第六十五話:老将の提案【前篇】
北へと向かう街道沿いに設けられた仮設の幕舎の中で、私は自分の左手首を凝視していた。そこには、ルナと互いにつけた、飾り気のない銀色のブレスレットが嵌められている。
その中央に埋め込まれた小さな魔石が、黒く濁った光を放ち始めたのは夜更け過ぎだった。遅くまで総大将のギデオン殿の幕舎で翌日の旅程や兵糧、宿営地などを確認し、自分の幕舎に帰り装備を解こうとした時だ。ズキリとした鈍い痛みにブレスレットを見ると、魔石が黒く濁っていることに気がついた。
(……ルナ!)
その瞬間、脳裏に最悪の想像が駆け巡った。このブレスレットは、互いの魔力波長に感応する。魔石がこんな風に濁るのは、相手の魔力が強制的に遮断されたか、あるいは生命活動が著しく低下したか、その両方だ。
ルナの身に何かが起きた。それも、とてつもなく悪い何かが。
私はすぐに(王の影)が使う魔道具で王都の父・フォルカーに連絡を取ると、程なく返事があった。
その内容は衝撃的なものだった。ルナがヴェルナーとフリッツと共に『深淵の盟約』のアジトらしき倉庫に乗り込み、その結果、ルナが敵の手に落ちたというのだ。
(なぜ、そんな無謀なことをしたのか!?)
そう思うと共に、ルナらしくもあると思えた。北へと向かう私を見送る代わりに、彼女は王都で何か自分にしかできないことをやろうとしたのだろう。それには確信めいたものがあった。同行したヴェルナーとフリッツの二人は、恐らくルナの気迫に圧され、放っておけば一人でも行きかねない様子を見かねて同行したことも想像に難くなかった。
(あの娘には、人を従わせるなにかがあるからな)
その時一瞬、指先でいまは黒く濁った魔石を撫でながら、私はぼんやりと彼女の顔を想った。
次の瞬間、(いますぐ探しに行きたい!)という、猛烈な焦燥感が全身を襲った。
だがその前に、私にはやることがあった。それはルナの父であり、この北伐の総大将であるギデオン団長に、愛娘の身に起きた凶事を伝えることだった。
***
「イザベル副団長、こんな時間にどうした?」
夜更けを過ぎ、すでに夜明けに近い時間にも関わらず、ギデオン殿は私の来意を聞くこともなく、自らの幕舎に招き入れてくれた。そして、一目私の顔を見ると、護衛に「外で待て」と告げ、二人だけとなった。円形の幕舎の中央にある暖炉には、私の来訪のために新たに入れられた火が揺れ、どこか遠くで狼が鳴く声が聞こえた気がした。
ギデオン殿は私に椅子に座るように勧めると、単刀直入に、
「……なにがあった?」
と言った。その率直な物言いは、この最悪の状態の中にあっても心地よかった。
私はギデオン殿の目を見て答えた。
「……城から連絡があり。ルナリオ嬢が何者かに攫われたとの報がありました」
「なに!? どういうことだイザベル!」
ギデオン殿の顔色が変わる。歴戦の猛者である彼の顔が、娘・ルナの父親としての顔へと変わった。
私はそこでいま分かっていることを全て話した。最初は混乱した様子を見せたギデオン殿だったが、報告を聞くうちに冷静になり、口を挟むことなく私の話を聞いてくれた。
「……つまり、そのブレスレットでルナの身に何かがあったことを知り、フォルカー殿の報告があったということだな」
フォルカーと私の関係について、一瞬、ギデオン殿が訝る気配があったが、それ以上の詮索はなかった。いまはそれどころではないと思ったのだろう。
「はい。もう一つブレスレットから分かっているのは、ルナリオ殿の身が王都から離れつつあることです」
私が彼女に持たせた魔石には、互いの位置を知らせる魔力が込められていた。ルナはそれを察知して「鎖」と笑って呼んでいたのを思い出す。その思いを断ち切ったのは、娘を案じる父親の声だった。
「なに? どこへだ?」
「東の方へです」
「では、攫ったのはタイドリアの手の者ということか?」
「それは分かりません。会議の席上でフォルカー殿も言っていましたが、タイドリアもまた『深淵の盟約』の標的になっていることを考えると、これもまた奴らの仕業の可能性が高いかと思います」
「うぬ……」
「特にルナリア殿は……」
そこまで言って私は言い淀んだ。それは彼も知っていることであり、いま言う必要がないようにも思えたのだ。だが一瞬後、その可能性を言わないのは卑怯であり、ルナに対しても不誠実だと思った。
「ルナリア殿は、先日、私の作戦に同行し、『深淵の盟約』のアジトを急襲しています。ですので、奴らは彼女の存在を知っています」
そう言うと、ギデオン殿がそっと目を伏せる。
「……狙われる可能性があるということか」
私に対する非難の念は一切なく、ただ娘を思う彼の声を聞いた途端、私の中に猛烈な怒りと恥が体に燃え上がった。怒りは『深淵の盟約』に対するものと、自分に対するものだった。自分の大切な人を狙った敵に対する怒りは当然だ。しかし、そもそも自分が彼女に協力を要請しなければこんなことにならなかったのではないか? という思いが、強い炎となって自分へと向かっていた。そしてその動機に、自分の個人的な彼女に対する感情があったことを考えると、強烈な羞恥の感情が、鞴のように炎に力を与え、騎士としての、王の影としてのプライドをズタズタに引き裂き、醜く焦がしていた。
しかし、そうした炎も全て、いまルナがどうしているのかを考えるだけで凍りついた。
(いますぐ彼女のもとに駆けつけたい)
魂がそう叫ぶのを感じた。それは私にとって初めて感じる種類の切実さで、こんな状況にもかかわらず、悦びの成分が含まれていることに驚いた。
「いずれにしろ、いまの我々にできることはない。我々は王命により戦いへ向かう途上だ。いずれ王都より正式な報告もあるだろうが、目的日には変わらん。北で蛮族どもを討つ。それだけだ」
ギデオン殿が私と自分に言い聞かせるようにそう言った。(その通りだ)ということは分かっているのだが、肺から全ての空気が消え失せてしまったようで、返事ができない。いま口を開けば、そこから張り詰めたものが抜けてしまい、平静さを装っている私の全てが崩れ落ちてしまうことが怖かった。
「失礼いたします! レオポルド様がいらっしゃいました」
従卒の声に、弾かれたように私とギデオン殿の視線が幕舎の入口に向かう。
「ギデオン団長、軍監殿をお呼びになっていたのですか?」
そう訊ねる私に、
「いや、わしは知らぬ」と、ギデオン殿も驚いた顔でこちらを見る。
慌てる私たちの前に、
「お二人とも、邪魔をするぞ」
と嗄れた声とともに軍監のレオポルド殿が現れた。
お読みいただき、ありがとうございました。
ルナ誘拐の報は、普段は冷静なイザベルの心を揺らします。初めて登場させた時は、こんなキャラになるとは全然考えていませんでした。これもルナの魔力です。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




