第九十五話:アークライトの双玉【後編】
ガチャンッ!
魔石が砕かれた硬質な破砕音と共に、それまで全身を蝕んでいた魔力を吸引していた不快な力が、ふっ、と消失した。両手首に絡まり私の魔力を吸い上げていた蔦が力を失う。スルリと手首が抜け、宙に吊るされていた体が落下するのを感じる。
私は重力に身を任せたまま、目を開けることなく、軽く魔力で体を満たす。
スッと落下速度が緩み、足が床に接触する寸前でピタリと止まった。
「馬鹿なっ! 制御の魔石を壊しただと!?」
耳障りな声――あの倉庫で私を罠に嵌めた不愉快な女、ネネトだ。
「あ、ありえない! 制御を失えば、その娘の中の魔力が暴走して、ここごと吹き飛ぶぞ! お前は何をしたか分かっているのか!?」
(……暴走? ここごと吹き飛ぶ?)
捕えられて以来、ずっと抑えていた、自分の中にある魔力が湧き出る泉を解放する。途端に体の隅々まで力が染み渡るのを感じる。それはまるで、水枯れに苦しんでいた草木が、待ち焦がれていた雨を得て目覚めるようだった。
力が体を駆け抜ける。
爽快な気分。
私はゆっくりと顔を上げた。
「ひっ……!?」
ネネトが息を呑む音が聞こえる。
ただでさえ白い顔を、蝋のように白くしたネネトが、信じられないという表情で私を見ている。
「……この私が、この程度の拘束魔法が外れたぐらいで、自分の力を制御できないと思って?」
彼女の顔に恐怖と疑問が入り混じる。
「ま、まさか。お前は……、拘束されながらも自分の魔力を制限していたということか!?」
私はにっこり笑った。
「貴方たちみたいなお馬鹿さんたちに、天才魔法使いの私の、この貴重な魔力を与えるなんて、『ゴーレムに魔導書』『猿にワンド』。魔法の真の価値を知らぬ愚鈍な魔術師風情が、身の程を知らぬ」
「くっ、魔法使いだと!? ならばこれを喰らえ!」
ネネトの周りに暗い炎が幾つも現れる。精神干渉が得意な魔術師のはずだけど、私には効果がないと諦めて、物理攻撃に切り替えたのだろう。空気を痙攣させたかのような禍々しい軌跡を描き、黒い炎が私に迫る。
(これだから魔術師は……)
私は右手を軽く上げると、空中に白い防御魔法陣が浮かび、微動だにせず黒い炎を吸収する。
本来魔法は使い手の意志の具象なのだ。確かにある程度の魔力を備えた者が術式を唱えれば発動する。だけどそこには魔法が本来持っていた自由さはない。もちろん魔力によって起こせる事象に限界はあるが、意思である以上、魔法には本来限界はないのだ。そして魔力もまた、どこまで自分を信じられるか、どこまで魔法が好きかで変わる。
(私があると思えば、それはあるのだ)
ちらっと左腕につけられた銀のブレスレットを見る。さっきまでどす黒く濁っていた魔石が、いまは赤く輝いていた。
左腕を閃かせる。
部屋の天井に自然の状態のまま、垂れ下がっている鍾乳石が赤く輝き出す。
「なに、これ!?」
ネネトが真っ赤に染まった天井を見上げる。
「溶岩!?」
そう短く叫ぶと、彼女は素早く耐熱防御の魔法陣を頭上に展開させた。全くこれだから魔術師はつまらない。発想が貧困なのだ。こんな人の多いところでマグマを降らせるわけがない。そもそもせっかくの鍾乳石を壊すなんてするわけがない。
赤く光った無数の鍾乳石の先から、ポタリと雫が落ちる。それは空中で見る間に姿を変え美しい蝶へと姿を変えた。たちまち部屋の天井に無数の群蝶が乱舞する。いずれも燃えるような赤色をしているが、その濃淡は様々で、互いに光を反射し合ったその様子は、まるで世界中のルビーを溜め込んだ箱をひっくり返したようだった。
「綺麗……」
唖然とした様子でお姉様が呟くのが聞こえた。彼女だけではない。ネネトを含む、この場にいた全員が頭上に広がる蝶の乱舞に目を奪われていた。
「魔法は自由な精神が作る、いまこの瞬間にだけ立ち上がる理の形。術式に縛られた魔術とは違う」
私は防御魔法を張ったまま、唖然とした様子で蝶を見ているネネトを見る。
「アウレリアが『魔法』と『魔術』を区別する理由を考えたことがある? 魔法具と魔術具、魔法陣と魔術陣……すべてに意味があるのよ。アウレリア王立魔法学校が『魔法』に拘る理由、そこにアウレリア人の本質、『自由』であることへの希求があるから。魔力の多寡はその一つの現れに過ぎない。より大事なのは『魂が自由』であること。それが魔法の本質よ」
ネネトが虚ろな瞳で私を見返す。
「なのにお前たちは古の魔法を使うために、自らの魂を差し出した。そんなお前たちに魔法は無論、魔術すら語る資格はない」
そう言うと同時に、蝶たちが部屋の中にいる人たちを包み込む。たちまちネネトの魔法で拘束されていたイザベル様の部下たちが息を吹き返す。そしてネネトの前で跪かされていたイザベル様もゆっくり立ち上がる。彼女は目の前で慄えるネネトに目もくれず、振り返ると私を見た。亜麻色の髪と透き通った蒼い瞳。王都で別れてまだ十日も経っていないはずなのに、とても懐かしく、愛しく感じた。
イザベル様が自分の左腕に着けているブレスレットに触れる。その瞬間、彼女の包み込むような温かさが、私のブレスレットを通して伝わってきた。
私はにっこり笑ってそれに答える。
彼女の安全に確信が持てたところで、私はネネトに視線を移し、左手を軽く振る。
その途端、無数の蝶がネネトの全身を包んだ。
「なっ!? あぁあ……」
悲鳴を上げることすらできず、ネネトが蝶の繭のようにその場に固まった。
勝負は、決した。
私は音もなく床に降り立つと、髪を払い、自分の格好を見る。
(やれやれ、これはなかなか目に毒な格好ね)
「ルナ……」
駆け寄ってきたお姉様が心配そうに私を見ている。
「……遅い、ですわよ。お姉様」
「ごめんね。……これでも急いだんだけど……」
「嘘!」
そう言ってお姉様に抱きつく。一瞬、びっくりした様子だったけど、すぐに私をしっかり抱きしめてくれた。小さい頃と同じ、セレスお姉様の匂いが鼻をくすぐる。
「よかった……。無事で、よかった……」
グッと腕に力が入る。
「ありがとう。お姉様。……でも、ちょっと痛くてよ」
慌てて力を抜いたお姉様の顔が涙で濡れていた。それを見たら私も泣きたくなったけど、いまはまだ泣くわけにはいかなかった。私の気持ちを察したのか、お姉様がスッと離れる。
目の前にはイザベル様がいた。
何事か部下たちへの指示を終えたイザベル様が、こちらへ歩み寄ってくる。
その顔が一瞬強張った。彼女の目がサッと室内の惨状を捉えたのが分かった。
次に私を見る目には、初めて見る光があった。
それは「怯え」だ。
あのイザベル・アドラーが怯えているのだ!
その理由はすぐに分かった。彼女はここで自分がやったことを私に知られるのを恐れているのだ。
確かに酷い有様だった。あちらこちらにかつては人であったものが無造作に転がっている。何度かイザベル様の手伝いはしていたが、いずれも彼女が立てた緻密な作戦を実行することに集中している間に終わっていたし、血が流れることもそれほどはなかった。
(……彼女がこれをやったのだ)
そう思って辺りを見回す。辺りの惨状は私のような素人でも、それが全く仮借のない、一方的な虐殺であったことは見てとれた。どれもほとんど一太刀で屠られ、なかには明らかに命乞いをしながら絶命している者もいる。
思わず体が慄えた。
それに気がついた彼女は、一瞬、近づくのを躊躇ったが、それでも足を止めることはなかった。
私の目の前に立ったその表情は硬く、そこにはさっき互いのブレスレットを通じて感じた温かみはなかった。
「……ご無事か、ルナリア嬢」
イザベル様はいつでも他の誰かがいる時は、私のことをそう呼ぶ。だけどいま彼女の声を硬くしているのは、それだけではなかった。蒼い目は私を正面から捉えようとせず、その瞳の奥には怯えと恐れがあった。
(私に嫌われることを怖がっているんだ!)
私は長身の彼女を少し見上げて、にっこり笑った。
「『ルナ』で、よろしくてよ」
私は悪戯っぽく微笑みながら、赤く輝く左腕のブレスレットを見せつけるように、胸元に手を当てた。それを見た彼女がようやく私の顔を見た。
「……私が恐ろしくないのか?」
「怖いです」
イザベル様が、驚いたように蒼い瞳を見開く。
「私のためにここまでやってくれるイザベル様のことが怖い。……怖いほど、好きですわ」
イザベル様は一瞬、言葉に詰まり、視線を彷徨わせた。ブレスレットがまた温かくなった。彼女は小さく咳払いを一つすると、周囲に聞こえないよう、吐息のような声で応えた。
「……ああ、私も好きだ。ルナ」
彼女はそう言うと、自分が羽織っていた遮蔽布を私に羽織らせた。
「……他の者に見せるな」
そう言う彼女の頬が少し赤くなっていた。
こんにちは、佐藤峰樹です。
さて、ようやくルナ無双まで辿り着きました。やはり彼女を書くのは楽しいです。
本作の魔法の定義は、様々な作品の影響を受けていますが、強く影響を受けているのは、ある武術の先生が仰っていた「この世で一番早いのは意志の速さだ」という言葉と、別の先生が仰った「やると思えばやれる。それだけの問題」です。次点を挙げるなら『銀河ヒッチハイクガイド』に登場する「鳥は飛べると信じているから飛べる」といった話ですね(こちらは随分前に読んだものなのでかなり不確かですが……)。個人的に思う力をいま一番身近に感じられるのは、文字です。同じように音楽や絵などにもその力は秘められているのでしょう。そんなことは当たり前ですよね(笑)。
ブックマークは92から動かず。釣れるかどうか、気長に待つしかないようです。「一丁、掛かってやるか!」という方をお待ちしています(笑)。
次回は明日の12時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




