第七十二話:セレスの飛翔とヴァイスの驚愕【後編】
「リヴィア様をお願いします。後は私が引き受けましょう」
突然目の前に現れた男は、リヴィアを助けた女に向かってそう言うと馬を下りた。馬の首を軽く叩いて、なにか労うようなことを言ったように見えたが、恐らくなにか別のこと、早く走るための魔道具でも回収したのだろう。どう考えても、馬を労っている場面ではないはずだ。
歩いてくる男は剣を抜いてすらいない。あまりに無防備な気配。
それが、私には何よりも深い侮蔑に感じられた。
(舐めおって……!)
そうした感情は『深淵の盟約』に参加して以来、私にとって久しぶりだった。偉大なるムドル王の意思を継ぎ、ガロン様のもとで新たなゴーレムを以ってこの世界を魔導王国として復活させるための日々は、迷いなく、自分の全てを捧げる幸せしかなかった。特に私に任された、人間を生きたまま、その血に宿る魔力をゴーレムの材料とする研究は素晴らしかった。材料となる者の性別や家柄による違いは無論、怒りや悲しみといった感情が、素材の質を高めることが分かった時は狂喜したものだ。
お陰でガロン様からもお褒めの言葉をいただき、質の良い女の実験体をたくさん下賜され、思うがままに嬲ることが許された。あの悲鳴や絶望的な表情、哀願を乞う声、そして全てを諦めた顔。その何も残っていないような表情から、さらに深い絶望を引き出した時の快感! その全てを今回の獲物、リヴィアで試すはずだった。高貴な人間であればあるほど、得られる魔力も愉しみも増える。
(なんだこの男は?)
改めて見直す。リヴィアを攫った女騎士が、「ライル様……」と呼ぶのを思い出した。
(ライル、というのか)そういえば計画の中に何度か登場した名前だった。最近、アステリア王国に現れ、クーデターの阻止に働きがあった謎の剣士の名前だ。しかし、目の前の男はとてもそんな風には見えない……。
仕方がない、楽しみの多い女は後回しにして、まずは生け取りの必要がない男から片付けるか。
「その男を肉塊に変えてしまえ」
私の命令に二十体近い泥人形が動き出す。不定形の質量が波のように押し寄せ、男の姿を飲み込もうとする。物理的な質量差は圧倒的だ。押し潰され、窒息し、見るも無残な死体となるがいい。
そう確信して口角を上げた、その瞬間だった。
ヒュンッ――。
刀が風を切る音。
男の姿がブレたかと思うと、先頭にいた三体の泥人形が、何の前触れもなく弾け飛んだ。
(……速いな)
だが、無駄だ。 私の泥人形は、体内の『核』を壊さぬ限り、何度でも蘇る。そう思ったところで異変に気がついた。
動かないのだ。
弾け飛んだ泥人形たちが、再生を始めない。それどころか、もとの土塊となって、ボロボロと崩れ落ちていく。
(な、何だ……? なぜ再生しない!?)
私は目を凝らした。そして、信じがたい光景に戦慄した。
男は泥人形たちの核を正確に打ち抜いているのだ。ある者は頭部を、ある者は左胸を、またある者は右の太腿を、それぞれ正確無比に打っているのだ。
(バカな……!?)
あり得ない。この泥人形の核は、生成するたびにバラバラな位置に配置されるよう術式を組んである。頭、胸、肩、腰……それを外見から見分けることなど、作った私にさえ不可能なのだ。
魔力探知? いや、神具か!? 古代の遺跡から発掘される、人知を超えた武具。その力の顕現は、使い手の能力によって様々だ。
(魔力を視覚化する「神の瞳」か、あるいは触れただけで魔術構成を破壊する「破魔の剣」か!?)
そうだ、そうでなければ説明がつかない! あの男は、強力な神具を使っているのだ。
「小癪な! 道具に頼った力など……!」
私は、その手に握られた武器を凝視した。どんな輝きを放つ神具か、正体を見極めてやる。
だが――。
「……あ?」
我もなく声が出たことに自分でも驚いた。
月明かりに照らされたその刀身は、魔力の光など帯びていなかった。
それどころか、鈍く、輝きがない。
男の振るう刀の刃は潰れていた。ただの刀の形をした鉄の棒だった。
神具どころか、まともな武器ですらない。そんなもので、魔法の補助もなく、道具の力もなく、ただの鉄の棒で私の苦心の作である泥人形の、核の一点を突いて屠っているというのか?
「ありえん……。そんなことがあってたまるか……!」
私の顔から余裕が消え失せた。その代わりに、ずっと自分以外の他者に味わわせ、楽しんできた馴染み深い感情、恐怖を感じていた。それは、目の前の男が我々が信奉する深淵の理を、歯牙にもかけていないことへ対するものだった。
男が近づいてくる。殺気すら放たず、ただ静かに。
「そんなことは認めん……認めんぞ!」
私は叫び、自分にある最大の魔力を練り上げる。リヴィアの確保ももう頭にはなかった。目の前にいる、私の全てを否定するこの理不尽な存在を吹き飛ばしてやる!
「私は選ばれた人間なのだ! 貴様のような理を無視する者が存在していいはずがないッ!!」
胸に入れた古代魔術の術印が燃えるように熱くなり、魔力が臨界に達する。放てば私もタダでは済まないが、この男を消滅させられるならそれでよい!
「――《爆轟の……》」
だが、その詠唱を紡ぐことはできなかった。
「……ッ!」
瞬きする間に、目の前に男が立っていた。
至近距離で私を真っ直ぐに見る黒い瞳。そこには、私という存在への興味がないのが分かった。
(あ!?)
思考が断ち切られ、言葉が出ない。そもそも男に聞く気がないのだ。
視界の端で、男の剣の柄頭が、私のこめかみに迫るのが目の端に見えた。
ゴッ。
その短い音と共に、私の意識は消えた。
お読みいただき、ありがとうございました。
久しぶりのライルはやはり書いていて楽しいです(笑)。ちなみにヴァイスの声のイメージは鳥海浩輔さんです。鬼滅の刃の玉壺ですね。あれは強烈でした。もうお一方浮かんだのは、すでに鬼籍に入られている寺島幹夫さんです。「おのーれおのれ! ガッチャマン」はいまでも耳に焼き付いています。古いですね(笑)。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




