第八十一話: 砕けた希望、現れる希望【前編】
(……あの男……!)
水晶を握りしめる手が、震えている。
耳がズキズキと痛み、首筋を流れた血が、ローブの下に着ているシャツの胸元から入り、胸の間に忍び込んでくる。ガロン様に強化された私の体を流れる血は、普通の人間よりもはるかに冷たい。それでも肌を伝う血が不愉快なのに違いはない。
最初の三本で私の視線を奪い注意を引き、それに応じる防御面に意識を奪った。その上で四本目の短剣が真下から、音もなく襲ってきた。なんとか気がつけたので結界を強くできたが、それでも短剣は防御魔法を突き破り、私の首筋を掠り耳を傷つけた。
怪我自体は耳たぶを斬られたくらいで命に関わることはないのは分かっていた。
それでも拍動と一緒に、ジンジンとした痛みを体に感じる。
(殺されるところだった……!)
結界を破り短剣が飛び込んできたあの瞬間、私は死を覚悟して身を固くした。
私は怯えたのだ。
まさか剣士風情にそんなことができるとは思っていなかった自分の甘さにも腹が立ったが、飛んで来る短剣に対して無力だった自分にも腹が立った。そしてなによりも、私にそんな思いをさせた男に対する強力な殺意が吹き上がり体が震えた。
(……あの男を、八つ裂きにして殺してやる!)
私の魔法の全てを使って、この世の痛みを全て味わわせて、死ぬことを懇願させ、あの男の愛するものを全て目の前で破壊してやる。その上で、肉を剥ぎ、骨を砕き、最後の息を吐くまで苦しめたい。
そう思った。一方で、冷静な自分がいた。
あの男の妨害で、途中で途切れてしまった、アレクシウスへの命脈同調を完成させなければいけない。一度途切れた意識の糸を繋げるのは、想像以上に時間がかかる。そうでなくともここまでに想定以上の魔力を使っている。脱出に使う転移魔法を考えれば、それほど余裕はない。
私は、下を睨んだ。
ドルゴが、あの男と戦っている。剣を振るい、笑いながら、心底楽しそうに。
(楽しんでいる場合か……!)
耳から流れる血が苛立ちをさらに募る。あの馬鹿がしっかり私を守っていればこんなことにはならなかったのだ。
(しかし、いまはドルゴに任せるしかない)
そう思い、もう一度男を見る。……ドルゴ同様に、男の顔にも笑みが浮かんでいた。
まったく、剣士というのは度し難い生き物だ!
その様子に呆れて視線を外し、私は流れる血をそのままに水晶に集中した。
アレクシウスの心に、再び触れる。
そこに映ったアレクシウスの心は、混沌としていた。
恐怖、絶望、怒り、悲しみ――あらゆる感情が渦巻いている。まるで嵐の海のように、荒れ狂っている。
秘密を暴かれた衝撃。クレールを失う恐怖。自分が何者かという問い。
全てが、ぐちゃぐちゃに混ざり合い、形を失っている。
私はそれを見て、少し安心した。
(これなら……やりやすい……)
混沌とした心の方が、心への攻撃は容易だからだ。
切れかけていた〈命脈同調〉念の糸を、再び結び直す。呪いの種が、彼女の混沌の中で、根を張り続けている。ゆっくりと、だが確実に、アレクシウスの心を蝕んでいる。
(もう誰にも邪魔はさせない。今度こそアレクシウスの心は私のものだ)
水晶が黒く染まり輝きを強めた。
✴︎✴︎✴︎
俺は左右の手に持った剣を構え直した。左手に長剣、右手に短剣、どちらも刃はボロボロだ。
目の前の男、ドルゴが、こちらを見ている。その黄色い目には、まだ戦いを楽しむ光がある。いや、楽しむどころではない、渇望している。もっと、もっと戦いたいと、その目が叫んでいる。獣のような、純粋な殺意と歓喜が混ざり合った、狂気の光。
「さあ、続けようか」
男が両手の剣を構えた。どちらも刃こぼれ一つない刀身が、空に輝く魔法の光を反射して鈍く光る。
(化け物め。付き合わされるこちらの身にもなれ)
内心で毒づきながら慎重に自分の体を確認する。全身が痛いが、特に痛いのは一度外れた左の肩だ。長剣を持つ腕に軽い痺れがある。息は辛いがまだ大丈夫だ。心臓もまだ動いてくれている。
「最後まで付き合ってくれるのは心臓だけだ」
とは親父の口癖だった。聞いている時は(当たり前のことをなにを)と思っていたが、自分も歳をとるごとに、重みを増す言葉だった。色々な苦しい思い、悲しい思い、嬉しい思い、その全てを支えてくれているのはこの心臓なのだ。泣いても笑っても、俺たちはこいつが動いている限り生きている。その単純な事実の重みに気がつくのだ。
言った当の本人は、俺の後ろで寝ている。心臓はまだ動いているのだろうか?
呼びかける力も惜しいので、そのまま目の前の男を見ている。
改めて見るとでかい。俺とは頭ひとつ違う。よくこんな奴を相手に親父はやれたものだ。全く大したものだ。防具はそれなりに傷がついているが、ボロボロというほどではない。赤黒い隈取りが鈍く輝いている。お肌の調子は良いようだ。なにより濁った黄色の瞳が爛々と輝いている。
(こいつを倒して、あの空中にいる女を殺して、殿下をお救いする)
これからやるべきことを頭の中で並べてみる。
何でもやる前には不可能に見えるものだが、こいつはその中でもかなりの難度だ。
だからといって、やめるわけにはいかない。もうひとつ、試してみたい手もあるのだ。
俺は男に向かって歩き出す。
男が、シャリン、シャリンと両の剣を合わせる。
(まるででかい肉屋の親父だな)
そう思いながら心持ち歩く速さをあげる。
たちまち間合いが狭まり、剣と剣が、激しくぶつかり合う。
ガキィィン!!
再び火花と共に、金属が打ち合わされる音が辺りに響く。
数合撃ち合ったところで、俺は左の長剣を真っ向に切り下ろす。男がこれを両剣を合わせて受けようとする。
その瞬間、俺は刀の柄についている小さな突起を押す。次の瞬間、
ジャラリ
という音と共に長剣の刃がバラバラになった。刀身が節ごとに分離する。だが完全に離れたわけではない。刀身の中を通る細い鉄線でそれぞれが繋がっている。
蛇腹剣と呼ばれるものだ。刃が、鞭のようにしなり、合わせたドルゴの両剣に絡みつく。
「む……!?」
ドルゴの目が、驚きに軽く見開かれる。
俺は、そのまま長剣を全力で引く。するとドルゴは剣を取られまいと反射的に引き返す。それが狙いだった。
俺は男が引くのに合わせて一気に懐に飛び込むと、短剣を再び逆手に握り直し、男の左脇の下から心臓に目掛けて突き込む。
刃先が防具の隙間を抜いて、肉を裂き、骨を砕き、心臓へと進む。
(届いた!)と思った瞬間、ドルゴの膝蹴りが胸に突き刺さった。
ミシミシ
と防具の上からでも胸の骨にヒビが入る音がする。両手が剣から離れ、後ろへよろめく。広がった間合いに、男の前蹴りが再び胸に飛んでくる。
バキバキバキ
という音に、俺は宙を飛びながら(折れたな)と思う。次の瞬間、背中から地面に叩きつけられる。転がることもできず、
ガハッ
と口と鼻から血が吹き出す。それでもなんとか立ちあがろうとするが、腕に力が入らず上半身を起こせない。かろうじて息をすると、胸の奥で砕けた骨が擦れ合う、ジャリ、ジャリという不快な音が脳髄に響く。
それでもなんとか首を起こして男を見る。
ドルゴは自分の左の脇の下に生えた短剣の柄を面白そうに見ている。やがて右手の剣を無造作に地面に刺すと、それから離し、短剣の柄を指先でちょんちょんと二、三度つつく。
その様子を、俺だけではなく俺の部下と奴の部下も固唾を飲んで見ている。
やがて男は短剣の柄を右手で握ると、スルリと抜いた。
傷口から血が噴き出る。
だが心臓を刺したにしては少ない。
ドルゴがしげしげと引き抜いた俺の短剣の先を見てから、にやりと笑い、俺にも見えるようにそれを向けた。
短剣の先が欠けていた。
即座に俺は理解した。
「魔法結界か……」
このふざけたイカサマ野郎は、自分の心臓に魔法結界を掛けていたのだ。
(親父の言う通りだ。魔法を使った身体強化なんていうものは碌なもんじゃないな)
そう思いながら、俺は最後の切り札が無駄に終わったことを悟った。
お読みいただき、ありがとうございました。
最後の蛇腹剣はガリアンオマージュです。一度使ってみたかったので、ようやく自分の描く物語に出せて感無量です。
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次回は本日の20時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




