第七十六話:アレクシウスの戦い、ライルの教え【後編】
躱された。本気で放った一撃を、最小限の動きで躱されたのだ。
それだけではない。その躱し方が尋常ではない。まるで俺の剣がどこを通るのか、最初から知っていたかのような動きだ。無駄が一切ない。力も入っていない。ただ、水の流れが岩を避けるような、なんの衒いもない動きだった。それは老人のものとも違った。
老人の動きは卓越したものだったが、俺の動きと間違いなく噛み合っていた。だからこそ、老人が俺の速さと力に追いつけなくなった時に勝負は決した。互いに命の取り合いはしているが、その深いところでは、共通の音楽で踊っているような感じがあった。だからこそ、俺はあれほど楽しめたのだ。
だが、いまの感覚は全く違う。その違いに俺は思わず剣を振り下ろしていたのだ。
振り下ろしたその理由に思い当たり、俺はゾクリとした。そして慌ててその考えから離れた。
(そんな理由がない)
俺は剣を構え直し、再び斬りかかった。横薙ぎ。青年が身を低くして躱す。真っ向。青年が半身で躱す。逆袈裟。青年が後ろに退がって躱す。
老人の時と同じように、全て躱される。しかし何かが明らかに違う。あの時は躱されても手応えがあった。しかし、この青年の動きにはそれがない。老人の時とは違い、俺がただ一人で踊っているような感じだ。
気がつくと時折、
カン、カン、
と軽い金属音が響いている。青年が撃を躱しつつ俺の剣に自分の剣を合わせているのだ。まともに合わせれば、この華奢な体で扱う細身の剣が受け切れるはずもなく、一撃で砕けるはずだ。俺の持つこの大剣はただ大きいだけではない。東の地でしか採れない貴重な鉱石に質の良い魔石を埋め込み、さらにガロン様から古代魔術に伝わる破壊の魔力を籠めていただいているのだ。軽く合わせるだけでも普通の剣なら数合も保たないはずだ。
カン、カッ、カッィ
という音が少しずつ変化してきた。同じ音のようだが、合わせられる度に音の高さが変わる。まるで何かを試して、何かを狙っているような感覚だ。またゾクリとする。
(何を狙っているのだ?)
俺の中で、見知らぬ感情と手応えに苛立ちが膨れ上がる。この程度の相手に、ここまで手こずるなどありえない。
(ならば!)
俺はさらに速度を上げ、連続で斬りかかる。横薙ぎ、真っ向、袈裟、逆袈裟、突き……。
だが、青年はそれを全て、躱し続ける。
そして時折、カン、と剣を合わせてくる。その回数は徐々に増えてきていた。
カン、カッ、カッィ、ッィカ、カキィン
その度に、俺の中で何かが警鐘を鳴らす。
一方でそれを否定する俺もいる。
(何を焦っているのだ。相手はひたすら防御に専念しているだけではないか!)
そうだ、王太子はまだ一度も攻撃してこない。ただ躱し、時折剣を合わせるだけだ。ならば攻め潰せばよいだけだ。この華奢な体で俺の攻撃をいつまでも捌き続けられるはずがない。
また、音がする。
カッキィン
音がさらに高くなっている。
得体の知れないあの感覚が背中を駆け上ってくる。
ゾクリ
(なんだこの感覚は? この俺が不安を感じているのか!?)
その瞬間、俺の中で何かが弾けた。
自分が何かを叫んでいるのは分かるが、その声は聞こえない。
空中からメルルがなにか慌てた様子で、何ごとかを叫びながら俺に近づいて来ようとしているのが分かった。だが、もう誰にも止められない。俺をこんな気分にさせる存在を、絶対許しておくわけにはいかなかった。
俺は王太子との間合いを一気に詰めた。胸と顔の印が熱くなるのを感じる。全身に魔力が混じった熱い血が駆け巡り、心臓の鼓動が速くなる。その強烈な力の奔流に、全ての思考が消えていく。メルルの声もガロン様の命令すらも、俺の中の強力な魔力の火に焼かれて消えてゆく。俺はその炎をもう止めようとはしない。この炎に我が身を捧げ、力を解放する快感に委ねる。俺の中に新しく生まれた、このゾクリという、この感覚を焼き尽くすのだ。
(これなら躱せまい)
封印を解放し、全ての力を込めて真っ向から斬り下ろす、絶対の一撃。
王太子はそれを躱さない。
すっと細身の剣を合わせようと差し上げる。
(いいだろう、剣ごと砕いてくれる!)
空気が焼ける、宙に一閃の跡を残して振り下ろされた俺の大剣と、王太子の華奢な剣が触れた。
その瞬間、
キィィィン!!!
という音と衝撃波が、地面の草を舞わせ、木々の葉を散らし、静かな湖面を泡立てた。その全ての中心に王太子がいる。
何かがキラキラと宙を舞っていた。
やがてそれは落ちてくると、
ズサッ
という音を立てて、地面に突き刺さった。
それは折れた俺の大剣だった。
✴︎✴︎✴︎
男の大剣が凄まじい速さで振り下ろされてくるのが見える。その軌道がまるで光の筋のように私には見えていた。いや、実際は剣が動く前に見えているので、軌道ではないのかも知れない。光の筋の上を大剣が正確に通ってくるのだ。私はただ、その光の筋を躱しているだけだった。速度が上がってもほとんど関係はない。剣が来る少し前に見える光をただ避け続ける。
そのうちに、男が振る大剣の中ほど、わずかに右に寄った位置に、小さな点があることに気がついた。刃でも鎬でもなく、もっと奥にある、大剣という存在の核、中心のようなものだ。
ライル様の言葉が蘇る。
『どんなものにも中心と言えるものがあります。そこを捉えるのです』
(やってみよう)
と私は思った。最初はごく軽く、自分の剣を合わせる。カンという金属音と、斬撃の衝撃が手に伝わる。強いが、先ほど受けたものに比べれば、撫でられたくらいのものだ。
何度か躱して、また合わせやすい光の筋が見えたので、これに合わせる。
カン、カッ、カッィ
合わせる度に音が変わり、衝撃が小さくなってくる。同時に、合わせた時に男の大剣の刀身に、ひびのような、わずかな線が光って見えた。それが合わせた所から段々と、中心に向かって伸びていく。
次第に男の顔に焦りが見え始める。それを打ち消すように、額に彫られたなにかの術印と、炎を模したような隈取が赤黒く輝く。男の動きがさらに速く強くなるが、私は焦らず合わせ続ける。
カッキィン
音が一際高くなった。
目が大きく見開かれ、黄色い瞳が私を凝視する。そこにあったのは恐怖だった。
「ぐぁああああああ!!!!」
男が獣の咆哮のような叫び声をあげた。黒い鎧の下で体が膨れ上がったのが分かった。見えている頑丈そうな腕や足が、強靭な木の幹が急速に成長するように、のたうちながらさらに太くなる。額の術印と隈取がさらに強く光る。黄色い瞳がぐるりと回り、白目が剥き出しになった。
大きく振り被られた大剣が、真っ向から私を狙って振り下ろされる。
私は大剣に見えるその一点だけを見つめて、剣を合わせる。
キィィィン!!!
高く澄んだ金属音が響いた。
大剣の内側にある中心から、一瞬、青白い強烈な光が溢れる。しかしそれは急速に小さくなると、代わりにひびのような線に沿って、巨大な大剣が中程から折れた。まるで内側から砕けたようだった。
空気が振動し、離宮の大きなガラス窓が砕け散る音と、森から無数の鳥が飛び立つのが分かった。
一瞬の間をおいて、
ズサッ
という音をと共に地面に突き刺さったのは、折れたドルゴの大剣だった。
その音に私は改めて、いま自分が行っていたことに気がついた。
目の前には剣を振り下ろした体勢で、白目のまま、私を見ようとしている男がいる。その体が小刻みに震えていた。
(ライル様……できました)
胸の奥が熱くなる。これが、ライル様の教えの真髄。『全てに力の源となる中心がある。それを見つけ、そこに働きかけることで物事は変わる』という教え。それがいま、言葉ではなく体の実感として、私の中に見つけた。
男が大きく飛び退いた。目には元の濁った黄色い瞳が戻っている。
「貴様……何をした……!?」
その声には、理解できないものへの、隠しきれない恐怖が滲んでいた。
私は答えない。それは言葉にできる類のものではなかったし、そもそもこの男に答える気もない。
一歩、前に踏み出す。
男の顔が、恐怖に歪む。
その時――、上空から、女の声が響いた。
「ドルゴ! 何をしている!」
見上げると、黒いローブを纏った女が、空中に浮かんでいた。
ドルゴと呼ばれた男が、女に向かって答える。
「余計な真似はするな! 私が片付ける!」
彼女は懐に手を入れながら答える。
「これ以上は待てない」
冷然とそう告げると、ローブの下から取り出した何かをばら撒いた。
それが落ちた地面が蠢き始め、やがて生き物が餌を飲み込むようにそれを飲み込む。
ボコリ、ボコリ
地面から小さな土が盛り上がる。あちらこちらに、土の小山が盛り上がる。盛り上がりは崩れ、盛り上がりは崩れを繰り返すうちに、やがてそれは形を成してゆく。
それは人の形をしていた。
いや、人ではない。
泥で作られた、人形。
泥人間だ。
(第七十六話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
ドルゴのバーサーク状態をもものともしないアレクシウス。見かねたメルルが奥の手を出します。今更ですが、メルルはファンタジー世界のハッカー的なイメージです。声のイメージは市ノ瀬加那さん、あるいは名塚佳織さんでしょうか。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




