第七十三話:王家の血と、深淵の狙い【前編】
ライル様に柄頭でこめかみを打たれた男が、糸の切れた操り人形のように地面に崩れ落ちた。同時に主を失った泥人形たちが、まるで自分たちが土塊であったことを思い出したように、大きな音を立ててあちこちで崩れた。
私はその音で、全てが終わったことに気がついた。
静かな森にリヴィア様の泣き声だけが聞こえる。私に縋りつき、全身全霊で泣いているその姿に胸が痛くなる。私は持っていた剣を納めると、そっと彼女の背中に手を回す。そうしながら、さっきまでの、全てがゆっくりに見えていた時とは違う現実感が戻ってくるのを感じた。同時に、
「大丈夫、大丈夫」
と、呪文のように繰り返している声が、自分のものなのに気がついた。
(私はいつからこうしていたんだろう?)
なんだか全てが夢だったようにも思える。だけど泣きじゃくるリヴィア様と、ゆっくりと近づいてくるライル様の姿に、これが現実なのだと分かった。
(そうだ、私がやったんだ。あの跳躍も、騎乗でリヴィア様を掬い上げたのも。……そして、ライル様から「お見事です」と言われたんだ)
改めて自分に向かって歩いてくる、黒髪の青年を見た。
(褒めて……いただけるのかしら)
自分の胸で泣いている友人を宥めながら、そんなことを考えた自分を、(浅ましい)と思った。それでもなお、ライル様からの褒め言葉を期待している自分がいた。
ライル様が私の前で立ち止まった。その瞳は穏やかで、いつもと変わらない。口元に小さな笑みが浮かぶ。そこから出たのは、
「セレスさん。それでいいのです」
それだけだった。
驚嘆も、称賛もない。まるで転ばずに歩けたというような、当たり前のことを肯定するだけの言葉だった。
「……は、はい」
私は反射的に頷きながら、胸の奥で小さく何かがしぼむのを感じた。
期待していたような熱っぽい言葉はなかった。ライル様にとって、あれくらいはできて当然のことなのだろうか。それとも、まだ「褒める」段階ですらないのだろうか。
そんな風に考える自分を、私は心の中で慌てて叱責する。
(私は何をライル様に求めているの!?)
そう自分に言い聞かせていると、私は改めて腕の中で泣きじゃくるリヴィア様が小さく震えている。
「うっ……うぅ……」
「リヴィア様……」
「ごめんなさい……ごめんなさい、セレス……。私、馬鹿だったわ……。御兄様に会いたい一心で、あんな見え透いた嘘に引っかかって……。貴女や父様を裏切って、勝手に抜け出して……」
悔恨の言葉が、堰を切ったように溢れ出る。
私はリヴィア様の背中を優しくさすりながら、彼女の様子を観察した。
月明かりの下、リヴィア様の白い首筋や手首に、赤黒い締め痕のようなものが残っているのが見えた。魔法による拘束の跡だ。どれほどの恐怖だったろうか。信頼していた「兄からの手紙」に裏切られ、得体の知れない怪物たちに、その身を縛り上げられたのだ。
泣きじゃくるリヴィア様の姿に、私はふとルナのことを重ねていた。
倉庫で彼女が攫われてからすでに一週間近く経っている。いま彼女がどこで、そんな目に合っているのかを考えると、胸が張り裂けそうになる。そう思うと、私もリヴィア様と一緒に、声を上げて泣いてしまいたかった。
けれど、私はそれをぐっと堪えた。
いまの私はただの友人ではない。彼女を守るアークライトの剣なのだ。
「大丈夫です、リヴィア様。貴女はもう安全です」
私は努めて冷静に、騎士としての声を出し彼女を落ち着かせようとした。
「リヴィア様は魔術具によって騙されたのです。貴女のせいではありません」
「魔術具……?」
「そうです。あの手紙にはなんらかの魔術による罠が仕掛けられていたのです」
確かなことはまだ分かっていなかったが、思い返してみれば何もかもがおかしかった。私自身、相談された時に感じた手紙の違和感。あの甘い匂いに惑わされていたとしか思えない。それでも(あの時、手紙を取り上げて報告していれば)そう考えると、いくら魔術に犯されていたとしても、自分の甘さが許せなかった。いま私の腕の中で子供のように泣いている彼女も、その原因は、あの時判断を誤った私にあるのだ。
思わず彼女の背中に回して手に力が籠る。それに応えるように、リヴィア様は、嗚咽の合間になんとか言葉を紡ぎ出す。
「……確かに、ここへ来てみて私もおかしなことに気がついたの。あの甘い香りに……。私……」
そこまで話した時に、少し落ち着きを取り戻しつつあったリヴィア様の顔色が変わった。
「御兄上!」
「アレクシウス殿下がどうかされたのですか?」
黙って私たち二人の様子を見ていたライル様が口を開いた。その静かな口ぶりに、再び感情が大きく乱れそうな様子のリヴィア様が、なんとか感情を落ち着かせたのが分かった。
「あ、あの男が言っていたのです。何かを呼び覚ますのに『王家の血』が必要だって。だから私を攫うのだと……」
その言葉を聞いた瞬間、ライル様の瞳が黒さ増し、深くなった。
「『王家の血』ですか?」
「は、はい。だから私を攫うのだと……」
そう言いながら、リヴィアは自分の首筋に残っている縛の痕に触れ、びくりと体を震わせる。自分の身を襲った忌まわしい事実を思い出したのだろう。私は腕の力を抜き、そっと彼女に寄り添う。
「……なるほど。ならば、狙われているのはリヴィア様だけではない可能性がありますね」
ライル様のその言葉にハッとするのと同時に、リビア様の体が再び固く強張る。
(アレクシウス殿下!)
その時、ライル様の背後から不気味な笑い声が聞こえた。
「ふ、ふふ、はは……」
全員の視点が、笑い声の主に集まる。そこには縛り上げられ、地面に転がされた黒いローブの男がいた。男の笑い声が大きく激しくなる。可笑しくて可笑しくてしょうがないようだ。
「リヴィア殿下、貴女は随分と自分を高く見積もったいるようですね? まさか本気で、私たちが貴女の血だけを狙って来たとお思いですか?」
捕らえられているはずの男の態度には、敗北者の悲壮感など微塵もない。むしろ、ここからが本番だとでも言うように、歪んだ笑みをリヴィア様に向けていた。
「どういう……こと?」男が辛うじて応じた彼女の言葉を鼻で笑う。
「簡単な話です。貴女はただの餌、あるいは予備に過ぎにすぎません。我らが真に求めているのは、より古き血を色濃く継いだ器――アレクシウス殿下こそが本命です」
リヴィアの顔から、さっと血の気が引いた。
「そんな……御兄上が、本命……?」
「そうです。貴女があの手紙の誘いに乗り城を抜け出し騒ぎを起こしている間に、本隊はすでに殿下のもとへ向かっています。殿下のそのアレクシウス殿下への想いが、結果として大事な兄を危険に晒したというわけです」
男の言葉は、鋭利な刃物のようにリヴィアの心を抉った。自分の行動が、あろうことか大事な兄を窮地に追いやってしまったのか。その絶望に彼女の膝が震える。
「嘆くことはありません。貴女の兄上の高貴な血は、この大陸史上、最も偉大で価値ある魔術の器となるのです。むしろ誇りに思うべきです、ご自分のなさったことを!」
リヴィアの膝から力が抜ける。私は崩れかける彼女を支えた。アウレリア王家の王女が、こんな男の前で膝を屈することを許すことはできない。それでも男の声は執拗に、傷口を抉り、焼鏝を当てるかのように続く。
「それにしても思うより簡単でした。あの手紙には読んだ者の望みを強くし、酔わせる魔術をかけていたのですが、ここまで簡単にことが運ぶとは思いませんでした。その点では殿下は大変優秀でした。そんなにご自分を卑下する必要はありません。できればおまけの貴女の血もいただきたかったのは本当です。もちろん、その前に私がたっぷり楽しんでからですが。おまけの貴女にならガロン様もお許しになるはずです」
腕の中でリヴィアが衝撃でガクガクと揺れている。彼女はもはやは泣くことすらできず、その目は見開かれ、軽く開かれた唇は白くなり、怒りも悲しみといった全ての感情が抜け落ちたようだった。私は彼女を抱きながら、勝ち誇ったように声を張り上げる男を睨みつける。
「やめ 」
そう言いかけた私の声に、低い声が割って入った。
「――それで?」
ライル様だった。
お読みいただき、ありがとうございました。
相変わらずライルは敵も味方も関係なく、セリフに割って入ります(笑)。前にも書いたかもしれませんが、意外にこれは重要なことだったりします。
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次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




