第九十六話:沈黙する魔女と、深淵を駆ける者【前編】
「……ご無事か、ルナリア殿」
イザベル様が、そう、ルナに話しかけるのが聞こえた。私は反射的に彼女たちの声が聞こえない位の距離へと場所を移した。
ルナとイザベル様の間で何があるのか、私は詳しくは知らない。クーデター事件以来、ルナが騎士団の仕事を手伝っていることは父から聞かされていたが、それ以上のことは聞いてはいなかった。
父自身、何となくその話題には触れたくないような気配もあり、私も詳しいことは聞こうとしていなかった。
それでも、二人の様子を見れば察することはできた。
(あのルナが……)
少し安心したような、それでいて寂しいような、複雑な気分がした。チラッと様子を見てしまう。二人が何を話しているのか、声は聞こえないが、その雰囲気から大事な何かを、育てていることが伝わってくる。
(ルナも驚きだけれど、イザベル様も……)
王都で一緒に行動したことがあったが、その時のイザベル様は冷静沈着で、とても想像できなかった。
(だけど……)
と、思う。
改めて周囲を見回すと、そこには無数の屍が転がっていた。どれもその斬撃の鋭さと急所を狙う正確さ、そして倒れている方向から、そのほとんどが一人の手による仕業だということが分かった。
(恐らくイザベル様だろう)
と思う。ただその所業は、騎士のそれではなかった。相手を人とは思わない無慈悲さと共に、隠そうともしない破壊衝動が見てとれた。
(これが、騎士であるイザベル様の剣なのか……?)
強い違和感を持った。
(いま考えることではない)
そう思った私は、ギュッと一度目を瞑ると、そこから視線と心を離し、ネネトと呼ばれる女魔術師に近づく。
さっきまで憎々しげな表現で、私の心を乱そうと辛辣な言葉を発していた女が、いまはルナの魔法により、赤いルビーのような硬質なもので全身を覆われ、瞬き一つできずにいた。
ルナが生み出した無数の蝶が、幻想的に宙を舞う様子は壮観だった。昔からルナの魔法には彼女らしい華と悪戯心がある。だから(そんな場合じゃない!)と分かっていても思わず見惚れてしまう。
目の前の、ルビーでできた女魔術師の彫像を眺めながらそんなことを考える。
気がつくとルナとイザベル様が近づいて来ていた。ルナはイザベル様が使っていた遮蔽布を身に纏っている。
チラッと私を見たルナが、私に小さく照れたように微笑んだが、すぐに表情を引き締めた。
「あまり時間はありませんわね」
ルナはそう言うと、右手を固まった女魔術師の顔に向けた。
パリン、という音を立てて、顔を覆っていたルビーのようなものが砕け散る。
見開かれたまま固まっていたネネトの目に生気が戻った。彼女は目の前に立つルナの姿を見て、すぐに状況を把握したのだろう、灰色の瞳に屈辱と敗北感が浮かんだ。ルナはその様子を無表情のまま冷たく一瞥する。
「魔術師さん、お喋りの時間よ。……と、言ってもどうせ雇い主に何かの呪いをかけられているのでしょう」
「ガロン様は雇い主などではない! 崇高な目的を持ち、我々を導く方だ!」
ルナは激昂する彼女に、手をひらひらさせてみせる。
「はいはい、全く魔術師ってどうしてこんなに言うことが詰まらないのかしら? 独創性のなさに呆れるわ」
そう言うとチラッとイザベル様を見る。僅かな彼女の眼の動きで意図を汲んだルナが、有無を言わさず自分の右手の平をネネトの額に当てた。
「私に精神干渉だと? 無駄なことを……!」
「お黙りなさい」
ピシャリとルナが言い放つと、操り人形の紐が切れたように、ガクンと顔が項垂れる。
ルナが目を瞑り神経を集中するのが分かる。
「クッ……ゥッ……!」
ネネトの口から小さく、呻き声とも悲鳴ともつかない声が漏れる。それに応じてルナの顔が険しくなった。
やがて、弾かれるようにルナの手の平がネネトの額から離れた。その顔からは血の気が引き、見開かれた金色の瞳には、触れてはならないおぞましい深淵を覗き込んでしまったかのようだった。口の中で小さく呪いの言葉を言ったようだったが、それは小さすぎて私には聞こえなかった。ルナは一度強く目を瞑り、乱れた呼吸を整えてから、静かにその眼差しを戻す。
「……殿下はこの下におられます」
「ご無事なのか!?」
語気鋭くイザベル様が問う声に、ルナは少し見上げるように顔を見る。
「……分かりません」
その言葉に、私は耳を疑った。およそルナの口から出るような台詞ではなかったからだ。いつだって彼女は、この世のすべてを見通しているかのような不敵な態度を崩さない。それこそが、私の知るルナだった。
「どういうことなの!?」
思わず口を挟んだ私を見たルナが、綺麗な眉根を寄せて困った顔になる。その表情がいつになく昏い。
「……本当によく分からないの。この下にいるのは間違いないのだけれど、いま殿下がどういう状態なのかが……。この女の意識の通りなら、ここへ連れてこられてから『眠ってる』みたい……」
「眠ってる!?」私の問いにイザベル様が応じる。
「では、ゴーレムの器としては使われないということか?」
ルナが硬い声で答える。
「いえ、奴らは予定通り始めるつもりです。ですから急がないと」
「下にはライル殿とエリオット殿がいる」
イザベル様が口にしたその名前に私はハッと心臓が跳ね上がるのを感じる。そうだ、ここにはライル様もいるのだ。
ルナが一瞬、何事か逡巡するような表情を見せた後、何事か決意したように私とイザベル様を見た。
「いまは確実に言えることが限られていて、説明している時間がありません。早く殿下の元に向かいましょう」
そのいつもとは違う、ルナらしくない言い方に私とイザベル様は確信した。
いま私たちの足元で、彼女をそうさせる余程のことが起きようとしているのだ。
先に口を開いたのは私だった。
「行きましょう」
その言葉に二人が頷いたその時、
ギシギシ
と足元が揺れるのを感じた。
こんにちは、佐藤峰樹です。
今回はセレス視線での進行となります。ルナらしくない歯切れの悪さに隠された秘密は、次回以降で徐々に姿を表しますのでお楽しみに。
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