたんですか?」
「方法は分からない、が、彼らは何者かに操られている可能性が高い」
「!? でもどうやって!?」
「――恐らくあの飲み物もその一つだろうが、それだけじゃないと思う。いずれにしろ連隊長に近しい人間は軒並みやられていると思った方がいい」
「ほ、報告は!? ギデオン総大将や軍監のレオポルド様に……」
「難しいと思う。さっきのことで私たちは恐らく見張られている。それに軍律に正せば、現場において上官の命令は絶対だ」
「……」
私は頭を掻き回した。何でこんなことになったのか……。やっぱり田舎で海賊を追い回すか、魚でも釣っていれば良かったのだ。そう思って横を見ると心配そうなリナの顔が見えた。
「……片足を船に乗せたら、後は乗って漕ぐしかない」
「えっ?」
「親父がよく言ってた言葉だよ。一般には『乗りかかった船』という奴だ」
きょとんとしている彼女に聞こえないように呟く。
「そう言って、沈没する奴が多いんだけどね……」
「えっ、なんですか?」
「いや、気にしなくていい。それより追撃戦の用意だ」
「はい!」
なんといっても彼女は騎士になりたくてなった人間だ。どんな戦であれ、一旦戦うとなれば心が落ち着くらしい。
鉛色の空から白い物が降ってきた。私は空を仰ぎ見る。冷たい雪に触れた唇から、不意に言葉が溢れた。
「……この空の向こうに」
「えっ?」
「この空の向こうに誰がいるのか。未だ知らず。されど空は繋がり、未だ知らぬ者たちと事物を結ぶ。因果の地平は万人の紡ぐ糸に結ばれし、その模様は夢幻に綿々と織り続けられる――」
リナが大きな瞳をパチパチさせた。
「なんですか、それ?」
「詩だよ。昔、親父が乗せた客から教わったそうだ。色々な話を知っている親父だけどね、この一文は特に気にいっていたみたいで、酔っ払うとよくでかい声で吟じていたよ」
彼女が私につられてチラチラと雪が降り始めた空を見上げた。その翡翠色の瞳が、少し濃くなったように見えた。
(……無駄な戦だ。だからこそ生きて帰らなければ)
私は胸の中でその瞳に誓った。
こんにちは、佐藤峰樹です。
さて北伐編です。相変わらず登場人物に振り回されながら、都度都度作ってきた設定集を引き引き書いています。スケールが大きくなった割には細々したことばかり書いているような気がしますが、詰まるところ、どんな大きなことも小さな人間関係から始まっているからなんでしょう。多分。
週を跨いだ前後編で、かなり大きなジャンプの上、時間まで昼の12時から朝7時へのお引越しと、小心者の著者としては大冒険でドキドキしています。
本話が初見という方もいらっしゃると思いますが、もしかしたらこれも多生の縁かもしれません。これをきっかけにブックマークに加えていただければ嬉しいです。もちろん評価も大歓迎です!
どうぞよろしくお願いいたします。
次回は明日7時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




