第七十四話:水晶の離宮、クレールの戦い【後編】
俺は正面玄関の扉を押し開けた。
吹き込んでくる夜風には、濃密な森の香りに殺気が混じっている。頭上では、離宮を覆う魔法結界が、時折、侵入者の圧力に耐えかねて「ギチ、ギチ」と耳障りな悲鳴を上げ、古代魔術の術式が浮かんでは消えている。
俺の体の底の方で、長い間封印していた、目に入るもの全てを躊躇なく破壊し、殺すことに心血を注いでいた頃の自分が、目覚めようとしていることが感じていた。そこには高揚感もあるが、それよりもずっと冷たい、効率よく相手を殺すための計算式が働き始めるのを感じた。
離宮の魔法結界が万全であれば、建物の中に籠って、じきに来る援軍を待つのが基本だ。だが、今回はその結界が破られようとしている。であれば、外へ打って出るしかない。
俺は正面玄関前の馬車回しを突っ切ると、シャツの一番上のボタンを外し、タイを緩めながら、そのまま魔法結界の外になる前庭へと足を進める。お気に入りの一張羅で本当は惜しいのだが、着替える時間はなかった。
境界を越えると、フッと、結界内を満たしていた軽い圧が消え、音も風も匂いも、全ての刺激が一枚皮をめくったように明瞭になる。それと共に、森から漂ってくる殺気が一段と濃くなった。
(来たな)と思う間もなく、森の茂みから黒い装備に身を固めた兵士が五人飛び出した。
いずれも無言で、統一の取れた動きで俺を囲むように動く。練度が高い。
俺は目線を正面に置いたまま、懐の棒手裏剣を左に回り込もうとした男に素早く打つ。その手応えを感じるより早く、正面の男が腰だめに剣を構え突っ込んでくる。分かりやすいが、その分かりやすさも計算のうちなのだろう。こちらの動きを止めて、後は数で押し包む気だ。フォルカーの報告では、狂信者の集団とあったが、魔術だけではなく、物理的な集団戦の定石を知っている者がいるのは間違いない。
俺は咄嗟に正面から来る男ではなく、右回りで俺の背後に回り込もうとしていた奴に向かって走り始める。自分の方に来るとは思っていなかったのだろう、一瞬、動きに迷いが出た。その瞬間、膝の力を抜き、倒れ込むような姿勢で一気に間合いを詰めた俺は、そのままそいつの足元に滑り込みつつ、すれ違いざまに防具のない膝裏を斬った。正面から俺を追ってきた男と、膝裏を切られて悲鳴をあげる男が交錯する。その乱れに乗じて、追ってきた男の顔面に手裏剣を打ち込む。
俺を包囲することに失敗した残りの二人が、それでも左右からジリジリと距離を詰めてくる。どちらも長剣で、息を合わせて襲ってくるつもりなのだろう。
俺は左の男に向き直り、無造作に歩いて距離を詰める。男が剣を中段に構え、迎え撃つ姿勢をとるのを確認して、無防備な俺の背後に駆け寄ってくる右の男に、振り返りもせず手裏剣を打つ。同時に驚いた顔をしている左の男にも手裏剣を打つ。
あらかじめ中段に構えた男が、剣で手裏剣を弾く。カチンという乾いた音がした直後に、男の顔面に手裏剣が突き刺さる。一本投げるように見せかけて同じ軌道でもう一本打っていたのだ。ライル殿にはより確実な三本打ちを仕掛けたのだが簡単に防がれてしまったこともあり、(腕が鈍ったのか?)と少し不安に思っていたが、どうやらそうでないようで安心した。やっぱりあの男が特別なのだ。
取り敢えず、最初に出てきた奴らは全部倒せたが、森の奥に潜む殺気の濃さは全く変わらず、むしろ濃くなっている。いまのは威力偵察だろう。一人で出てきた爺さんを相手にするのにご丁寧なことだ。もっともこちらもいい準備体操になった。
「大したものだな」
野太い声と共に部下を従えた巨漢の戦士が現れた。その佇まいからどうやらこの場の仕切る隊長のようだ。全身を黒ずくめの鎧に身を纏い、背中には自分の身の丈にも届こうかという剣を背負っている。剃り上げられた頭部には無数の古傷が走り、顔面を斜めに断ち割る大きな傷跡が走っている。空の結界が軋んで放つ明滅に、濁った黄色の瞳が光る。
その男の横にはもう一人、黒いローブを纏い、胸の前に両手を重ね、その上に水晶を載せた女がいた。ローブに隠されて顔はよく見えないが、白い肌と赤い唇が影に浮かぶように見えた。こちらは魔術師と見て間違いはない。
「ここに入るには招待状が必要だ」
「違うな」
「なに?」
「我々はアレクシウス殿下をご招待するためにここへ来たのだ」
「殿下のご予定にはない。お引き取りを願う」
にやり、と笑う男に向かって、女が冷ややかな口調で言う。
「ドルゴ、こちらはあなたに任せます。私は結界に集中します」
そう言うと女は、すい、と宙に浮かぶと、結界の頂点の方へと向かった。
俺は手裏剣を一本打ったが、女に当たる寸前で、何か見えない壁に当たったように、弾き返された。とさっと暗闇に落下音が聞こえる。まあ、こんなものだろう。女はこちらを振り向きもせず飛んでいった。
「老人、そんなに無造作に使ってよいのか? 本番を前になくなるのではないか」
「心配には及ばん」
そう答えている間にも、空に響くギチギチという嫌な音が先ほどより大きく、光る回数も増えてきている。恐らくあの女が何かしているのだろう。目の前の男は、見た目よりも話好きなようだが、それに付き合っている時間はなさそうだ。
俺は無言で、左手の人差し指につけている指輪を口元に近づける。
「闇夜の纏い」
呟き終えると同時に、俺の姿が闇に溶けてゆく。もっともこれは俺自身には分からないのだが、相手の気配から察するにちゃんと効いているようだ。
「残っている手裏剣の数は多くない。囲んで潰せ」
そう命令する男の声と、それに応じてこちらに向かってくる兵隊たちが見えた。もちろん俺が同じ場所にいるはずがない。生垣に沿って右回りに迂回して奴らの隊列の左脇側へ両手に短刀を握り突っ込む。
「ぐぁ!」
「な、何だ!?」
「誰かいるぞ!」
たちまちそんな声が俺の周りから上がる。この暗さの中で、〈闇夜の纏い〉を掛けた俺の姿はほとんど見えない。おまけにこの魔法には、音をずらして残す効果があるので、相手は少し前に俺が居た所を追いかけることになる。この方が闇雲に剣を振り回されるより安全な上、うまく誘導すれば同士打ちを誘うことができる。
多くの人が恐れる暗闇は俺にとって、身を守り、混乱と噂を広げ、相手に疑心暗鬼を生み出す、大事な盾なのだ。その闇に身も心も深く潜らせれば潜らせるほど効果は増し、たった一人でも時には大軍を退け、街に巨大な混乱を起こすこともできるのだ。
俺は殺到する敵の鎧の隙間を、手当たり次第に貫きながら、
「後ろにいるぞ!」「森の方へ向かったぞ!」「いや、建物の方に走っている」「違う、ここにいる!」
など、奴らの声色を真似て叫ぶ。
動き、突き、叫び、また動く。
そのうちに、倒れた味方に足を取られる奴らも出てくる。俺はそうしてもがいている奴らの足を斬る。こうした乱戦では動けない怪我人を多く出す方が効果的だ。できるだけ他人に縋らなければならない奴を生み出す。
動き、突き、叫び、また動く。
忘れていた感覚が全身を巡る。体が狂喜しているのを感じながら、頭は冷静に次に何をすべきかを考えている。異変はすでに城でも把握して援軍を差し向けているはずだ。ただ、これだけ用意周到な奴らの仕掛けを考えると、彼らの到着まで、あと一刻は保たせる必要がある。一方で、結界がいつまで保つかが分からない。あの女が来てから、明らかに崩壊への速度が上がっている。援軍を期待するのであれば、時間を稼ぐ必要がある。しかし、こちらに時間をかければ、あの女が結界を破ってしまうというわけだ。
動き、突き、叫び、また動く。
敵が混乱すればするほど、俺は冷静になる。
(仮に結界魔法が破られたとしても、奥の部屋の魔法を破るには、まだ時間が掛かるはずだ。もっとも、あの女がどのくらいの魔力を持っているのかにもよる。それにそろそろ、こっちの男も何か手を打つだろう)
そう思った時、地上から空に向かって、強い光が筋を引きながら上がった。それも一つや二つじゃない、かなりの数だ。次の瞬間、破裂音がすると、夜空に幾つもの小さな太陽が輝いていた。
〈暗天を照らす光〉だ。夜戦などで使われる魔術具だが、こんな狭い戦場に、これほどの数を上げるとは、相当あの隊長を怒らせたようだ。思わず口元が緩んだが、それどころではなかった。せっかくの〈闇夜の纏い〉の効果が切れ、俺の姿が白日の元に晒されてしまったのだ。
先ほど女にドルゴと呼ばれた隊長らしい男が、憤怒の表情で自分の周りを見回している。そこには自分の率いてきた兵隊が、惨めに混乱し、整えられた離宮の芝生のあちこちで、苦痛の呻き声を上げて転がっているのだ。
その怒りに燃える黄色い瞳が俺を捉えた。
「老いぼれ、許さんぞ」
そこで俺は思い出した、殿下に仕えてからずっと忘れていた自分の特技を。
俺は誰よりも、人を怒らせるのが上手だったのだ。
自然に口元に悪い笑いが浮かぶのを、俺は止められなかった。
(第七十四話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
本文を書くのが楽しくて、うっかり初アップ時に後書を入れ忘れていました(笑)。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




