第六十五話:老将の提案【後編】
すでに齢七十を越えているはずだが、足取りは矍鑠としたもので、その眼光は鋭い。
慌てて立ち上がり、礼をしようとする私を制し、ちょうど向かい合う形で座っていた、私とギデオン殿の間の椅子に腰を下ろした。
「レオポルド軍監…」
と言いかけた私を再び軽く制し、懐から沈黙のベルと呼ばれる小さな魔道具を取り出すとテーブルに置く。このベルを鳴らすと、周囲に音が漏れるのを封じることができるため、秘匿性の高い会議や密談などの際に使われる。
魔道具を見たギデオン殿が小さく頷くのを確認すると、レオポルド翁が軽くベルを鳴らす。
チン
という小さな音と共に、周囲からシンと音が消えた。
その効果を確認したところで、改めてギデオン殿が訊ねる。
「軍監殿、どうしたのですか?」
そう訊ねるギデオン殿をギロリと見ると、ずけりと、
「ギデオン、敢えてこう呼ばせてもらうがよいか?」
と言った。目を丸くしていたギデオン殿が、にやりと笑う。
「分かりました。レオポルド様。この場は、騎士団の師弟ということで構いません」
レオポルド翁は騎士団の教官で、ギデオン殿も学生時代に随分しごかれたと聞いたことがある。
「では言わせてもらおう、お主の娘のことだ」
「なぜそれを!?」大きな声を出すギデオン殿を制して言葉を続ける。
「古狸には、古狸の手というものが幾つもある」
その言葉にギデオン殿が思わず苦笑いする。恐らく影でレオポルド殿のことをそう呼んでいたのだろう。
「が、それはいまはどうでもいい。儂の情報では、王都に残したお主の娘、ルナリアの身に何かあったようだな」
「……そのようです。私自身、いましがたイザベル殿から聞いたばかりで、まだ状況が分からぬところがありますが……」
ここでレオポルド翁は私を見た。
「お主らはどこまで掴んでいる?」
私は先程、ギデオン殿に話したことをもう一度、レオポルド翁に話した。聞き終わると翁は、「大体、儂の情報と同じじゃの」と独り言ちた後、私をギロリと見た。
「で、お主はどうする?」
「……どうと聞かれましても。我々は王命を受けて軍を進めている最中です。残念ですが王都に残った者たちに任せるしかないかと……」
レオポルド翁は、私の返事にふんと鼻を鳴らすと、今度はギデオン殿を見た。
「ギデオン、お主はどうだ?」
「イザベル殿と同じです。総大将を任じられた私にとっていま大事なのは、北へ進み、アイゼンハイド辺境伯と合流し、蛮族どもを討ち果たすこと以外ありませぬ」
レオポルド翁は私とギデオン殿の顔をゆっくり見比べた。
「お主たちが言っていることは正論だ。が、正直に言えば動揺している指揮官を戴いたままこのまま軍を進めるのは不安だ」
「そのようなことはありません!」
ギデオン殿が即座にレオポルド翁の言をはね返す。
「イザベル、お主も同じか?」
「はい」
そう言った。
「ふむ……。大したものだ、儂がかわいい孫娘を攫われていたら、とてもそうは言えんがな……」
レオポルド翁はそう言ってにやりと笑った。
「……レオポルド様、それは一体どういう意味でしょうか?」
老将が訝しげに尋ねるギデオン殿をじろりと見る。
「みなまで言わせるな、大嘘つきどもめ。お主たちが動揺しているのはひと目で分かる。いまは事情を知っている儂だけかもしれん。しかしいずれ王都から報告が軍に伝われば、少なくともギデオン、お主への目は変わる。娘を攫われた総大将だとな」
「むう……」
ギデオン殿の顔が苦悩で歪む。レオポルド翁がその肩を軽く叩く。
「お前は儂が見た中でも、剣の腕はもちろん、戦略や戦術も一流だ。だが性格が素直なのだろう、腹芸が苦手だ。それでも最近は随分良くなっていたが、今回はいかん」
「ギデオン様……」
レオポルド翁が驚いた表情で自分を見る元教え子ににやりと笑う。
「恩師を舐めるなよ」
そう言うと老将は私を見た。
「そこでだ、イザベル」
私もギデオン殿も、この老将が次に何を言い出すのか分からずにいた。
「お主、王都へ帰って娘を見つけてこい」
「!?」
私は、言葉を失った。ギデオン殿も、目を見開いている。
「軍監殿、それは一体……」
「聞こえなかったか? イザベル、お主が王都へ戻り、ルナリア嬢を救出してこい」
レオポルド翁は、私を見据えたまま言った。
「しかし、副団長が軍を離れるなど……」
「黙って聞け」
レオポルド翁は、私の言葉を遮った。
「正直に言って、いまのお主たちを見ていると、このまま軍を進めるのは不安だ。ギデオン、お主は総大将として、娘のことで動揺している。イザベル、お主もだ。そんな指揮官を戴いたまま、軍を戦場に送り込むわけにはいかん」
「ですが、私は……」
「お主がルナリア嬢のことを心配しているのは、儂にも分かる。お主とルナリア嬢の関係がどうであれ、それはいまは問わん。だが、お主がここで動揺し続ければ、その動揺はいずれ全軍に伝わる。それは、戦での敗北に直結する。お主らも分かっているだろうが、今度の戦は容易ならざるものだ」
そう言うとレオポルド翁は、ゆっくりと懐から小さな指輪を取り出した。
「これは、儂の虎の子でな。緊急用の転移魔導具だ。使用者を、指定した場所へ一瞬で転移させる」
驚く私たちに向かって、「古狸じゃからな。相手を化かす手の二つや三つ持っているものだ」と事も無げに言った。
ギデオン殿が、口を開いた。
「レオポルド様、しかし副団長が不在では……」
「案ずるな、ギデオン。七日間は、まだ準備期間だ。我が軍は、あと七日は行軍と偵察、補給路の確保、同盟部族との交渉に費やされる。本格的な戦闘は、アイゼンハイド辺境伯家との合流を果たした八日目以降だ。その間であれば、実務的なことはマルクスが副団長代理を務めれば十分だ」
「ですが、副団長の不在は、士気に……」
「それも案じるな。副団長の不在は、一般兵には伏せる」
レオポルド翁は、そう言って私を見た。
「幹部には真実を伝える。『副団長は、王命により緊急で王都へ戻った。七日以内に戻る予定』とな。だが、一般兵には、別の話をする」
「別の話……ですか?」
「そうだ。『副団長イザベル・アドラーは、精鋭部隊を率いて、敵の後方を偵察・攪乱する別働隊任務に就いた』と伝える。通信を最小限にするため、しばらく姿を見せないが、七日後には本隊と合流する、とな」
私は、レオポルド翁の言葉に驚いた。
「しかし、別働隊など……」
「なにマルクスとエリクに、小規模な別働隊を編成させればよい。実際に偵察任務を行わせれば、名目が成立する。そうすれば、一般兵は『副団長は別働隊を指揮中』と思う。士気への影響はない」
レオポルド翁は、指輪を私に差し出した。
「イザベル、お主が今すぐ王都へ戻り、ルナリア嬢を救出することを、儂は軍監として許可する。ただし、七日以内に戻ること。これが条件だ」
私は、指輪を見つめた。手が、震えている。
(七日……七日以内に、ルナリア嬢を救い出し、戻らねばならない……)
ギデオン殿が、私を見た。その目には、苦悩の色が浮かんでいる。
「……イザベル。娘を、頼む」
ギデオン殿の声は、震えていた。父として、娘を救いたい。だが、総大将として、ここを離れることはできない。その苦悩が、声に滲んでいる。
「必ず、ルナリア嬢を救い出します。そして、七日以内に戻ります」
私は、指輪を受け取った。
「……すまない。本来なら、私が行くべきなのに……」
ギデオン殿の言葉に、レオポルド翁が口を挟んだ。
「ギデオン、お主がここに残ることが、最も軍のためになる。総大将が不在では、軍は崩壊する。だが、副団長が七日間不在でも、軍は動く。それに――」
レオポルド翁は、にやりと笑った。
「副団長が令嬢を救い、七日で戻ってくれば、全軍の士気は逆に高まるだろう。『副団長は、別働隊任務を成功させ、さらに令嬢まで救出した』とな」
私は、指輪を指に嵌めた。
レオポルド翁が、最後に言った。
「イザベル、七日以内に戻れ。それ以降になれば、我が軍は副団長不在のまま戦闘に突入することになる。……そして、お主は軍法会議だ。その時は儂は知らん顔をするぞ」
「……了解しました」
私は、立ち上がった。
ギデオン殿も、立ち上がった。
「イザベル……」
「ギデオン殿。必ず、ルナリア嬢を連れ戻します」
私は、指輪に魔力を注いだ。指輪が、青白く光り始める。
「……頼んだぞ、イザベル」
ギデオン殿の最後の言葉を聞きながら、私の視界は光に包まれた。
次の瞬間――
私は、王都の騎士団本部に立っていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
古狸、レオポルド翁の奇策でイザベルが王都に帰還、ルナの捜索に向かうことになりました。さて、その頃王都では?
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




