第七十八話:メルルの焦りと気づき【後編】
……ズシン、……ズシン
地面が震え、何か重いものが、近づいてくる。
(何だ……?)
と思った瞬間、左腕を失った傷口に痛みが走り、お陰で多少は意識がしっかりした。
目を開けるが、視界がぼやけていて焦点が合わない。目の前の強い光に、刈り揃えられた芝生が揺れているのが目に入った。どうやら俺は横に倒れているようだ。下になった左腕の肘から先がない。あの顔におかしな刺青を入れた男にやられたのだ。
……ズシン、……ズシン
規則的な振動が、大きくなってきていた。どうやらなにか重くてでかいものがこちらに向かってきているらしい。なんとか目玉を動かしてその正体を見ようとする。
ギラギラと強く輝く魔法の光の下、そいつの姿が見えた。
そいつはどうやら人のような形をしているが、酷くゆっくりした動きで予想通りでかい。俺の左腕を切り飛ばした馬鹿野郎よりでかかった。汗と血で滲む目を凝らしてもう一度見る。
(……なんだ、ゴーレムか)
どうやら俺が気を失っている間にどこからか湧いて出てきたようだ。
徐々に記憶が蘇ってきた。
左腕を囮にして男に飛びかかったこと。
とっておきの三本目が外されたこと。
館を守る魔法結界が破られる音。
そして……。
(殿下!)
よりによって殿下が館を飛び出してきたのだ! 俺は慌てて殿下の姿を探す。その瞬間激痛が走るが構わない。見ると俺に近づくゴーレムの後ろから、こちらに駆け寄ろうとしている姿があった。
「……お、やめください」
声を張り上げたつもりだったが、俺の耳にすら聞こえないしょぼくれた声にしかならなかった。
殿下は周りに近づくゴーレムたちを斬り倒しながら必死の形相でこちらへ近づこうとしている。だがまだ距離がありすぎる。いくらゴーレムがのろまでも、殿下がここへ辿り着く前に、俺の頭は踏み潰されるだろう。なにしろ血が足りなくて体に力が入らない。残った右腕でも動かせれば、ベルトの毒薬を口に入れるところだが、それすらもできない。
「クラリス!!」
殿下が必死に叫ぶ声が微かに聞こえた。
(ああ、そうだ。俺……私はクラリスだった)
そう思った。
殿下は本当に美しかった。文字通り光り輝く美しさで、執事として側で仕える身として、毎日見る度にその美しさに驚いた。その美しさは成長するとともに増し、女給長などから、「クラリス様はよくお側で普通にお仕えできますね。やはり長年のお仕えされているのでお慣れになっているのでしょうか。私などは、何年お仕えさせていただいても、ついついそのお美しさに息を呑んでしまいます」と言われたことがあった。
なに、別に慣れたわけではない。毎日驚いているのだが、それを隠すのが上手くなっただけだ。もっとも隠すことにかけては殿下の方が俺なんかよりも何枚も上手だったのだが……。
視界の中の殿下の姿が滲んだ。知らずのうちに涙が溢れていたのだ。
クラリスの時の私は、どうも涙脆くていけない。
ズシン
すぐ側で一際大きな足音が聞こえた。
その時私は、少女だったアレクシウス様の笑顔を思い出していた。
✴︎✴︎✴︎
私は、ゴーレムの群れの中を駆け回っていた。
剣を突く。剣先がカチンと何かを捉えて、ゴーレムが崩れる。次のゴーレムに向かう。また突く。カチンと手応えがあり、また崩れる。
その繰り返しだ。
疲れはなく、体が軽い。息を詰めることなく呼吸ができていて、全てが自然に流れている。ただその流れに体を委ねる。
(全てに中心がある)
(全てを受け入れる)
(無駄な力を抜く)
ライル様の教えを実践できている私がいる。それをもう一人の私が側で眺めているような気がした。ゴーレムの動き、その中心、攻撃の軌道、何もかもがひと繋がりのように見える。いや、見えるというより――分かるのだ。
分かる喜びに体が震え、思考が消えてゆき、さらに体が軽くなる。快感が体を貫く。
その時――。
意識の端に、違和感を感じた。
ゴーレムが一体、方向を変えていた。他のゴーレムたちは全て、私に向かい囲もうとして動いているのに、そのゴーレムは私とは反対方向を向いて歩いている。その先にあるのは……。
(……クラリス!)
地面に横倒れに倒れた彼はピクリとも動かず。左腕がない。血を流している。
その瞬間、私は愕然とした。
(私は……クラリスのことを……忘れていた……!?)
信じられない。クラリスを助けるために止める護衛を振り切って館を飛び出したのに、戦いに没入している間に、クラリスのことが頭から消えていた。
(なんていうこと……!)
自分自身に、驚愕した。そして――恐怖した。
(私は、一体何をしていたのだ!?)
だけどいまはそんなことを考えている暇はなかった。ゴーレムが、クラリスに向かって歩いている。その巨大な足が彼の頭に踏み落とされる姿が頭を掠めた。同時に、それまで感じていた自由さが消え、自分の存在を許していた世界から、いきなり元の世界へ放り出されたような感じで体が重くなる。
それでも私は全速力でクラリスに向かって走り出した。
ゴーレムの群れが行く手を邪魔しようと近づいてくる。剣を振るいこれを斬る。だけどその動きはいままでとはまるで違う。さっきまでは(邪魔)と思うこともなかったゴーレムたちが鬱陶しい。核を狙う余裕はない。ただ、斬って、押しのけて、前に進む。
「クラリス!!!」
力の限り叫ぶ。クラリスが私の方を見ている気がした。多分彼は怒っているだろう。自分の身を挺して守ろうとした私がのこのこ現れたのだ。だけど私にだって言い分はある。約束したのに、お茶の替えまでに帰って来なかったではないか! 先に約束を破ったのはクラリスの方だ。私とクラリスとの間にゴーレムの大きい背中が割り込む。その寸前、微かに私を見てクラリスが微笑んだ気がした。
頭では間に合わないことがわかっていた。それでも私は、全速力で走った。
✴︎✴︎✴︎
(……!)
私は水晶を通じて、アレクシウスの心の変化を感じた。
ずっと流れていて捉えることができなかった心が止まった。
まるで穏やかだった湖面に、突然、石が投げ込まれたように。波紋が広がり、揺れ動き、乱れている。
(やったわ……!)
私の唇が、笑みを作る。
アレクシウスが、倒れている老人に向かって走り出した。ゴーレムの群れを突き抜けて、必死に走っている。
その動きには、先ほどまでの余裕がない。焦りがある。恐怖がある。
(これだ……これなら……!)
私は、興奮で熱くなりそうな心を押さえて水晶に魔力を注ぎ込み、その心に再び触れようとする。今度はあっという間に心の隙間に入り込める。だけどさっき感じた、さらに奥にある違和感の正体は分からない。
いまあるところでも心を乱すことはできる。だけど、どうせなら完璧を期したい。
その時、私の視線が再び、地面に倒れている老人に向いた。
あれほどまでにアレクシウスを動揺させる理由。
(その理由が、この違和感の答えだ)
それは魔術師としての勘だった。
私は水晶の魔力を、老人に向けた。
老人の心に、触れる。
(……こ、これは……!!!)
そこに見えたのは美しい少女の姿だった。
その少女は、アレクシウスだった。
恐らくそれは、この老人にとって極めて強固な秘密として心の奥底に隠してきたことなのだろう。しかし、瀕死の状態の中で、目の前にそのアレクシウスが現れたことが、彼の秘密の扉を脆くしたのだ。
私の中で、全てが繋がった。
アレクシウスの中に感じた違和感の正体。心の奥底に隠されていたもの。それは自分が女性だという秘密だったのだ!
(これなら……これなら崩せる……!)
私の唇が、にぃと笑みの形を作る。
私は、水晶の魔力を、再びアレクシウスに向けた。
(第七十八話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
覚醒から一気に叩き落とされるアレクシウス。努力成果が上がると同時に、メルルが一気に可愛くなくなります(笑)。
さて夜の更新は連載開始以来、これまで23時と深めの時間を設定していたのですが、正直、ブックマークの伸びが良くなく、試しに暫くは20時前後にしてみようと思います。変わらぬお付き合いのほどと、この機会にブックマークをよろしくお願いします。
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次回は明日の12時前後の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




