第百話:私の中の、名を持つ者たち【前編】
(ライル様の声が聞こえた)
その瞬間、私の意識は深い湖底から水面に浮上するように目覚めた。そこで突きつけられたのは、自分が巨大なゴーレムと化し、ライル様をはじめとした人々を遥か下方に見下ろしているという、あまりに無慈悲な現実だった。
(私は、怪物になってしまったのだ)
とてつもない絶望が私を襲った。籠の鳥のように生きてきた私が、初めて自らの意志で行った選択――それはメルルと名乗る魔術師を相手に、自分の身と引き換えにクラリスやフォルカーたちを守ることだった。その後のことは覚えていない。いつの間にか私は深い眠りの淵に沈んでいた。時折、耳障りな声が私を呼び戻そうとするのを感じたが、それに応えることはなかった。私はただ眠りたかったのだ。
だが、ライル様の声によって呼び起こされた先で、私は不細工なゴーレムに変貌していた。そこには私らしさなど、何一つ残っていない。金色の髪も、瑞々しい肢体も、少しだけ形を気に入っていた鼻もなく、ただゴツゴツとした禍々しい土塊の肉体があるだけだった。
「いやぁーーーーーー!!!」
魂を振り絞って叫んだはずだったが、巨大な顎から漏れ出たのは、
「グゥァアァーーーー!!!」
という、理性を欠いた獣の雄叫びだけだった。
(私は化け物だ。なぜ……なぜ私は、こんな姿に……)
絶望に身を震わせた時、胸部に黒い繭のような塊が埋め込まれていることに気づいた。無理やり顎を引き、視線を落とす。そこで私が見たのは――私自身だった。ボロボロの稽古着は背中側が引き裂かれ、露わになった白い背中に、何本もの黒い管が血管のように這い、繋がれている。それは恐ろしくグロテスクな光景だった。まるで私という存在が、この巨大なゴーレムの「心臓」として、強引に組み込まれているかのような――。
「アレクシウス、お前は古のゴーレムの器だ」
不意に、禍々しい男の想念が頭蓋に響いた。聞き覚えのある声。眠りのなかで何度も何度も、執拗に私を呼び覚まそうとしていたあの声だ。
「お前の体は、多くの者の犠牲の上に成り立っている。お前はそ奴らを統べる『器』なのだ」
その言葉を合図に、堰を切ったように、無数の声が、感情が、記憶が、私の中へと流れ込んできた。
『……お母さん、今日ね、先生に褒められたんだよ』
マルコ。十歳。まだ幼い男の子だ、希望に満ちた声。
『僕の火の魔法、上手だって。お母さん、見ててくれた?』
その声は、次第に震え始める。
『先生が言ってたんだ、将来は立派な魔法使いになれるって。だから、お母さん……だから……』
声が途切れる。
『……痛い。痛いよ、お母さん! やだ、体が溶けてる! お母さん、助けて――!』
悲鳴は途中で濁り、溶け、消えた。
『……研究日誌、三百二十七日目』
エリナ。四十三歳。落ち着いた女性、知的な響き。
『ようやく仮説の検証が終わった。あと半年もあれば、論文にまとめられる。これで、ようやくエスター先生の名誉を回復できるわ』
静かな誇りと達成感をじわりと伝わる。
『明日は久しぶりにアイシャに会いに行こう。きっと喜んでくれる。私の研究が、多くの人を救えるのだから。アイシャには、無理に魔法使いにならなくてもいいと言っている。でも、もしその道を選ぶなら、私は全力で……』
声が、唐突に断絶する。
『……え? 何、これ……魔力が、吸い取られて……娘に、可愛いアイシャに会ってない……! やだ、まだ何も伝えてない! 愛してるって、誇りに思ってるって、言ってない……!』
叫びは、悲鳴に変わり、やがて消えた。
ソフィア、十九歳。『結婚式はまだなのに……』
デイヴィス、三十七歳。『息子の成人式を……見たかった……』
リリ、十四歳。『友達と、明日、魔法の練習をするって……約束したのに……』
マルコ、エリナ、ソフィア、デイヴィス、リリ、オスカー、アンナ、トーマス……。私の中にいる人々、それぞれに名前と人生があった。そこには夢があり、大切な人がいた。そのすべてが無理やり奪われ、溶かされ、混ぜ合わされ、いまゴーレムという「兵器」の糧と化していた。
『痛い』『助けて』『なぜ?』『許さない!』
圧倒的な怨嗟の声が、津波となって押し寄せる。そして何より恐ろしいのは、その濁流の中に、自分自身の声も混ざっていることだった。
(私も……私も、彼らと同じなのだ)
アレクシウス。二十一歳。女性で王太子。王位継承という定めに縛られた偽りの人生。孤独な日々。意思に反して女性として成長していく体への戸惑いと、将来への不安の渦の中で溺れかかっている。
(私は……誰だ? アレクシウスか? だとして、これほどまでして生きる価値があるのか……?)
自我が、内側から崩壊を始める。
その時、視界の端に、ライル様の姿が映った。
こちらを見上げている、その表情は穏やかだ。
(ライル様……!)
私はその姿に、溺れる者が浮き木を掴むようにすがりついた。
(助けて……助けてください! この声を、この苦しみを……止めて……!)
だが、その悲鳴を塗り潰すように、再び冷酷な声が響いた。
「服従せよ」
ガロンの声だ。
「お前は道具だ。感じるな。考えるな。お前が何を望もうが関係ない。お前は王家の血を引く器としてのみ、存在を許されているのだ」
その声には、抗いがたい力があった。従えば、この苦しみから解放される。もう何も考えなくて済む。
(……いや……)
抵抗しようとする意識さえ、無数の怨嗟に埋もれていく。視界の中のライル様の姿が、ゆっくりと遠ざかり、ぼやけていく。
(もう、終わりだ……)
その時。
ライル様が、刀のハバキを親指で押し上げ、静かに鯉口を切るのが見えた。
カチリ、という硬質な音が、爆音のなかで不思議なほど鮮明に響く。
彼はそのまま刀を少し引き出すと、吸い込まれるような動作で鞘に納めた。
パチィン――!
鋭く、澄み渡った鍔鳴り(つばなり)が、地下空洞のあらゆる雑音を切り裂いた。その音は、何万もの怨嗟の声を一瞬で静め、私だけに向けられた合図のように、まっすぐ魂に届いた。
それを聞いた瞬間、私は再び深い眠りに落ちた。だが、それは先ほどまでの底なしの虚無ではない。水晶の離宮で感じた「確かな自分」への手がかりを、心の奥底に感じていた。
(私は、私を確かめなければならない)
そう決意し、私は安らかな闇へと目を閉じた。
こんにちは、佐藤峰樹です。
今回はアレクシウス主観での展開となりました。幾つかあった選択肢の中で、一番際どいものを選んだ、というか「選ばされた」感じです。
そして今回は記念すべき百話目!ありがたいことにブックマークがとうとう100をマークできました!
連載開始四ヶ月目にして、書き始めた時の目標が達成できたのは望外の喜びです!
ブックマークに加えたいただいた方はもちろん、本作をここまでお読みいただいた皆さまに心から感謝いたします。
次回は明日の12時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




