第六十四話:凶報と、絡み合う罠【前編】
時刻は深夜を過ぎ、未明に差し掛かっていた。
王城の一角に与えられた自室で、俺は浅い眠りから覚めた。窓の外はまだ漆黒の闇に包まれ、夜明けを告げる一番鶏が鬨の声を上げるにも早かった。それでも予感はあった。
俺は静かに寝台から起き上がると、着替えを済ませ刃引きの刀を取り鞘を払った。
山を下りて、ギデオン殿の道場で借り受けて以来、ずっと使っている刀だ。「それでは心許なかろう」と、自分が持つ何振りかの名刀を使うように何度も言われたが、俺にはこれで十分だった。
「剣線、刃筋を通せば、どんなものでも斬れる」
と言っていた師匠は、手刀で太い垂木をスパスパと両断していた。それを思えば、この刃引きの刀でも充分過ぎるくらいだった。
丸く舐められた刃を確認して鞘に収めるのと同時に、部屋の扉が慌ただしく叩かれた。
「夜分に失礼いたします。ライル様! 騎士団詰所より急報です!」
当直の騎士の声だ。その切迫感のある声から、何事か大きなことが起きたことが分かった。
俺が扉を開けると、すぐに扉が開いたことに驚いた顔をした騎士が立っていた。
「何事ですか」
「はッ! 先程、港湾地区よりイザベル副団長の特殊部隊員二名が、負傷して騎士団本部に帰還しました! 彼らによると、同行した魔法学校のルナリア殿が、敵に拉致されたとのことです!」
一瞬、息を呑んだが、すぐに冷静さを取り戻し問い返す。
「……分かりました。場所は?」
「港の古い倉庫街です。直ちに詰所の者たちが現場へ急行しましたが……すでにもぬけの殻だったと」
手際が良すぎる。つまり突発的な事件ではない、周到に準備された罠だったのだろう。
「セレスティア殿は?」
俺は、ルナリアの双子の姉、セレスの身を案じた。
「すでに詰所におられます」
「分かりました。行きましょう」
俺はそのまま騎士の後をついて部屋を出た。
***
深夜の騎士団詰所は、張り詰めた沈黙と、重苦しい空気に包まれていた。
部屋の中央では、負傷したフリッツとヴェルナーが、治療を受けながら報告を行っていた。二人のことはイザベルさんに紹介され、何度か訓練を見たことがあった。どちらもイザベルさんとギデオン殿が新しく編成した、少人数の特殊な作戦用の部隊に選ばれるだけの力量がある騎士だった。
どちらも深手を負った様子はないが、装備は傷だらけで、ひどい打撲を負っているようだった。しかし痛みに呻くことはなく、その表情は悔しさに歪み、拳は血が滲むほど強く握りしめられていた。
その少し離れた場所で、セレスが蒼白な顔で立ち尽くしていた。俺が部屋に入ってきたのにも気がつかない様子で、その瞳は焦点を結ばず、唇は慄き、いまにも崩れ落ちそうな体を必死に支えているように見えた。
「セレスさん」
俺が静かに声をかけると、彼女は弾かれたように俺の顔を上げた。
「ライル、様……。ルナが……ルナが……っ」
気丈に振る舞おうとしていた彼女の仮面が、俺の顔を見た瞬間に崩れかけた。だが、彼女の騎士としての矜持がそれを押し留める。ぐっと奥歯を噛み締めて俺の瞳を見返した。俺はそんな彼女に小さく頷き、治療を受ける二人に向き直った。
「ヴェルナーさん、フリッツさん、お二人が無事で良かったです。凡その状況は聞きましたが、できればお二人の口からも何があったかを教えてもらえますか?」
「……分かりました、ライル殿」
いつもは飄々としたヴェルナーが、騎士然とした口調で冷静に、事の始まりから説明してくれた。そこには言い訳はもちろん、個人的な後悔の念や詫びの言葉もなく、感情を抑えた正確な報告だった。
「ルナリア殿は……俺たちを逃がすために、自ら囮となって……」
それでも最後のこの言葉には、隠しようのない口惜しさが滲んでいた。
ヴェルナーの報告が終わると、隣でじっと聞いていたフリッツが、静かに口を開いた。
「あの方は、最後まで気丈でした。イザベル隊長の命令だと、俺たちに生き延びて報告するよう命じて……」
そこで彼は苦しげに顔を歪め、吐き出すように言葉を続ける。
「俺たちは、みすみす御自身を犠牲にするのを、止めることができませんでした……」
大柄なフリッツの体が、怒りと悲しみに震えていた。
俺は二人の肩に手を置き、静かに言った。
「自分を責めてはいけません。あなたたちは、ルナさんの『命令』を守り、重要な情報を持ち帰った。……よく、生きて戻りました」
これは慰めではない。もし全員が行方不明や死んでいたら、事件自体はもっと深刻なものになっていただろう。そう言葉をかけると、二人は顔を伏せた。
俺は改めてセレスに向き直り、その震える肩に手を置いた。
「セレスさん。辛いでしょうが、いまはそこに心を留めないようにしてください」
「……?」セレスが少し驚いた顔で俺を見た。
「敵は、主力が不在のこの時を狙って、ルナさんを攫う周到な計画を実行しました。……俺には、これで終わりとは思えません」
俺の言葉を聞いたヴェルナーが顔を上げた。
「どういうことですか?」
「証拠はありません。ですが北の蛮族たちから始まるこの騒動はもちろん、みなさんが出動された誘拐事件から全てが計画されたものだとすると、いま王都の空白を埋めるには小さ過ぎるように思えます」
「小さすぎる?」
怪訝な表情のヴェルナーが問い直そうと口を開きかけたその時、詰所の入り口に、王室の近衛兵が慌ただしく現れた。
「ライル・アッシュフィールド殿! ならびにセレスティア・アークライト殿! 陛下がお呼びです。直ちに謁見の間へ!」
【王城:謁見の間】
深夜の謁見の間には、重苦しい緊張感が満ちていた。
玉座には、寝間着の上に厚手のガウンを羽織ったヴァレリウス王が座していた。急な報告に叩き起こされたのだろう、その顔には隠せない疲労と、怒の色が浮かんでいた。
その傍らには、フォルカーが控えている。彼の表情は能面のように何も浮かべず、その瞳は冷徹な光を放っていた。
俺とセレスは、王の御前に進み出て跪いた。
「……騎士団からの報告を聞いた。ルナリアが、敵の手に落ちたとな」
王の声は低く、地を這うようだった。
「はい。フリッツらの報告によれば、敵は周到な罠を張り、ルナリア殿を狙い撃ちにした模様です」
俺は静かに答えた。
王は深い嘆息をもらした。
「……あの娘が、か。ギデオンになんと詫びればよいか……」
王の顔に、苦渋の色が浮かぶ。恩人の娘を、みすみす敵の手に渡してしまったことへの悔恨が見て取れた。
「陛下。お願いがございます」
俺が顔を上げ、真っ直ぐに王を見据えた。
「ルナリア殿の捜索と奪還の任務を、私にお命じください。必ずや連れ戻してご覧に入れます」
隣でセレスも同様に顔を上げ、懇願の眼差しを向ける。
「私からも……お願いいたします! 妹を、ルナを助けに行かせてください!」
彼女の悲痛な声が、深夜の王城に響いた。
お読みいただき、ありがとうございました。
ルナが攫われたことが多くの人に衝撃を与えます。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




