第八十五話:逆転の盟約と託された意思【後編】
光が弾け、視界が白く染まったのは一瞬だった。
次の瞬間、それまで辺りを真昼のように照らし出していた魔法の光球が、主であるメルルと共に掻き消えた。
ドサリ、という音がするように、重い闇が幕のように森を覆う。
目が慣れてくると冷ややかな星あかりが、大芝居が終わった後のような戦場を浮かび上がらせる。あちらこちらから部下たちの苦痛に満ちた呻き声が聞こえてきた。ドルゴやゴーレムたちとの乱戦で傷ついた者たちの声だ。
俺は奥歯を噛み締め、胸の激痛に耐えながら、震える手で腰のベルトに物入れを探った。
ドルゴの蹴りで肋骨が何本か折れたため呼吸が苦しい。浅い呼吸をする度に骨が軋み激痛が走る。
指先が小さな袋に触れた。中に気付け薬と鎮痛軟膏布があるのを確認して、まず指先を気付け薬の小瓶の中に突っ込み鼻の下に塗る。薬草のエキスから抽出された覚醒作用のある刺激臭が鼻に入り、急速に意識が急速に明確になる。同時にそれまでぼやけていた痛みが強くなる。
次に痛み止めの薬が塗られている布を取り出し、これを壊れた防具の下から手を突っ込んで胸に当てる。本当は詠唱を唱えて効果を上げたいところだがこの状態では仕方がない。それでもすぐに強張っていた筋肉が弛緩し、痛みが引いていくのを感じる。
(すーーーーーっ)と、ようやく、まともな空気を肺に送り込むことができた。
「……で、殿下……」
呆然とした声が闇に響いた。
視界の端、星明かりの中に、老執事のクラリス――俺の親父が、膝立ちのまま、すでに姿を消したアレクシウス殿下の姿を追って、空を仰ぎ見ているのが分かった。
親父は俺に(王の影)の長を譲って以来、ずっと殿下を守ってきた。己の人生の全てを犠牲にして、王太子に仕えてきた。その殿下が、いま、連れ去られたのだ。
ドスっと親父の両の拳を地面に着く音がした。
「なぜ……!?」
悲鳴のような叫びだった。それが向けられたのは、同じように空を見上げるライルだった。
「ライル様、なぜ、行かせてしまったのですか! あなたであれば…… 殿下を救えたはずです!なぜただ見ていたのですか!?」
星明かりに、親父の目から大粒の涙が溢れ出しているのが分かった。それは 俺が初めて見る親父の姿だった。 俺は痛む体を叱咤し、なんとか首だけを動かしてライルを見た。俺だけではない。周囲に集まってきた部下たちも彼を見ていた。彼らもライルであれば、あの場面を打破できたのではないかと思っているのだ。
ライルは、慟哭する親父の近くに歩み寄ると、側に腰を下ろした。
「私に助けられたかどうかは、分かりません」
ライルは淡々と答えた。
嘘をついているようには見えなかった。謙遜でもない。彼にとっては、それが偽らざる事実なのだろう。
「……分からない、だと……?」
そう吐き捨てるように言った親父の顔をライルが正面から見据えた。
「クラリス殿、殿下はご自分で生き方を選択されたのです」
その言葉に、親父は、雷に打たれたように言葉を失った。そうなのだ。生まれてからいままで、自分の意志でなにかを選択することが許されなかった殿下、いや、彼女が初めて自分の意志で、自分の身を引き換えに、俺や親父たちの命を救っだのだ。
殿下は、絶望して連れ去られたのではなかった。自らの意思で敵の魔術師と堂々と取引し、我々を守るために毅然と顔をあげ去っていった。それはあのやり取りや、最後の表情からも分かった。その殿下の決断を、目の前の男は尊重したのだ。
親父の瞳の中で、激情と理解がせめぎ合う、複雑な色が浮かんだ。
「そのままで」
そう言うと、ライルは親父の背後に回り、右手をその後頭部にそっと当てた。 老いた眼からは、変わらず涙が流れ続けている。だがそれは先ほどまでの、怒りや悔しさの涙ではなく、親父自身がずっと抱えていた殿下への行き場のない想いが、ようやく出口を見つけて、溢れているように見えた。
ライルがゆっくりと手を離した時、親父の目には涙に濡れていたが、穏やかな光があった。やがてそれは閉じられると、地面にめり込んでいた右手を持ち上げ、胸へと置いた。膝立ちのまま頭を垂れ、静かに自分の気持ちを感じ、彼方へと去った殿下のことを思っているように見えた。涙を流す姿もそうだったが、そんな穏やかな表情の親父を見るのも初めてだった。なんだか夢を見ているようだった。
その時だった。
ぽとり。
乾いた音がした。
ライルの左手から、何かが地面に落ちたのだ。
俺の目は、吸い寄せられるようにその落下物を追った。星明かりしかない暗闇の中ではっきり見ることはできなかったが、音からそれが小石のようなものであることは分かった。
(なぜ、この男は小石を持っていたんだ?)
その時、俺の脳裏に、イザベルがかつて寄越したライルに関する報告書の内容が蘇った。
「……この時、同行していたライルと名乗る男は、シャルロット様を人質にとった男に対して、手の中に隠し持っていた小石を指で弾き、顔面を打つことで状況を打開し、結果、シャルロット様を無事保護することができた」
「ライルは道中、師匠の言いつけで大きな木の葉を全部、小石で撃ち落とすことを命じられこれを完遂した。 ちなみに左は右の三倍、三本の木の葉を全部撃ち落とした」
あまりにも途方もない話で、読んだ時は信じられなかった。その記憶がいま鮮烈に頭の中に蘇った。
俺は悟った。ライルは、ただ立って殿下とメルルのやりとりを見ていたわけではない。
メルルが自分の首に短剣を突きつけることで、殿下を人質にとった時、彼は左手にその小石を握り込み、いつでも彼女の短剣を弾き飛ばせる準備を終えていたのだ。
(だが、彼は投げなかった)
なぜか? それは、殿下自身が「やめろ」と叫び、自らの意思でメルルと対峙し、決着をつけることを選んだからだ。
「助けられたか分からない」という彼の言葉は、己の技量への不安ではない。殿下の意思を無視して介入することが、本当に殿下のためになったのか分からない、という意味だったのではないか?
そこまで考えたところで、ライルは親父から離れるとゆっくりこちらに向かって歩いてきた。
「フォルカー殿」
「……ラ、ライル殿!」
その声は掠れていて、自分のものとは思えなかった。薬は効いていたが、それでも声を上げると体に激痛が走った。
「ご無事、とは言えませんね」
そう言うと彼はなんとか上半身を起こそうとする俺を手で制して、右手を俺の胸に触れるか触れないかのところに置いた。
すっ、と呼吸が軽くなった。痛み止めのそれとは違うゆるやかに、温かいもので全身を包まれているような感じがした。痛みが収まる代わりに、抑え込んでいた疲労が体の中で首をもたげる。
(このまま眠りたい)
一瞬そんな思いが浮かんだが、そんな場合ではなかった。
「ライル殿」
今度は掠れずにちゃんと言えた。ライルは俺の胸に手を当てたまま頷く。
俺は息を軽く吸い込んでから告げた。
「……イザベルとエリオットがルナリオ殿を、探している竜眥丘陵に向かっています」
ライルの黒い瞳が、僅かに細められたのを俺は見た。
(第八十五話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
一気にイザベル&エリオットの説明までいくつもりだったのですが、ここまでです(笑)。
さて、暗雲が垂れこめている「目指せ100ブックマーク&PV」(笑)。昨日のPVは1000を下回り、(これは……)と思っていたのですが、本日はここまで(16時現在)で1,355PVと調子が良く、「まだ終わらんよ@クアトロ・バジーナ魂」はまだ健在です(笑)。果たしでどうなるか? よろしければブックマークや、ページ下の【★★★★★】から評価をいただけますと嬉しいです。
次回は明日の12時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




