第八十一話:砕けた希望、現れる希望【後編】
ドルゴが俺の短剣をぽとりと地面に落とし、代わりに同じ地面に突き刺していた剣を引き抜いた。そのまま両手の剣をだらりと下げたまま近づいてくる。
まるで、仕留めた獲物に恐怖を味わわせるように、ゆっくり迫ってくる。
実際、俺は動けなかった。肋骨が何本も折れ、息をするたびに砕けた骨が肺を刺す。腕に力が入らない。指一本、動かせない。視界が、揺れて物が二重に見える。血の味が、口の中に広がる。
(ここまでか……)
そう思った。
殿下を救えず、親父を助けられず、このままでは連れてきた部下も失うかもしれない。
(全く酷い有様だ)
せめてもの救いは、近くで転がっている親父の小言を聞かずに済むことだ。もっとも、闇の王ゾルグが治める冥府とやらで聞かされるのかもしれない。そんなものがあればの話だが。
イザベルはどうしているだろう? うまくルナリア嬢を見つけられるだろうか? エリオットは頼りになる奴だが、どこまで信用していいかは未知数だ。どうにも底が見えない。まあ、俺たちの仕事で、相手に底を見せるような奴はいないが。
足音が近づいてくる。
本音を言えばもうひとつ、試したいものがベルトに入っているのだが、何しろ腕が動かないのではどうにもならない。まあ、何でも自分の思い通りにはならないものだ。
(陛下に申し訳ない)
そう思った時、男の足音のほかに、わずかに地面を揺らす蹄の音が地面を伝わってきた。馬の足音であるのは間違いないのだが、異常に速い。〈風の魔石〉と同じくらいの速さなのだが、足音が軽い。魔法の力ではなく馬自身が望んで走っているような軽やかさがある。
俺に近づいてきたドルゴも気がついたようだ。
「この期に及んで、また援軍か?」
ちらりと空中にいる女の方を見るが、女はゴーレムに捉えられているアレクシウス殿下に集中しているようで、こちらの様子には気がついていないようだ。
その間にも足音は近づく。やがて俺の部下や黒装束の兵士たちにもざわめきが広がる。
「何だ……?」
「誰か来る……!」
「馬だが……、 それにしては速すぎる……」
一気に大きくなってきた足音に混じって、何かが倒れる音がした。
ザッ
という音と共に、街道ではなく森から何かが飛び出してくる。
俺はなんとか首を動かして、音の方向を見る。
視界が血で滲んでいる。それでも目を凝らす。
馬に乗った人の影だ。
「……ラ、ライル殿!?」
呆気に取られていた黒装束の兵士たちが、慌てて駆け出す。
「止まれ!」「殺せ!」「突き殺せ!!」
三人の兵士が、槍と剣を構えて正面から馬上のライル殿に殺到する。しかしライル殿は馬の速度を緩めない。抜刀した刀を、だらりと右の脇に下げたまま突っ込んでいく。
「死ねぇ!」
先頭の兵士が槍を繰り出す。これにライル殿は手綱を僅かに引くと、即座に馬がこれに応じて流れるように左へ向きを変える。槍の穂先が、馬の鼻先を掠めるが馬は気にした風ではない。その瞬間、脇に下げられていたライル殿の刀が、下から跳ね上げられた。
ガィンッ!
鋭い金属音が響いた。すれ違いざまに、馬の疾走する速度を乗せた刀で、兵士が握る槍の柄を正確に叩いたのだ。強烈な衝撃に槍が手から弾き飛ばされ、兵士は自らの武器が持っていかれた勢いに振り回され地面に転がった。
「なっ……!」
それでも残る二人が左右から挟み撃ちにしようと剣を振り上げる。
ライル殿が軽く馬の腹を蹴ると馬が素早く加速する。ここまで駆け抜けてきた馬とは思えない俊敏な動きだ。
敵が剣を振り下ろすより速く、ライル殿が二人の間を風のように駆け抜ける。その最中、銀色の閃光が左右に走った。二つの音が重なり、ガカァン!と金属を叩く音が一つだけ響く。ライル殿が通り過ぎた背後で、二人の兵士が同時に倒れる。その頭を守る頑丈な鉄兜が胡桃のように綺麗に割れていた。
(一体どんな刀を使っているのだ?)
改めて見直すと、その手に握られているのは、あの闘技場と同じ刃引きの刀だった!
ライル殿は手綱を引き、速度を落とし馬から降りる。すかさず近づいてきた二人を打ち倒し、それを振り返ることもなく、降りたばかりの馬に何事か囁きかけている。まるで(撫でて欲しい)というように軽く頭を下げる馬に、彼が微笑みながら、軽くぽんぽんと叩く。すると馬は満足したように一声嘶き、馬首を返して戦場から離れて行った。
ライル殿はそれを確認すると、再びこちらを向いて歩き出した。
その視線が、俺、親父、ドルゴ、空中の女、そしてゴーレムに囲まれ、その中心で跪いているアレクシウス殿下を見る。
黒装束の兵隊たちも、一連の動きに度肝を抜かれたようで不用意に近づこうとしない。それに彼らは知っているのだろう、こういう時には主人であるドルゴが一対一の戦いを希望することを。
彼らの視線がドルゴに注がれる。しかし、その目に映ったのは、彼らのよく知る主人とは違う姿だった。
ライル殿を見る濁った黄色い瞳が、明らかに動揺に揺れていた。赤黒い隈取も、心なしか黒さを増しているように見える。
「……何者だ」
ようやくドルゴが発した低い声に、ライル殿がちらりとその顔を見る。しかし、その質問には答えず、視線が倒れている俺に移った。
「フォルカー殿、いま喋れますか?」
その声はこの場には不自然なくらい、自然だった。まるで久しぶりに会った友人に向かって声をかけたようだ。実際、声をかけられた俺自身、当惑していた。
「まず、何から始めればいいか教えていただけると助かるのですが」
(((何だ、この男は!?)))
恐らくそう思ったのは俺だけではないだろう。殿下と空の女以外の、この場にいる全員がそう思ったはずだ。もし、ゴーレムに考える頭があれば同じように思っただろう。
ライル殿の質問に返事をしたのは、離れたところにいた親父だった。
「ライル様、恐れ入りますが、まず、その大きな御仁を倒して、次に空にいる御婦人を倒して、アレクシウス殿下をお救いください。ゴーレムは核を斬らなければ増えますので、ご注意ください」
その声は、確かに親父の声だったが、クレールではなく、クラリスとしてのものだった。
(こんな時にもかよ!)
俺はそう思いながら、その的確な指示には同意していた。短い言葉の中にいますべきことが全部含まれている。ただ、その実行の難しさは度外視されている。
ライル殿は声の方向を見て、
「クラリス殿、ありがとうございます」
と返事をすると、ドルゴに向かって歩き始めた。
黒い髪が風に軽く揺れる。黒い瞳が空から照りつける魔法の光が反射して輝く。その中にドルゴの巨体が小さく映っている。
数体のゴーレムがライル殿を囲もうと動く。それをほとんど視線も動かさず一撃で倒す。ぐしゃり、ぐしゃり、と音を立てて土塊に還っていくそれに目もくれず、すたすたとドルゴへと向かう。
近づく間合い。先に動いたのはドルゴだった。
(いや、動かされたな)
そう思った。それがプレッシャーに耐えきれなくなった者の動きであることは、一目瞭然だった。あれほど余裕綽々で、戦うことを、それも強敵と殺し合うことを楽しんでいた男が、いまはまるで初めて戦場に連れてこられた新兵のような振る舞いをしている。
「ぐぅあああぁああああぁああ!!!!」
咆哮とも悲鳴ともつかない絶叫をあげながらドルゴがライル殿に突っ込む。それでも一足で間合いを詰めた動きと、飛び込みながら左右の両剣で首と胴を挟むように狙った動きは恐るべきものだった。追い詰められた獣が、巨大な顎で獲物を粉砕するかのような、満を持して放った最強の一撃だった。
(左右のどちらにも躱せない! どうする!?)
っと、ライル殿の体が重さを失ったかのように宙に舞う。
驚愕で大きく見開かれた目に、魔法の光球を背にしたライル殿が映る。
左右の剣は虚しく空を切り、ドルゴの太い両腕が分厚い胸板の前で交差する。ちょうど自分の体を自分の腕で縛ってしまったようだ。
刃引きの刀がドルゴの脳天に振り下ろされる。
ガグッ
という音が響く。ふわりとドルゴの肩に着地したライル殿は、そのまま再び宙を舞う。今度は更に高い。
その目は空中の女に向けられている。
ドサリ
と、ドルゴの巨体が倒れる音に、ようやく気がついた女の視線がライル殿を捉えた。自分に向かって一直線に飛んでくる男の姿に表情が変わる。
ほんの僅かな逡巡の後、女の視線が再びアレクシウス殿下へと戻る。手に持っている水晶が黒く強く輝く。口元が早口に何かを唱えている。
その間にもライル殿の刀が水平に、女の首に向かって放たれた。
パリン
と魔法結界が破れる乾いた音がした。
お読みいただき、ありがとうございました。
ようやくライルの登場です。(何だ、この男は!?)とは書いている著者も同じ気分です(笑)。
それにしてもブックマークを伸ばすのって、本当に大変なのですね。
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次回は明日の12時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




