第九十話 密偵の密かなる興味【後編】
なだらかな傾斜となった割れ目の底を滑り降りるようにして進むと、そこに現れたのは岩盤を円形にくり抜いて造られた、身の丈以上もある巨大な排気調整門が鎮座していた。私はこの縦穴のことを「竜の喉」と名づけたが、いみじくもそれは巨大な竜の喉を塞ぐ「弁」のように見えた。円形の外枠に沿って放射状に配置された重厚な石の翼板が、中心部で強固に噛み合い、通路を完全に封鎖している。
長い年月の間、魔力のこもった熱に晒され続けた石材の表面には、赤茶色の魔力の染みが焼き付いており、板の継ぎ目からは、逃げ場を失った熱気がわずかに高音の笛のような音を立てて漏れ出していた。それが、この向こうに巨大な魔力を湛えるこの施設の中核、竜の心臓にあたるものが存在することを感じさせた。
「ここまでは思いの外、順調に来られましたが、まあ、そう簡単にはいきませんね」
実際はいくつかの魔術による警備網があったのだが、いずれも私の用意した魔術具によって簡単に無力化することができた。正直に言えば簡単過ぎる。今時、それなりの身分のものであったら館に据え付けている程度の警備網で拍子抜けだ。自然にできた岩の亀裂を加工した古代魔法と、そこに後から据え付けられた魔術の間には、比べ物にならない技術的な差があった。
私の中でいよいよ、【深淵の盟約】なる者たちが、本当にこの騒動の黒幕なのか、疑いの念は強くなる一方だった。ここまでの彼らの仕事を見る限り、卓越した腕前の画家の名画の上に、後からなおざりに手を加え自分の作品だと主張しているような、薄っぺらさを感じていた。
しかし……、ここに現れたこの排気調整門は、一目でこれまでとは異なる相当な代物だった。
門の前に立つライル殿の表情をチラリと伺うと、そこには特段困ったような様子はなく、静かに巨大な弁を眺めていた。
ちょうど顔の高さ位にある翼板が組み合った中央の部分に、赤黒く不機嫌そうな魔石が埋まっており、それが制御盤のようだった。
「エリオット殿、どうにかなりそうですか?」
ライル殿と一緒にやって来た応援の一人、クルスという男がそう尋ねてきた。小太りの男だが、見た目とは違い動きは敏捷で、私が使う魔術具に興味があるようだった。私は手元の魔石版に目を落としながら答える。
「……何とかはなると思います。ただ魔石版によると、古の魔法のようで、手間がかかる上、失敗すると呪われるみたいです」
「呪いですか?」
「はい。その代わり、これまで躱してきた警備網とは連携していないようです」
「……それはつまり?」
「この弁は、元々ここにあった古の遺構の一部であり、奴らは魔石に力を注いで起動はさせたものの、それ以上のこと、つまり新しい警備網と繋げるようなことはできなかったのでしょう」
「だから単体で開錠しようとする者を呪うというわけですか。まさに古の魔法ですな」
その口ぶりから、彼がある程度魔法について精通していることが分かった。簡単に言えば古の魔法がかけられた錠前は、ただ強力に扉を閉じたり、蓋を閉めたりするだけといった機能だけではなく、もっと意図的に、開けようとする侵入者に対して明確に危害を加えることを狙ったものが多い。またそのほとんどは魔法使いの個人芸によるものが多く、いずれにしても凝った仕掛けで錠前を解除しようとする者を、「打ち据えてやろう」という明確な意思が働いている。これは攻撃性の有無に限らず、基本的に古の魔法はそれをかけた術者の意思が強く関係しているのだ。
それに比べると現代の魔術は、目的別に術式の組み合わせが再現性のある公式として明文化され、それに様々な性質を持った魔石や魔草を組み合わせることで実行している。そのため誰が実行しても一定の効果が得られ、そこに術者の意思はあまり重要ではない。もちろん術式を読み上げたり、書いたりする際に、最低限の意志や心の有り様は必要だが、どちらかというと形骸化している。この術者の意思の存在をどう捉えるかが、昔からある「魔法か?魔術か?」という問題の根っこの部分でもある。
私自身は、成立の過程については「個人芸の魔法から始まり、普及に伴い魔術となった」と理解している。一方で、意思と効果の関係については、判断を留保する立場だ。確かに術者の意思が魔法の効果に影響を与えていることは間違いない。タイドリアでもそれなりに研究は行われているが、そもそもタイドリア人の魔力が低いため、サンプル数が少なく比較研究が進まないという事情があった。またその結果が何であれ、少ない魔力を効率良く使うというタイドリアの基本姿勢が変わるとは思えず、そうしたことからより具体的な研究に人が割かれるというのが現状だ。
(とはいえ……、こう目の前にするとな)
と思う。
正直、タイドリアの魔術式と古の魔法との相性は良くない。タイドリアの洗練された術式で錠前にかけられている魔法を解析しようとしても、鼻から撥ね付けられてしまう。まるで頑固な爺さんに最新技術の説明をしているようなもので、こちらが何をしようとも「聞く耳を持たない」という様子なのだ。手元の魔石版に並ぶ赤文字はいずれも「解析不能」というもので、簡単にはいきそうにない。
「ライル殿、申し訳ありませんが少し時間が必要です。この弁にかけられている古い魔法はかなり厄介な代物です。通常の錠前魔術であれば、我が国の「共鳴楔」を使い、こちらの論理を流し込んで外せるのですが、もっと深いところで術者の基本となっている術式を読み解き、そこから解いていかないと面倒な呪いが発動しそうな気配です」
「どの位かかりそうなのですか?」
そう尋ねてきたライル殿に私は素早く頭の中で計算をして答える。
「最低でも半刻は必要かと……」
ライル殿は私の返事に軽く頷くと、赤黒い魔石が光る操作盤を見た。彼についての報告では魔法については何もなかったが、何か知見があるのだろうか? じっと魔石を見ている彼の横顔をチラチラと伺いながら、私は背負っていた鞄から解析用の別の魔術具と片眼鏡を取り出していた。まずはこの魔石の奥に刻まれている術式を読まなければならない。
用意が整い改めてライル殿を見ると、先ほどと同じ様子の彼がいた。
「ライル殿、申し訳ありませんが、場所を代わっていただけますか。この魔道具で調べてみたいと思います」
そこで彼は、初めて私の存在に気がついたような表情でこちらを見た。
「エリオットさん、どうもそんなに難しく考えなくても、私には大丈夫のように思います」
「……どういうことでしょうか? 何かライル殿にはお考えがあるのですか?」
そう尋ねると、彼は少し困ったような顔をして笑った。
「考えというほどのものでは無いのですが……」
そう言いつつ、彼は右手をスッと制御盤に伸ばした。
「危ない!」
と私が声を出すより先に、その手が赤黒く輝く魔石に触れていた。ちょうど手のひら大の魔石にピタリと合わさっている。
「な、何をしているのですか!?」
多少なりとも魔術のことを知っている人間であれば、それは凡そ信じられない行動だった。特にこんなに明から様な錠前の魔法が掛かっているところへ、素手で触るなど自殺行為と言える。
「すぐに手を離してください! 処置の用意をします!」
私は慌てて鞄の中にある応急処置の道具を探した。そんな私をよそに、ライル殿は普通に話しかけてくる。
「エリオットさん、扉って、開くためにあるものですよね? 鍵も、開けるために作られたものです」
(何を言っているのこの男は!?)
「考えてみてください。最初から誰も通す気がなければ、扉も鍵も必要ありません。壁でいい。通れるからこそ、そこに扉や鍵があるのです」
魔石が不気味に赤黒く輝き始めた。後ろで成り行きを見守っていたクルスたちが思わず半歩下がるのが分かる。その様子を背中で感じ、離れたくなる気持ちを抑えながら、私はライル殿の言葉に引っかかるものを感じていた。
(そもそも通す気があるから、扉や鍵がある、と言うのか?)
頭を高速で働かせ、彼に関する報告書の中身を思い出す。闘技場での彼の行動は実に不思議なものであった。三人の処刑人をそれぞれ一太刀で倒し、その後も、貴賓席にいるヴァレリウス王に向かって進むのを阻止しようとした騎士たちをほとんど体捌きのみで転がし、彼らを積み上げて作った人の山を踏み台にして観客席に飛び込んだという。にわかには信じられない話だが、証言は大体一致していることから本当なのだろう。
報告書にはその際に彼に立ち向かった騎士の一人の証言も記されていた。
その騎士は、自分より遥かに年下の剣士に手玉に取られたにも関わらず、不思議なほど敗北感がなく、向き合った時のことを、
「怖さと同時に、気持ち良さがあった」
と語っていた。そして最後に、
「彼はこちらの攻撃が当たるという前提にしている、考えや意志を認識すらしていないように感じた」
という印象が記されていた。
(考えてみれば物理的な攻撃も魔法も、その前提にあるのは使い手の意志だ。当てようという意思がなければ成立しない。この錠前に掛かっている魔法も、「開けさせまい」という意思によって働いている……)
そう思う私の目の前で、ライル殿の手の下で魔石が放つ光が徐々に強く、強烈なものへと変わってきていた。
(もしかするとライル殿は、あらゆるものの意思や意図を感じ、それをズラしているのではないか。基本的にあらゆる生物の行動は、目的があってこそ発動する。しかし、この男はその基本的な構造が見えた上で、それを無視している! だとしたら、それはこの世の理をなす根幹を覆す、我々の生き信じている世界を成り立たせている法則を揺るがすことではないのか!?)
ゾクリと背中に冷たいものが流れた。足元にある、巨大な質量を持った岩盤の存在が不意に心許無く感じた。
その時、強烈な光を放っていた魔石が、一際強く輝いた後、不意に消えた。それは頑強な意思を持ち、それを守っていた魔石が、まるで何かを放棄したように感じた。
――ガリ、ガリガリ
と。地響きのような低い音と共に、恐らく数百年を越える時代を経て、排気調整門が横へと滑り出した。
絶句する私たちの体に、開いた隙間からは、いままでよりもさらに濃い、熱気へと昇華された魔力の脈動が押し寄せてきた。
「先に行って見てきます」
そう言ってライル殿は微笑むと、驚愕で固まっている私たちを置いて、静かに第三層の闇へと足を踏み入れた。
私は手に持ったままの魔石版を見た。画面の上には相変わらず「解析不能」という赤文字が点滅している。
「……なるほど、これは確かに解析不能だ」
私は闇に溶けていくライル殿の背中に目を戻しそう呟いていた。
いま彼が何をしたのかは分からない。
しかし、いま私が新たな興味の対象を見つけたのは間違いなかった。
(第九十話 了)
こんにちは、佐藤峰樹です。
新しい趣味を見つけたエリオットです(笑)。被害者の会だけでは寂しいので、これも良いでしょう。
さて、「八日からでも新年に変わりなし」。学校も新学期は明日からということで、まだまだ「あけおめ」が飛び交うこの時期、何か新しいブックマークをつけてみてはいかがでしょうか?
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