第八十四話:虚飾の崩壊と逆転の盟約【前編】
「……どうした?」
再び問いかけてきた男の声で、私は思考を取り戻していた。
この男の言うことを信じるのであれば、私がアレクシウスに〈命脈同調〉を完成させたことすら知らず、ただ(私を斬れば死ぬ)ということを直感で感じてあの瞬間、刀を引いたということになる。普通ならそんなことは考えられない。しかし、実際にこの男のここまでの行動を考えると嘘ではないようだ。あるいは私の知らない未知の魔術なのかもしれない。
いずれにしろ、いま考えることではない。大事なことは主導権を取り戻すことだ。少なくともこの男の質問に答える必要はない。〈命脈同調〉を完成させたのは私だ。アレクシウスの身も心も私の手の中にある。
そこで私は改めて気がついた。
(この男は誰なのだ?)
あの老人は「ライル」と呼んでいた。ライル……。確か作戦会議で聞いた名前だ。アウレリア王国で起きたクーデターを阻止し、食客としてヴァレリウス王のもとにいる謎の剣士。闘技場で公開処刑になるはずが、逆にあっという間に三人の処刑人を倒し、薬で自由を奪われていた王を癒したという話で俄かに信じられるものではなく、クーデター未遂という失策を隠すための誇張された噂だと見做されていた。
しかしどうやらそれは本当であったようだ。
そこで私は改めて男に向かって口を開いた。
「お前は何者な 」
「アレクシウス殿下」
男は私の言葉を無視して、ゴーレムたちに囲まれ、体を震わせているアレクシウスへ向かって声をかけた。
(な!?)
私は言葉を失い、口を開けたまま硬直した。
代わりに反応したのはアレクシウスだった。〈命脈同調〉が完成したことで、それまで自分の中で蓋をしてきたあらゆる暗い感情が露わとなり、放心していた彼女の目がゆっくりと、声の主、ライルの姿を探して動く。
「……ラ、ライル様?」
ようやく見つけたアレクシウスが呟くように答える。その瞳が大きく見開かれる。
「殿下、呼吸をしてください」
それはこの状況には似つかわしくない、あまりにも穏やかな言葉だった。
(呼吸……だと? こいつは何を言っているのだ!?)
しかし、アレクシウスはハッとしたように、大きく開いていた瞳を、一瞬さらに大きく開いてから目を閉じた。そしてゆっくりと呼吸を開始する。数回繰り返すうちに、自分を戒めるように硬く縮こまっていた体が、少しずつ解れていく。同時に、私の中に暖かな感情が流れてくるのを感じた。
(この不快な感情はなんだ!?)
断片的に私の中にイメージが浮かぶ。暖かなサンルームの中で稽古をする様子。屋外で立っている中で聴こえた風の音。そして、木刀を持った男の言葉。
「殿下、魔法も剣も、所詮は手段です。手段に縛り付けられてはいけません」
「分からなくなったり、迷ったりした時には、呼吸に戻りましょう」
「鼻から吸い、鼻から吐く。それだけです。無理に作る必要はありません」
その言葉の一つ一つを、アレクシウスは砂漠の砂が水を吸うように吸収し、ずっと欠けていた自分を取り戻す寄る辺にし、一人でも黙々と続けていた姿が見えた。そうした彼女をこの世界に取り結ぶ思い出の全ては、私が〈命脈同調〉によって塗りつぶしたはずのものだった。
(〈命脈同調〉が破られるのか!?)
その可能性に思い至り動揺する。〈命脈同調〉は基本的にかけた者以外の外部の者に破られることはない。破られるとしたら、それはかけられた本人、この場合、アレクシウス本人にしかできない。何をもって解く鍵となるのかは、かけられた人間によって異なるが、共通するのは本人にとって忘れたい過去の経験や秘密だ。言い変えれば、〈命脈同調〉は、本人にとって苦しい経験によって自らを縛る魔術・呪いなのだ。だから心に負の種を植え、血管を通して全身にその根が行き渡るというイメージが重要となる。そしてそれを破るには、魔法をかけられた本人が、そうした負の経験を克服する必要がある。それを防ぐために、私は彼女の負の記憶や経験、感情などを吸収し、それを自分の魔力として強化することで、アレクシウスを強く縛り、さらに彼女の中で負の感情を育てているのだ。そのためには対象と強力に結ばれる必要があり、術者自身の身も危険となる。古代魔法の中でもかける側が贄になる覚悟が必要となる特殊なもので、より強力なゴーレムの器を作り出すために、ドルゴ様が特に私を指名して任された、誉あるものなのだ。それが……。
(器が壊される!!!)
そう思った瞬間、私は、
「やめろ!!!」
と叫びながら自らの喉に、ベルトに差していた短剣の切先を当てていた。
アレクシウスやライルを含むその場にいた全員の視線が私に集まる。
「ライル! それ以上、アレクシウスに話しかけるな! 続けるのであれば私はこの剣で喉を突く。そうだ、お前の言う通り、私とその女は〈命脈同調〉によって生も死も結ばれている。私が死ねば、アレクシウスも死ぬ!」
そう言った後で、改めて自分がこの場で一番有力な駒、アレクシウスを握っていることを思い出した。このライルという男が何をしようとも、私が彼女の命運を握っている限り手出しは出せないのだ。
何を考えているのか読めない男だが、アレクシウスの命を危険に晒すことはないはずだ。
ライルの黒い瞳が私を見ている。思わず吸い寄せられるようにその目を見返してしまう。深さと静けさを湛えたその目を見ているうちに、自分の頭の中を一方的に覗かれているような気がする。極度の緊張に口内が渇き、思わずゴクリと喉が鳴る。その瞬間、押し当てていた切っ先が薄皮を裂き、白い首筋を一筋の血が伝った。
「痛っ」
小さく声を上げたアレクシウスの喉の同じ部分から血が流れる。
「で、殿下!」
老人が思わず上げた声に、ライルから目を離した私は自信を深める。
「分かったか!? この女の命は私の手の中にある。私はこの身をガロン様に捧げている。その覇道の完成のために死ぬことに恐れなどない!」
流石にライルも動けない様子だ。私の中で勝利の確信が深まると同時に、ここまで私を苦しめた者たちへの、冷たい怒りがキリキリと湧き上がってくるのを感じた。
(……特に貴様は許さん)
「ライル! 貴様のその剣で、その年寄りと男を殺せ! 従わなければ私もろともアレクシウスを殺す!」
(さあどうする?)とその顔を伺うが、黒い瞳にはなんの動揺も浮かんでいない。静かに私の目を見つめている。
(まさかこの男は気がついているのか……?)
そう思った時、口を開いたのはアレクシウスだった。
「おやめなさい」
私はその声に、ずっとその身に纏っていた王太子のそれではなく、凛とした、人を従わせる者だけが持つ威厳の中にも女性的な響きがあることに気がついた。その陶器のような白い手には、短剣が握られていた。
それは信じられない光景だった。彼女は自分の意思で動いている。〈命脈同調〉が綻びかけているのだ!
呆気にとられる私をそのままに、アレクシウスは私と同じように短剣を自分の喉に当てる。
「これ以上続けるのであれば、私はここで命を断ちます」
その言葉には、静かだが、強い意志の響きがあった。
お読みいただき、ありがとうございました。
メルル視点でのライルとの攻防です。相変わらず、ライルは人の台詞をぶっちぎります(笑)。
ここでメルルの使っている〈命脈同調〉は、相手のトラウマを利用したものと言えます。ライルの「呼吸をして」という台詞は、「自分がいま居る場所を再確認して、それ(トラウマが起きた状態)はすでに終わったことなんだよ」という認知を促すものと言えます。これ自体は実際に使えることなので、なにか過去に起きたことで苦しい時はまず呼吸で安全確認してみてください。セルフハグも有効です。
ちなみにトラウマというと、なにか大きな事故や事件が原因と思われがちですが、事の大小を決めるのはあくまでも自分です。他人には理解してもらえないような些細なことでも、あなたが傷ついているのであれば、それはトラウマです。これも結構大事なことなので、この機会に知っておいていただけると嬉しいです。※ここに書いたことは、知り合いの心理の先生から伺ったことです。
さてさて、おかげさまでX'masイヴの昨日はブックマークを評価をいただきました。素敵なプレゼントをありがとうございます! お陰様で78。目標の100まであと22となりました。PVの方は1,422の積み増しができて、累計で93,724PV。こちらは目標の100,000万PVまであと6,276となりました。あと5日(本日を含む)で達成できるのか? クリスマス本番の本日、何かが起こることを期待しています。
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次回は本日の20時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




