第六十八話:硝子の鳥籠と、開かれた扉【後編】
背後から、震える声が私を呼び止めた。振り返ると、リヴィア様が涙を袖で拭いながら、顔を上げていた。その瞳からは、先ほどまでの懇願の色が消え、どこか憑き物が落ちたような、諦めの色が浮かんでいた。
「……分かったわ。貴女の言う通りね」
「リヴィア様……?」
「私は王女だもの。私が我儘を言えば、父様や、国のために戦っている人たちに迷惑がかかる。……セレスの言うことが正しいわ」
リヴィア様は、弱々しく微笑んだ。
「ごめんなさい、取り乱してしまって。手紙を見て、わたしも少し変だなって思ったんだけど、それでも嬉しくて……どうしても御兄上に会いたくなってしまって。自分の立場を忘れていたわ」
「いえ……お気持ちは、痛いほど分かります」
リヴィア様が聞き分けてくださったことに、私は心の底から安堵した。友人を裏切るような真似をせずに済む。
「だから、お願い。……お父様には言わないで。その手紙は私からお父様へお渡しします。だから、貴方からこれを陛下に報告するのは……」
リヴィア様が懇願するような目で私を見る。
もし私が報告すれば、リヴィア様への監視は厳しくなり、部屋から一歩も出られなくなるだろう。反省している彼女を、そこまで追い詰める必要があるだろうか。一度は収まった自分の心の中で、再び彼女に対して(なにかしてあげたい)という強く、抗いたがい気持ち首をもたげ、騎士としての責任感がぶつかるのを感じた。数秒の抵抗の後、私は彼女に手紙を返していた。
「……分かりました。リヴィア様がそう仰るなら、この件は私の胸に留めておきます。その代わり、必ず陛下にご報告ください」
「ありがとう、セレス! やっぱり貴女は私の親友ね」
リヴィア様は、ホッとしたように息を吐くと手紙を受け取り、笑顔を見せた。
「明日は一日、部屋で大人しくしているわ。頭を冷やさないとね」
「ええ。それが良いと思います」
私は深く一礼し、部屋を出た。
「それではリヴィア様、私は失礼します」
そう言って部屋を出ようと背を向けた時、声がかかった。
「ねえ、セレス」
振り返ると、リヴィア様が、いつものような無邪気な笑顔で小首をかしげていた。
「 ……『リヴィア』、でしょ?」
私は張り詰めていた頬を緩め応えた。
「 ……はい、リヴィア。失礼いたします」
私は微笑み返し、部屋を出た。 その時、微かに部屋の中に甘い匂いが漂っていたことに気がついた。
***
翌日の夕暮れの四つの鐘が鳴る前。
窓の外は、すでに藍色の闇に包まれ始めていた。私は鏡台の前に座り、鏡の中の自分を見つめていた。昨夜、セレスに見せた「諦め」の表情。あれは嘘ではない。セレスを巻き込むことを、諦めたのだ。
「ごめんねセレス……」
親友を欺く罪悪感があった。だが、それ以上に御兄上への思慕が勝った。それは手紙を繰り返し読めば読むほどに強くなっていた。それと共に、(どうして彼女は分かってくれなのだろう?)という疑問が浮かんできていた。(友達であれば私が御兄上に会うのを喜んで手伝ってくれるのが当たり前ではないか?)そんな風に思う気持ちの方がいまでは強くなっていた。だから、彼女に手紙を持っていかれそうになった時は慌てた。なんとか取り返せてた時はほっとした。(この手紙は私の御兄上に会わせてくれる宝物なのだ。誰にも渡せない)そう思ってまた手紙を読み始めた。
コン、コン。
扉がノックされる音がした。いつもの時間だ。私は素早く手紙を鏡台の引き出しに仕舞う。
「失礼いたします、リヴィア殿下。お茶のお時間です」
侍女たちが、ワゴンを押して入ってくる。私は立ち上がり、いつもの愛らしい笑顔を浮かべて彼女たちを迎えた。
「ありがとう。でも、ごめんなさい。いまは飲みたくないの」
「まあ、殿下。お加減が優れないのですか?」
年長の侍女が心配そうに眉を下げる。私は少し俯き、寂しげな声を装った。
「ええ……。昨夜、少し考え事をしてしまって、あまり眠れなかったの。だから今夜はもう休みたいわ」
「左様でございましたか。では、お医者様を……」
「いいえ、必要ないわ。ただぐっすり眠れば治ると思うの」
私は疲れたようにため息をつき、カップを取ろうとした手を戻す。
「だからお願い。明日の朝まで、誰も部屋に入れないで。いまは大変な時だからお父様にもご心配をかけたくないから大事にしないで」
「……かしこまりました。どうぞ、ごゆっくりお休みくださいませ」
侍女たちは顔を見合わせ、やがて納得したように深く一礼した。彼女たちがワゴンを引いて退出し、扉が閉まる音が響く。足音が遠ざかり、部屋には完全な静寂が訪れるのを確認して、私は素早く動き出した。ドレスを脱ぎ捨て、動きやすい乗馬服に着替える。そして、マントを深く被り、顔を隠した。もちろん手紙は上着の内ポケットに入れる。
テーブルの上に、簡単な書き置きを残す。セレスが見た時に、彼女が自分を責めすぎないように。これは私の独断なのだと、伝えるために。彼女が言う通り、この手紙が不自然なことは私にだって分かった。だけど、繰り返し読むうちにそんなことは気にならなくなった。なにより本物だったら? 私は御兄上の希望を無視した冷たい妹になってしまう。そんなことはできない。絶対できない。(私は御兄上に会うのだ)手紙を読んで以来、その想いがグルグルと頭の中を回り続けている。
「待っていてください、御兄上。……いま、行きます」
部屋の奥にある大きなタペストリーの裏側へと進む。そこには、幼い頃、御兄上と城内を探検して見つけた、古びた隠し扉があった。この通路は、使用人たちが使わなくなった古い搬入路へと繋がっている。この道を使えば、誰にも見つからずに裏口まで行けるはずだ。
私は、震える手で壁の一部を押した。ガコン、と鈍い音がして、壁の一部が回転して扉が現れる。
冷たい風が吹き込んできた。暗い闇の向こうへ、私は足を踏み入れた。ただひたすらに、御兄上への思慕だけを灯火にして。
お読みいただき、ありがとうございました。
セレスの説得も虚しく姿を消すリヴィアです。リヴィアの声のイメージは高橋李依さんです。「このすば」のめぐみんですね。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




