第六十八話:硝子の鳥籠と、開かれた扉【前編】
その夜、王都は冷たい風に包まれていた。
私は、リヴィア殿下付きの侍女から「殿下がお呼びです」との伝言を受け、王城の奥深くにある王女の私室を訪れていた。
「……アークライト様がいらっしゃいました」
扉の前の衛兵が扉を開けると、リヴィア様はお一人で寝台に腰掛けておられた。すでに夜着に着替えておられるが、その表情は硬く、眠る様子はない。人払いをされた部屋には、重苦しい静寂が満ちていた。
「お呼びと伺いました」
「来てくれて、ありがとう」
リヴィア様は、私を見ると安堵したように微笑んだ。
「……セレス。『リヴィア様』じゃなくて、『リヴィア』でしょ?」
彼女は、少し拗ねたように唇を尖らせた。以前、中庭で交わした約束。二人きりの時は、敬称を外して呼ぶこと。それは、孤独な王女と、悩める騎士が結んだ、ささやかな友情の証だった。
「……失礼しました、リヴィア。それで、どうしたのでしょうか?」
私が言い直すと、リヴィアは手招きをして私を近くに呼んだ。そして、震える手で一通の手紙を差し出した。
「これを見て。……義兄上から、手紙が来たの」
「えっ……?」
私は驚いて手紙を受け取った。封蝋は切られているが、確かにアウレリア王家の紋章が押されている。中身を改めると、そこには王族が使う筆跡で近況が綴られていた。
『こんな時だからこそ誰にも知られず、昔よく遊んだ森の離れで会いたい。大事な話がある。リヴィア、君は私の希望だ』
そして文末には――「明日の夜、八つの鐘(20時)が鳴る頃に待っている」と書かれている。
「アレクシウス殿下から……?」
私は眉をひそめた。何年もリヴィア様とはお会いにならず、「水晶の離宮」にいらっしゃる殿下が、本当にこのような密書を送るだろうか? 指定されている「森の離れ」といえば、ここから馬車で数時間の距離にあるちょうど王城と離宮の中間地点だ。
「ねえ、セレス。お願いがあるの」
リヴィアは、縋るような瞳で私を見上げた。
「私を、そこまで連れて行ってほしいの。誰にも、お父様にも内緒で」
「……リヴィア。それは、できないわ」
私は友人として、諭すように言った。
「いまは非常時よ。ルナも行方不明で、都に残った騎士団もその捜索で大変な時です。こんな時期にアレクシウス殿下が護衛もつけずに貴女を呼び出すなんて、あまりに変です。そもそもこれはどうやって届いたのですか?」
「それは……」リヴィア様が言い淀む。
「昨日、机の上にあったのです……」
「直接ですか?」
「……ええ。それは王族が使う特別な手紙なのよ」
王族だけが使える様々な魔道具があることは私も知っていた。実物を見たことはないけれど、この手紙もそうしたもののひとつなのかもしれない。ただ、その内容は何度読んでも……、凡そ信じられないものだ。
「どうしてアレクシウス殿下は、正規の方法ではなくこのようなものを貴方に送ったのでしょう?」
「それは……、普通に招待のお手紙を出しても、お父様がお許しにならないからですわ」
私はもう一度手紙に目を落とす。内容も違和感があるが、それ以外にもなにかおかしな気配がある。何度も読み返すうちに、自分の中に(彼女を行かせてあげたい)という妙な気持ちが湧いてきた。(セレス。友達のリヴィアがあなたを頼っているのよ。助けてあげなきゃ)そんな気持ちが自然に浮かんでくるのを、私は慌てて打ち消す。(私は王の剣なのだ)そう心に強く念じてから手紙から目を離し、私は彼女に告げた。
「……正直に申し上げて、この手紙はなにかの罠の可能性が高いと思います。直ちに陛下にご報告し、正規の調査を行うべきです」
私の言葉に、リヴィアは激しく首を振った。
「だめ! お父様に言ったら、絶対に許してくださらないわ! 『危険だから』って、また私を籠の中に閉じ込めて、御兄上と会わせないようにするに決まっているもの!」
「しかし、万が一のことがあれば……」
「御兄上が待っているのよ! ずっと会えなかった御兄上が、私に助けを求めているのかもしれない。……セレス、貴女なら分かってくれるでしょう? 大切な人に会えない辛さが、どれほどのものか」
リヴィアは、私の手を強く握りしめた。その目には、純粋で、切実な想いが溢れていた。
「私が頼れるのは、セレス、貴女しかいないの。お願い、力を貸して。友達でしょう?」
「お友達でも、これは無理です」
見開かれたリヴィアの目から、涙がこぼれるのが見えた。
「どうして……、どうして!? ライル様が会えて、何年も御兄上と会いたいと望んでいる私が会えないの!? そんなのおかしいではありませんか……。私には、お会いする、御兄上の前に立つ資格がないというの!?」
その言葉に、私の心は大きく揺れた。
リヴィア様の気持ちは痛いほど分かる。私もまた、ライル様への想いを抱え、自分に彼の前に立つ資格があるのかを自問自答している一人だからだ。友達として、彼女の願いを叶えてあげたい。ぐらりと心が揺れるのを感じた。その時、私の手が腰に帯びた剣に触れた瞬間、その重みに、大きく揺れた心が定まるのを感じた。私は彼女の友である前に、王の剣であるアークライトの騎士だ。この剣の重みは、我が家の王家に対する忠誠の証なのだ。この戦時下において、王位継承権を持つ彼女を危険に晒すことは、万死に値する。いま北の地へと進む騎士団を率いるお父様と、行方不明となっているルナのことを思えば、到底許せることではない。
私は、奥歯を噛み締め、私の手を握るリヴィアの手をそっと解いた。
そして、その場に跪き、頭を下げた。
「……申し訳ありません、リヴィア様。お気持ちは分かります。ですが……こればかりは、譲れません」
「セレス……?」
「戦時下のいま、このような怪しげな手紙をもとにリヴィア様を危険な場所へお連れすることはできません。それは陛下に忠誠を誓う騎士としては無論のこと、友人として、絶対にしてはならないことです」
私は顔を上げ、リヴィア様を直視した。
「この手紙は、陛下にお渡しします。もし本当にアレクシウス殿下からのものであれば、陛下が適切に取り計らってくださるはずです」
「……っ」
リヴィア様は、絶望したように目を見開いた。
「分かって……くれないのね」
「分かっています。だからこそ、止めるのです」
私は手紙を持って立ち上がった。
「失礼いたします。陛下にご報告へ参ります」
私が背を向け、扉のノブに手をかけた、その時だった。
「……待って、セレス」
お読みいただき、ありがとうございました。
お話の時系列は少し戻って、フォルカーたちが密談をする一日前の描写です。密談が続きます。
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ですので本日は久しぶりに11時と23時の二回更新です。
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次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




