第八十六話:竜背へ、七日の焦燥【後編】
吹き荒れる突風が、尖った岩肌を叩いては不気味な笛のような音を鳴らしている。
アウレリアと我が国タイドリアを隔てる広大な竜背丘陵。その中でもここは、見渡す限り、白灰色の石灰岩が牙のように突き出し、その隙間を深い断崖と無数の亀裂が埋めている。
俺は風を避けるように突き出した岩の陰に身を寄せ、手元の板状の魔道具に目を落とす。手の平大のそれは、魔石を特殊な方法で板状に加工したもので、いまも上空を舞う「風眼」が捉える風景を映し出している。
「……南西の第三区域、異常なし。熱反応も、大規模な術式展開の痕跡も見当たらない。ここも空振りか……」
呟きながら、俺は隣に立つ女騎士の様子を窺った。
イザベル・アドラー。それはアウレリア王立騎士団の副団長としての名前であり、実の名前はイザベル・アイゼンリーゼ。(王の影)の長、フォルカーの実の娘だ。
あの日、俺、フォルカー、イザベルの三人で会ってから、すでに二日が経っていた。ヴァレリウス王への報告に向かったフォルカーと別れた俺たちは、あの場からこの竜背丘陵を目指し馬を走らせ、ほとんど不眠不休のまま、いまは【深淵の盟約】のアジトを探し続けていた。普通の騎士なら、とっくにへばっているところだ。
改めてイザベルの顔を見直す。流石に綺麗な顔も、少し埃っぽくなってはいるものの、疲れた顔一つ見せず、常に油断なく周囲を窺っている。
(フォルカーはどれほどの修行をこの娘に叩き込んだのだろう?)
と思う。王都を発ってからの彼女は、まるで疲れるということを忘れたかのように働き続けている。俺は自分の体力についてはそれなりに自信がある方だが、彼女に出会って以来、やや自信を喪失しつつあった。
「イザベル殿、少しは腰を下ろしたらどうだ。貴女に倒れられたら困ります」
「大丈夫です。……それより、次の捜索地点を」
短く返された声には、一欠片の揺らぎもなかった。
俺は肩をすくめ、魔石版の上で指を滑らせ、次の地域へと風眼を移動させる。
「では進めましょう。次はあの北側の深い陥没穴です」
俺の操作に従い、風眼が微かに羽ばたきのような音を立てて急降下していく。
俺たちはもうこんなことを半日以上やっていたが、いまのところ手がかりはなかった。なにしろ探す範囲が広い上に、竜背丘陵の地形は最悪だった。あちらこちらに怪しい鍾乳洞や古代遺跡がある上に、岩石に含まれる魔力鉱石がノイズとなり魔石版の映像も頻繁に乱れる。
タイドリアの情報部からの情報を参考に、北側の小さな裂け目群に目星がついているものの、それでも二人で探すには難しい。まるで砂漠の地下に隠された、巨大な蟻の巣の入り口を探すようなものだった。
イザベルが、自分の左腕にあるブレスレットを強く握りしめるのに気がついた。
昨日以来の彼女で目に見える変化があるとしたら、それはこのブレスレットを握りしめる回数が増えたことだった。フォルカーによれば、そのブレスレットは彼の家に伝わる魔道具で、対となるブレスレットを持つ人間の居場所と生存を知らせるものだという。
そしてもう一方のブレスレットを持っているのが、いま我々が探しているルナリア嬢だった。
アウレリアの魔法学校の主席であり、まだ学生の身ながら「天才」と呼ばれる少女だ。その名前は俺の組織の報告でも何度も上がるほどで、俺も一度会ったことがあったが、頭の回転が早く、溢れる才気を感じた。ただ、この世界については素人で、まだ発展途上中というところだろう。
彼女とイザベルがどういう関係なのか、俺は聞いていない。ただ本来なら北の蛮族を相手に出兵した騎士団を率いる副隊長が、七日間という約束で部隊を離れ、探していることでおおよその察しはつく。別にそれは俺のような情報部の人間でなくとも分かることだ。
そう分かってはいても、目の前の冷静そのものの彼女が、そんな思いを持ってここに来ているようには見えなかった。
そのブレスレットを触る以外は。
彼女に残された時間は、あと五日強。救出と帰還を考えれば、今日明日中に尻尾を掴めなければ難しいことは、彼女も分かっているだろう。
魔石版には相変わらず無表情な灰色の岩が映っていた。
***
肺の奥に、ざらついた砂の味がした。
もちろんそんなことはないのだが、この荒涼とした風景の中にいるうちに、いつしか自分の肺に砂が溜まっているような気がしていた。
不眠不休の二日間。肉体は悲鳴を上げているはずだが、私の意識はそれを遠い他人の出来事のように切り離していた。
(……一刻も早く、糸口を掴まなければ)
視界の端で、エリオットが石板を睨みつけながら指先を忙しなく動かしている。
王都から駆け通しでこの竜背丘陵に辿り着き、エリオットの持つ魔石版と風眼を使った捜索が始まってからもう半日以上経っていた。彼が風眼と呼ばれる魔道具を使って、真石板に映る風景に集中している間、私は周囲に視線を走らせる警戒する。(何かを見ようとする者は、常に、自分が見られる者になる)からだ。
その中で私は無意識にブレスレットを触っている自分に気がついていた。
何も言わないがエリオットも気がついているはずだ。それを恥ずかしいと思う自分がいないわけではない。だが、それ以上にそんなことに構ってはいられないほどの焦りを感じていた。
北伐の総大将であるギデオン殿と、軍監のレオポルド殿からいただいた猶予は七日しかなく、すでに二日が過ぎていた。ルナを見つけても、見つけられなくても、約束の時が来たら、私は戦場に帰らなければならない。それが彼らからの信頼に対する唯一の答えであり、騎士団の副団長としての責務であるからだ。
(だが、もしルナを見つけることなくここを離れることになったら、その時、私はどうなってしまうのか?)
そんな疑問が心に生じる度に、私はいまこの場ですべきことに意識を戻す。視線が目の前に広がる灰色の世界の中に、なにか怪しい影がないかを探す。
そして無意識のうちにまたブレスレットを触っている。
「この一帯にはありそうもないですね」
そうエリオットは言うと、風眼に戻ってくるように指示を出す。暫くすると遠くから微かに虫が羽ばたくような羽音が聞こえてくる。やがて真石板より一回り小さい魔石に虫の羽のようなものが四枚ついた風眼の姿が見えてきた。ルナが使う使い魔は鳥のような形をしているが、これは虫のようだった。見栄えは正直あまりぞっとしないが、小回りや空中で止まれるので、こうした任務の時には便利そうだ。
(ルナが見たら喜びそうだな)
思わずそんなことを考える。
「次はもう少し北の方に移動してやってみましょう」
「分かりました」
と応じてエリオットが立ち上がる。三十代半ばだろう。細身のその背中は決して広くはない。しかしこの強行軍に文句一つ言うこともなく、黙々と仕事をこなしている。
「どんな国にもクズがいる。だが、どんな国にも感心する奴がいる。だから用心しろ」
小さい頃、お祖父様がよく言っていたことを思い出す。それは主にアウレリアの騎士団への警句としてのものだったが、目の前の男を見ると、改めてその言葉の正しさを感じる。
帰ってきた風眼がエリオットの手の平に収まり、羽音が止んだ時、それに気づいた。
「エリオット殿、動かないでください」
風眼と魔石版を入れ物に仕舞おうとしていたエリオットが、疑問をさし挟むこともなく、ぴたりと動くのをやめる。
私は目を閉じ、周囲の「音」から意識を切り離した。
風が岩を叩く音。どこかで鳥が鳴く音、岩の隙間を風が抜ける音、砂礫が地面を転がる音……。その中になにか違和感があった。
私は手の平を地面に当ててみる。
四拍、あるいは五拍に一度。私の体の中で打つ、拍動に合わせて、ごくわずかに地を揺らす、重く低い脈動がある。
「…… 何か見つかったのか?」
顔を寄せて囁くように尋ねてくるエリオットに答える。
「呼吸です。この岩山のどこかが、呼吸をしています」
(王の影)の訓練の一つに、音のない闇の中で自分の鼓動を感じる訓練がある。視覚や聴覚などの外の刺激を感じられない中で、自分の中に響く拍動を基に、時間の感覚を始め、壁や岩の向こう側にある空間の広がりを把握するというものだ。
私はエリオットに(喋らないで)と目で伝えると、もう一度、手の平に意識を集中する。さっきより明確に伝わってくる。
「……北西に三〇〇。あの切り立った断崖の、下から三分の一あたりにもう一度飛ばしてみてください」
エリオットが仕舞いかけていた風眼を取り出すと、宙に放り、素早く魔石版に指を滑らせる。風眼が小さな羽音を残し飛んでいく。
「……捉えた。岩の隙間から、排熱用の空気が出ている。巧妙に擬態魔法で覆っているが、物理的な空気の循環までは隠しきれていない。……予想通り、既存の鍾乳洞を利用した大掛かりな仕掛けだ」
地面から手を離し、エリオットの持つ魔石版を覗き込む。 そこには肉眼では見えない大気の揺らぎが、薄赤い靄となって映し出されていた。岩肌から一定の間隔で、陽炎のようにゆらゆらと立ち昇っている。
それは地下深くに、なにか巨大な熱源が潜んでいることを示していた。
「……見つけました」
エリオットが静かに告げた。私はその声に頷きながら、左腕のブレスレットを触っていた。
(待っていて、ルナ。……いま、助けにいく)
(第八十六話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
後編は予定通り、イザベル&エリオットです。ここまでで第二部の本編は終わり。幕間を二話ほど挟んで、第三部へと進む予定です。想像以上に長く、ストックもなくなり、弓折れ矢尽きる感があります(笑)。
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