第九十一話:留守居の助手と、紫水晶の来訪者【前編】
いつものように地下の研究室は静かだった。
いま聞こえるのは、僕が作業台を布で磨くわずかな音だけだった。ルナリア様が僕にこの店の店番と、留守中にこの研究室を僕に使わせることを許してくれた際の絶対条件は、ルナリア様の研究の邪魔をせず、この研究室を清潔に保つことだった。なかでもこの黒曜石の作業台に触れるようになったのは、三月ほど前のことだ。初めて会った時に、この作業台に万が一にでも傷をつけたり、汚したりしたら、
「全身の血が固まって頭が吹き飛ぶ」
と笑顔で言われた時のことは、昨日のように覚えていた。その時、美しい金色の瞳が全く笑ってなくて、僕はその迫力に気を失いかけていた。
ふと手を止めて黒曜石の天板に映る自分の顔を見る。そこには銀縁の眼鏡をかけていつもと変わらない僕がいた。
***
僕がこの店で働くようになったのは一年半ほど前のことだ。貴族とは名ばかりの家に生まれ、合格ラインすれすれの魔力で王立魔法学校に入ったのが運の尽きだった。なにしろ魔法学校はお金が掛かるのだ。ささやかながら我が家にあった、先祖伝来の武具や魔法具を売り払ったところで足りるものではなかった。両親が親族をはじめ借りられるところに頭を下げてお金を工面してくれたおかげで、何とか三年生には進学できたものの、お金が掛かるのは変わらない。むしろ上に上がれば上がるほど、実習や実験などが増えて費用は嵩むばかりだ。特に質の良い魔石を工面するのが大変で、最近も怪しげな魔石販売業者に引っかかった学生が、酷い目にあったという注意喚起が学校からの知らせがあったくらいだ。
これ以上親の援助を期待することはできなかった。もう十分にしてもらっていたし、そうした借金もいずれは僕の出世払いになっていることを考えると、正直気が重く、これ以上無理をしてもらいたくなかった。
そんな時に、学生部で案内されたのが、このお店の店番の求人だった。学費のことで相談に行ったところで、「ちょうどこんな求人があるよ」と勧められたのだ。
学生課の窓口で、眼鏡をかけた年配の男性職員が差し出したその羊皮紙には、僕のような苦学生には信じられないような好条件が並んでいた。
条件は、大きく分けて三つ。
一つ、卒業までの学費および実習費用の全額肩代わり。
二つ、店に在庫している二級品以上の魔石の自由な使用許可。
三つ、店主の不在時に限り、一級品の設備が整った研究室を自身の研究のために開放する。
というものだった。肝心の仕事の内容については、(小売店業務の接客、事務一般、掃除など)となっていた。
正直、なにかの罠だと思った。良くて人体実験の検体。悪い方は僕には想像もつかないほど悪い事だろう。勤め先を見ると住所は「王都」とだけあるだけで、店名の欄は空欄、おまけに日付を見ると、すでに募集開始から半年以上経っていた。一流の魔石商が経営する魔石店であれば、将来の投資ということで理解もできるが、文字通り(名前もない)店が、なぜこれほどの資産を学生一人に投じるのか? ちょっと考えればありえない話だった。 とはいえ、曲がりなりにもこの募集は、学校の学生課が案内する正規のものだ。さすがにあからさまに詐欺の募集を許可するとも思えない。
そこで僕は恐る恐る聞いてみた。
「……あ、あの」
「ああ、分かってます」
担当の職員は、「皆まで言うな」とばかりに、僕が口を開く前に説明を始めた。
「まず最初に言っておくと、この募集は本校の正規の手続きを経たもので内容については嘘はないです」
そう言った男性職員の眼鏡のレンズは厚く、とても目が大きく見えた。
「また、そこには書いていませんが、募集をしている人はこの学校の関係者ですからその点も安心です」
そこまで聞いた時、頭に浮かんだのは、(ではなぜこんな好条件の募集が半年以上もの間決まらないのか?) という疑問だ。再び口を開きかけた僕の機先を制して職員が説明を開始する。
「そう、あなたの考える通り、もうその募集には五十人以上が応募をしています。だけどそのうち面接に辿り着いたのは二人だけで、その二人も落とされて今日にいたるという訳です」
「そんなに厳しいんですか……」
「厳しい……というかちょっと独特でね」
そこで言葉を区切ると職員はまじまじと僕の顔を覗き込み、ふんと小さく一つ鼻を鳴らすと説明を続けた。
「希望者はまず最初に自分のオリジナルの魔法具か術式を提出しなければなりません。これはどちらか一つだけ、自分が一番自信のあるものを用意して、この学生課に持ってくる必要があります。それをこちらから募集主に転送して、お眼鏡に適えば次の面接に進めるわけです」
「オリジナルの魔法具か術式ですか……」
「そうです」
そう言うと、彼は僕に顔を寄せて、少し小声で話し出した。
「……正直に言うとですね、私たちもこの求人については正確な募集主のことは知らされていないのです。ああ、さっきの話に嘘はありません。学校の偉い方からのお墨付きですので、本校の関係者であることと、条件の内容に嘘がないことは保証します。ただ個人的にも興味のある募集の案件ではあります」
そう言うと彼は最後に何気なくこう言った。
「この他に付け加える情報としては……。そうそう、面接に行った二人は店を出た途端、忘れたそうです」
「わ、忘れた? 何をですか?」
「誰と会ったかをです」
その何気ない口調が、僕をザワッとさせた。いま思えば、彼はその口調に最大限の効果を狙っていたのだろう。
「あ、あの、……そ、それはどういうことですか?」
「どういうも、こういうも、その通りで。その二人はどちらもその日、その店で誰と何を話したのかを完全に忘れていたのです。相当高度な記憶操作の魔法によるもので、噂によると(ここで彼は再び声を小さくした)、魔法精神科のミドリー教授の研究室でも随分、記憶を取り戻そうと頑張ったそうですが結局戻らなかったそうです」
その日は初夏だったにも関わらず、冷たい汗が首筋に流れたと思う。
(とても僕には無理だ)
と思い、そう返事をしようとしたところ、三度、先に口を開いたのは彼だった。
「そうそう、二人ともそのお店での記憶はないものの、それ以外は特に支障はなかったそうです。それと、店を出た後、手の平を開けると、そこには魔石が乗っていたそうです」
「魔石ですか!?」
「ええ、どちらも小ぶりですが質の良い魔石で、恐らく参加賞というのですか、まあその点では気の利いた方ではあるようですな」
面接まで辿りつけば参加賞で魔石がもらえる。記憶を弄られるのと質の良い魔石を比べれば、答えは自ずから明らかだった。
「やります」
「……そうですか」
そう答えた彼の眼鏡に映るその目の奥には、間違いなく新しい犠牲者を見つけた喜悦があった。
数日後、僕は早速学生課に行くと、そこにいた彼を見つけて魔法具の入った箱を手渡した。彼は「念のため、中身を確認しますよ」と僕に告げて箱を開けた。箱から戻ってきた目には、あからさまな落胆の色があった。
「……これは何ですか?」そう言って、彼が傾けた箱の中から、コトリという音がした。
「(周囲の魔力の揺らぎを音階に変える笛)です」
僕がそう答えると、そこそこの沈黙が流れた。
「……何の役に立つのですか?」
ようやく、そう聞く彼の眼鏡の奥の目はとても小さくなっていた。僕は眼鏡を指で押し上げ、できるだけ真剣に丁寧に説明した。
「この笛は、吹く人の魔力をほとんど使いません。周囲に漂う微細な魔力を吸い込み、その『流れ』や『淀み』を空気の振動、つまり音に変換するんです。魔力が穏やかに流れていれば澄んだ高音を、淀んでいれば低く濁った音を奏でます。……例えば、朝靄の中でこの笛を吹くと、大気の魔力が目覚めるのが音になって、心がとても整うんです!」
「……つまり、おかしな音を出す以外、なんの役には立たないと?」と溜息をついたが、僕は譲らなかった。
「実利はありません。でも、目に見えない魔法の世界の機微を耳で感じられるのは、とても贅沢なことだと思いませんか?」
「そうかもね」と彼は言いながら箱の蓋をして事務所の奥へと引っ込もうとした。
その様子に慌てて、
「お返事はいつ頃分かりますか!?」
と尋ねると、彼は振り返りもせず、「(返事が)あれば後日連絡します」 と告げて去って行った。
そのきっかり三日後、返事があった。
件の担当者は、募集主から僕に返事があったことに心底驚いたのだろう、眼鏡に映る目が、枠から溢れそうなくらい大きくなっていた。渡された封筒を開けると、そこには、
「この封筒を持って、一三日の夜の七つ、お店に来なさい」
そう書かれた紙が入っていた。
こんにちは、佐藤峰樹です。
今回は第二部にちらっと登場していた、ルナが経営している魔法具店の店番をしているカインの登場です。まさかの登場ですが意外に楽しくて、つらつらと書いていました(笑)。
それにしてもブックマーク100の壁というのは遠いのですね。一つ増えたと思ったら、一つ減るという、なかなか切ないものです……。その代わり評価が頂けたのがとても嬉しかったです! 星を入れていただいた方に心から感謝いたします。
ブックマーク、心からお待ちしています! またページ下の【★★★★★】から評価をいただけますと、大変励みになります! よろしくお願いいたします。
次回は明日の12時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




