第百一話:二つの空の下で【後編】
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最初に異常に気がついたのは見張のベルクだった。私と同じ南の出身で、「昼間でも星が見える」という、目が良いことが自慢の男だった。
そのベルクから私に報告があったのは、昼食を摂るための小休止の時だった。
「ファビアン船長、なんだか様子がおかしいですぜ」
「その呼び方はやめてくれ。私は船長じゃないよ。第一、ここは陸だ」
海賊討伐時代からの私の部下であった彼は、いまだに私のことを「船長」と呼んでいた。私も最初は訂正していたが、面倒になって放っておいていた。もっともこの第十三部隊の隊長を拝命してからは、副隊長のリナが目を光らせているのでずいぶん減っては来ていたのだが、この時は興奮していたようで、元の呼び方となっていた。
「あ、すみません。隊長! それはともかく、どうも妙なんです」
「どうしたんだい?」
「どうも右舷側、4時の方向……じゃなくて、右後方から俺たちを追ってきている部隊があるようなんです」
「リナ、上から何か報告はあったかな?」
そばに控えているリナが少し緊張した面持ちで答える。
「いいえ、特には。ここはまだ前線からは遠く、敵が現れるには距離があり過ぎます」
それでも少し不安に感じたのだろう、腰の単眼鏡を外すと背後となる南東の方向に向けて覗き込む。
「……何も、見えませんね」
ベルクがやや気色ばんだ様子で抗議の声をあげる。
「そんな筒っぽ覗いたって何にも見えやしませんよ。大将、いや隊長! あっしの目のことはご存知でしょう? 嵐の中、敵の船を見つけたことを覚えてますでしょう!?」
「ああ、覚えているよ。あれは凄かったな」
ベルクが私の言葉に相好を崩す。根が明るい南の人間なのだ。一方のリナはやや不服そうにしている。
「……確かにベルクの目が良いのは認めます。しかし、行軍計画や上からの情報などから考えると、敵がこんなところに現れるはずはありません」
「あっ、あ〜! リナ副隊長は俺のことを疑っているんですか!? 俺はこの目で見たんですぜ!」
「敵をかい?」
私がそう尋ねると、ベルクが口ごもった。
「い、いや、敵かどうかまでは分からないですが……。そ、それでも何かがこちらに向かっているのは間違いありませんぜ!」
「いまはどうだい? いまも見えているのかい?」
ベルクが背後の一点に眼を凝らす。
「……いまは、その、……見えません。で、でも! さっきは確かに見えたんです!」
と口角に泡を飛ばして言い募る。
ふ〜むと考え込む。
リナの言う通り、我々がいるのはまだ前線からは随分遠かった。確かに北へと進むにつれて寒さは日増しに厳しくなり、南育ちの私は毎朝リナに起こされるのが日課となっていたが、それでも最前線のアイゼンハイド辺境伯が籠る白狼砦までは一週間、戦時警戒を敷く前線領域にもまだ三日程度の余裕がある。
(ただし……)
気になることがないではなかった。
「分かった。念のためダストン連隊長へ報告しておこう。リナ頼むよ」
「はい」
そう答えながらリナは、自分の注進が認められたベルクが機嫌良く帰っていくのを少し忌々しそうに見ている。
「どうしたんだい?」
そう声を掛けると、彼女はキッとした目で私を見た。
「だって、連隊長に報告に行くのは私なんですよ!」
「まあ、君は副隊長だからね」
スッとリナが顔を近づけてきた。こういう時は扱いに気をつけなければならない。
彼女は他の者に見られないように、口を片手で軽く覆いながら小声で話し出した。
「あのダストンという男、ろくでなしですよ。あんな奴に何を報告したって無視されるか、せいぜい馬鹿にされるくらいで、何の役にも立ちません。それに……」
「それに?」
「あいつの私を見る目の嫌らしさったら」
そこで彼女はやや大袈裟に体を震わせた。
「自分の娘くらいの私に向かっておかしな目つきで! 本当に気味が悪い。大っ嫌いです!」
「なるほどねぇ」
と、この作戦に参加して以来、やや聞き飽きた悪態をのんびり咀嚼しながらリナを見直す。あまりそうした目で見ることはないのだが、確かにリナが平均以上の容姿をしていることは認めざるをえない。
長めの赤髪はポニーテールにまとめられ、わずかに吊り上がった目には意志の強さを表すように翡翠色の瞳が輝き、唇はふっくらとして厚みがある。もっともこちらはもっぱらへの字なことが多いのだが。
体型も弓矢遣いらしく引き締まっていて、私と違って長身に制服をビシッと着こなし、弓を引く邪魔にならないように着けられた胸当てが、否が応でもその下に押さえつけられたものの豊かさを分からせる。
彼女が副官として私の下についたのは正式にこの第十三部隊が編成される前からだったので、二年弱といったところだろう。地元で成り行きで始めた海賊討伐の自警団活動が目に止まり、正規軍への編入の声がかかり、三男坊の私としては他にやることもなく喜んだ親兄弟から送り出されて以来の付き合いだ。
聞けばどうもそこそこの貴族のお家柄だというが本人からそのことを話すことはなく、初めての任務が何とか終わった時に、
「私のことはリナと呼んでください」
と宣言して以来、彼女のことはリナと呼んでいる。色々あるのだろうが正直、私はあまり興味がなかった。そうでなくともこの部隊は、母国の部隊からはみ出た者ばかりで編成されたものだったからだ。そんな連中にリナはなぜか人気がある。先ほどのベルクを含め、いざという時には一癖二癖ある連中がリナには従うのだ。本人は意識しているかどうかは分からないが、どこか姐御肌なのが気に入られているらしい。
「どうしてそんな風になったのかね」
思わずポロリと出た私の言葉を耳ざとく聞きつけたリナが鋭い視線を向ける。
「聞いていますか、隊長!?」
「ああ、聞いている、聞いている」
慌てて両手でなだめながら頭を回転させる。
「いや、君には何かと苦労を掛けていて、いつもすまないと思っているんだ」
居住まいを正し、少ししんみりした口調でそう言うと、リナの顔から怒気がスッと消えた。
「私のような面倒な男を上官にして、君も辛いだろう」
「あ、いえ、別にそんなことは……」
「正直、転属の希望があるのなら遠慮せずに言って欲しいと思っている」
リナの顔色が変わる。
「な、何を言っているんですかファビアン隊長! 私は隊長の下で戦えることを光栄に思えばこそ、不満になど思っていません!」
「……本当かい?」
「本当です!」
ガッチリ釣り針に食いついたのを確信した。しかし勘の良い娘なので、ここで急ぎすぎてはバラす恐れがある。なので少し待つ。
翡翠色の大きな瞳が私をじっと見ている。沈黙の中、長いまつ毛が二回、パチリ、パチリと大きく瞬きをした。
頃合だ。
「じゃあ、悪いけど報告を……」
「任せてください、私は副隊長です! じゃぁ行ってきます!」
そう言うと彼女は颯爽と馬首を連隊長の幕舎へと巡らし、走って行った。
(ちょろいな)
と思いながら、私は心の中でその後ろ姿に両手を合わせていた。
ふと見上げた空はどんよりと鉛色で、いまにも雪がちらつきそうだった。
それから間もなく全軍に背後から敵襲の報告が告げられた。
(第百一話 了)
こんにちは、佐藤峰樹です。今週もお読みいただきありがとうございました。
舞台が竜背丘陵からバコーンと北へと飛んで戸惑った方もいらっしゃると思います。すみません。北伐勢からの「いいかげん、待たせすぎた!」という圧に従い、ep.175 第八十八話 幕間二:深淵の徴候と混色の旅団【後編】(https://book1.adouzi.eu.org/n4674ld/175/)の最後に、ちょろっと登場したファビアンたちの登場となります。「え、ライルたちはどうなるの!?」とお思いの方。大丈夫です! 来週月曜日に更新される、本話の後編最後に登場する詩のように、いつかは紡がれる糸の模様をお楽しみいただければと思います。
そんな週を跨ぐ糸の行き先を知りたい! と思われる方がいらっしゃいましたら、この機会にブックマークと評価をお願いします。登場人物たちの行動に右往左往している著者のモチベーションに、明確に影響します。ぜひ★★★★★を頂けましたら嬉しいです。
また、来週月曜日から更新時間を朝7時前後とします。打ちながらも、そもそも自分が起きられるのか?(原則手動更新なのです) という気もするのですが、「やってやるぜ!」のダンクーガ魂で挑戦です! 更新が7時10分とかになってた時は「あ、起きられなかったんだな」と生暖かい目で見てやってください。
そんなわけで次回は来週月曜日7時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




