第七十話:影の帰還と、真の標的【後編】
「なぜだ?」
「……恐れながら、奴らが求めるのがアストリア王家の血の濃さであるのなら、リヴィア殿下よりも、アレクシウス殿下の方が濃いからでございます」
そうなのだ。アレクシウス殿下はヴァレリウス陛下の息子であるとされているが、実際は、従兄弟であり、血の濃さでいうなら陛下とアレクシウス殿下は並ぶ。そして、殿下にはこの場の人間で、私と陛下しか知らない事実、女性であるという秘密がある。男女の性差が奴らにとってどのような意味を持つのかは分からないが、いずれにしろ、狂信的な奴らが純粋に血の濃さを求めるのであれば、狙いはアレクシウス殿下だと考えた方がよいはずだ。
「ここまでの奴らの動きを見る限り、残念ながらこちらは常に先手を取られています。そう考えると、我々の注意をリヴィア殿下に引きつける一方で、相当な用意でアレクシウス殿下の御坐す、水晶の離宮に迫っているのではないかと」
「しかしリヴィア殿下は正当なアストリアの王族であるぞ!」
ボールドウィン公が不平のこもった声を上げる。自分の息子をリヴィア殿下に婿入りさせることを望んでいることもあり、黙っていられなかったのだろう。
「……リヴィアは予備か」
苦しげな表情で、そう言ったのは陛下だった。
「両方拐えればよし、仮にリヴィアを拐えなくてもアレクシウスが拐えればそれでよし。そして、アレクシウスが拐えない場合の予備が、リヴィア……ということか」
声を出してそれに答えることを憚った私は、沈黙することでその言葉に応じた。
陛下が苦渋に満ちた声で漏らした言葉に、私は無言で頷いた。沈黙が広がる中、ボールドウィン公が拳を震わせて声を荒らげた。
「おのれ、『深淵の盟約』とやら……! 我らを、アウレリアをこれほどまでに愚弄するとは!」
「そんなことを言っている場合ではないぞ、ボールドウィン公」
冷静さを保とうと努めるアラリック公が、鋭い視線を私に向けた。
「フォルカー。そなたの分析が正しいとすれば、敵はいま、アレクシウス殿下のいる『水晶の離宮』に向かっているということになる」
「先ほども申し上げました通り、現在、離宮を守っている父クラリスは手だれです。ですが護衛の数は決して多くはありません。対して敵は、周到な準備をして狙っているはずです」
護衛の数を最低限の数にしているのは、アレクシウス殿下の強い希望によるものだった。もちろん、殿下の秘密も理由の一つだ。
淡々と語る私に向かってボールドウィン公が声を上げる。
「ならば、すぐに増援を!」
「はい。ただ、敵はすでに動き出しております。いまから正規軍を編成していては手遅れになるかと」
私は王の前に進み出ると、膝をつき、決意を込めて言上した。
「陛下。私が(王の影)を引きいて参ります」
「……間に合うのか?」
「私の部下たちであれば可能性はあるかと」
「見込みは?」
私は甘い観測を捨て、冷徹な事実を告げた。
「分かりません。相手の出方がいまのところ分かりませんので」
実際、この瞬間にも襲撃に遭っているかもしれない。それでも、一番早く辿り着く方法は他にはないのだ。
ヴァレリウス王は、私の目をじっと見つめ返し――やがて、深く頷いた。
「頼んだぞ。……あのアレクシウスを守ってくれ」
「御意」
私は立ち上がり、居並ぶ公爵たちに向き直った。
「皆様にお願いがございます。直ちに各家の私兵を呼び寄せ、近衛と共に陛下の身辺警護を固めていただきたい。敵の手がどこまで伸びているか知れません」
「うむ、承知した。ランカスターの精鋭を呼び寄せよう」
「ヴァロワ家の諜報網も使おう。領地からの情報収集も急がせる」
公爵たちが力強く頷く中、テオドール侯爵が不満げに口を開いた。
「それにしても、ライル殿の行動は解せぬ。いくらリヴィア殿下が心配とはいえ、陛下の身辺を任された者が、みすみす城を空けるとは……。騎士としての自覚がないのではないか?」
その言葉に、他の貴族たちも同意するように頷く。
私も同感だった。いかなる理由があろうとも、陛下の許可なく持ち場を離れるなど、騎士道にもとる。彼らしくない、迂闊すぎる判断だ。
だが、玉座のヴァレリウス王は、静かに首を横に振った。
「良いのだ、テオドール。あれはあれで良い」
「陛下? しかし……」
「あれを余の側に置こうとしたことが間違いであった」
「殿下?」
その言葉に驚いたのは私だけではなかった。まるでライル殿を切り捨てるような言葉だったからだ。
驚いた顔の我々の顔を見て、陛下が薄く笑った。
「勘違いするな。あれを非難しているのではない。そもそもライルは騎士ではない。事実、余はあれから剣を捧げられていない」
確かにライル殿はクーデターの騒動以来、騎士団の指導などもしているが、正式にアウレリアの騎士となったという話は聞かない。正確に言えば客分という存在だった。
「し、しかし陛下。そうであっても……」
「よいのだ。あれは……我々の理では測れぬ」
(陛下は何を仰っているのだ?)
そう思う一方、クーデター騒ぎの時に、彼を斬ろうと対峙した時の不思議な感覚を私は思い出していた。
階段を駆け上がってくるライル殿を、私はすれ違いざまに突き殺そうと思っていた。闘技場での桁違いの業前を見ていたこともあり、もとより陛下をお守りするために、自分の身を捨てて確実に排除するつもりで向かった。しかし失敗した。正確には、失敗と言えるところにまで辿り着いていなかった。剣も抜けず、馬鹿のようにすれ違っただけだったのだ。
何もできず振り返り、陛下へと真っ直ぐ階段を登っていく彼の後ろ姿を見て、私は自然に(斬れない)と思った。そこには恐怖も怒りも屈辱も、自分に対する失望すらなかった。なにか別の世界を見るような、たとえるなら澄んだ空気の中、地平線から登る朝焼けを見たような、奇妙な清々しさがあった。それはいま思っても不思議な経験で、あの時の感覚をなんと呼んでよいのかが、いまでも分からない。
陛下も私と同じような感覚をライル殿にお持ちなのだろうか? あるいは父親としてリヴィア殿下の身を案じているが故の言葉なのだろうか?
いずれにせよ、王が許した以上、私が口を挟むことではない。いまは考える時ではない。
「……では、行って参ります」
私は一礼し、踵を返して部屋を出た。
廊下に出るとそのまま厩舎へと向かう。足早に歩く私の後ろに、音もなく、天井裏や回廊の影から次々と黒いフードを被った者がついてくる。振り返る必要も、これから何をするのかを説明する必要もない。彼らは私が率いる「王の影」の中でも、選りすぐりの精鋭たちだ。
「第一班、私につけ。目的地は『水晶の離宮』。敵の襲撃が予想される」
「はっ」
「残りは城内の警備に紛れ、蟻一匹通すな。陛下を死守しろ」
短く命じると、私たちは風のように回廊を駆け抜けた。いつのまにか私に付き従う者の数は八名となっていた。
中庭の馬留めには、すでに部下の手配によって早馬が用意されている。どの馬にも額に鈍く白く輝く『風の魔石』と呼ばれる魔術具をつけられている。これをつけることで馬の能力を最大限まで引き出すことができる。馬には強い負担をかけ、ほとんどの場合、つけた馬を潰してしまうため、あまり使いたくはない方法だったが、離宮までの距離を埋めるにはこれしかない。
馬に乗った私に、居残りの部下の一人が静かに駆け寄ってくる。第二班を任せているルッソという男だ。
「東へ向かった者から連絡が来たら、すぐに知らせろ」
「はっ」
ルッソは最低限の返事をすると、駆け寄った時と同じように静かに離れた。
「行くぞ」
私の号令と共に、黒衣の一団は弾丸のように夜の闇へと飛び出した。
石畳を蹴る蹄の音が、まるで雷鳴のように轟く。その速度は、通常の早馬の倍、いや三倍近い。
風が刃物のように頬を切り裂く中、私は東の空を睨みつけた。
まだ遥か先の水晶の離宮がいまどうなっているのか。なにかあれば父、クラリス・アイゼンリーゼから知らせがあることを考えれば、いまのところは無事だと思いたい。しかし相手が魔術に長けていることを考えると、それも封じられる可能性が高い。
(親父、死ぬなよ……)
私たちは馬の命を燃料にして、ひたすら闇を切り裂き疾走した。
(第七十話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
いよいよお膳立てが揃ってきた感じです。最後まで行きたいものです。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




