第六十三話:深淵からの招待状【前篇】
「――ッ! 罠よ、退がって!」
わたしの声は、重厚な鉄扉が閉ざされる轟音にかき消された。
ドォォォン
という腹に響く音と共に、背後の退路が断たれる。それと同時に、倉庫の床、壁、天井に至るまで、複雑な幾何学模様を描く青白い魔法陣が浮かび上がった。
空気が、変わる。湿ったカビの臭いが充満していた空間が、急激に重苦しい、粘着質な何かに満たされていく。呼吸をするたびに、肺が焼けるような不快感が広がる。
(……空間固定結界、それに対魔術師用の広域魔力阻害!?)
わたくしは即座に状況を分析し、戦慄した。空間固定は転移や壁抜けを封じ、物理的な破壊をも困難にする。そして魔力阻害は、この空間内の大気中にある魔素の動きを極端に鈍らせ、術式構築を妨害する。
これほどの規模の複合結界を展開するには、事前の綿密な準備と、複数人の高位魔術師、あるいは莫大な魔力を蓄えた魔導具が必要となる。
(あの微弱な救難信号は、獲物をおびき寄せるための撒き餌……。わたしは、まんまとそれに食いついてしまったというわけね)
歯噛みするわたしの視線の先、積み上げられた木箱の影から、ゆらりと人影が現れた。 一人ではない。十数人。全員が闇に溶け込むような黒いローブを纏い、フードを目深にかぶっている。
「ようこそ、深淵への入り口へ。お待ちしておりましたわ、魔法学校の誇る秀才、ルナリア・アークライト様」
中心に立った人物が、フードをゆっくりと外した。現れたのは、氷のように冷たい美貌を持つ女だった。色素の薄いプラチナブロンドの髪を短く切り揃え、感情の読めない灰色の瞳が、値踏みするようにわたくしを見据えている。その口元には、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
女の左腕には、奇妙な装飾が施された腕輪が嵌められていた。鈍い銀色の金属製で、まるで生物の骨格を模したような歪なデザイン。中央に埋め込まれた赤黒い魔石からは、黒い霧のような魔力が絶えず漏れ出している。この空間を支配する不快な魔力の源泉は、その腕輪のようだ。
「……最初から、わたくし狙いでしたのね」
わたしは努めて冷静な声を装い、フリッツ様とヴェルナー様に目配せをした。二人は既に剣とメイスを構え、わたくしを庇うように左右に展開している。
「ええ、もちろんですとも」
女は艶然と微笑んだ。その声は鈴を転がすように美しいが、内容は毒を含んでいる。
「北の騒ぎで王都が手薄になったところで、我々の計画に必要な『至高の素材』を確保する。それが導師様の描いたシナリオ。でもまさか、貴女のような聡明な方が、こんなに簡単に食いついてくれるとは思いませんでしたわ」
彼女の言葉に、わたしは改めて自分の浅はかさを呪った。彼らの計画はゴーレムの材料となる素材集めだ。そう考えれば最も効率が良いのは……。
そこまで考えた時、女がにやりと、ことさら嫌な笑みを浮かべた。
「ちまちま魔力の低い者を攫うより、巨大な魔力を持つあなたのような秀才を一人、お招きしたほうが効率が良いのはお分かり……ですよねぇ?」
ぎりっ、と自分の奥歯が鳴る音が聞こえた。事の始まりからわたしは敵の掌の上で踊らされていたのだ。魔法学校の生徒が攫われれば、わたしが黙っていないこと、あえて拠点を襲撃させて、私の能力を図ること、その上で万全の体制でわたしを捕らえること。
(なにが魔法学校創立以来の英才だ。わたしは馬鹿だ)
ちらりと私を背後に守って立つ、フリッツ様とヴェルナー様を見る。イザベルを信じ、そして私を信じて巻き込んでしまった二人を見ると、自分の愚かさに骨が軋む気がする。だけど、いまは後悔している時間はない。
「フリッツ様、ヴェルナー様! ここを抜け出しますわよ。脱出方法を探しますので時間を稼いでください」
「応ッ!」
フリッツ様が吠えるように応じて、巨大なメイスを振りかざして突進する。重戦士らしい力強い踏み込みだ。
「やれやれ、イザベル隊長に怒られるなぁ、こりゃ!」
ヴェルナー様も軽口を叩きながら、疾風のように駆け出した。
二人の動きは洗練されていた。左右から同時に仕掛け、敵の注意を分散させる。フリッツ様のメイスが、先頭にいたローブの男を横なぎに吹き飛ばす。鎧の上からでも骨が砕ける音が響いた。同時にヴェルナー様の剣が、別の男を袈裟斬りで倒す。
さすがはイザベルが鍛え上げた精鋭たちだ。個々の戦闘能力なら、決して引けを取らない。 だが、敵の数が多すぎる。倒しても倒しても、影のように次々と湧き出てくる。
わたしはジリジリと後退すると、後手で入ってきた扉に触った。建物全体に強力な魔力阻害が掛かっているのは承知の上で、抜け道を作るための術式を構築しにかかる。大丈夫、どんな術式も、より高位の術式にかかれば解ける。
「矮小なる封鎖よ、我が前に道を開け。全てを開く万能の鍵……っ!?」
詠唱を始めた瞬間、愕然とした。体内の魔力循環がひどく鈍い。普段なら呼吸をするように自然に行える魔力操作が、まるで泥水の中を泳いでいるように重く、遅いのだ。 指先に小さな火花が散っただけで、術式は霧散してしまった。
「あら、どうなさいました? ご自慢の魔術は不発かしら?」
女がクスクスと笑う。
「この結界は、導師自らがお作りになったこの『吸魔の腕輪』によるもの。ここではまともな術式構築など不可能ですわ。貴女はもう、ただの無力な小娘に過ぎませんのよ」
そう言って女が腕輪を掲げると、赤黒い魔石が脈動するように発光した。
フリッツ様とヴェルナー様は多勢に無勢の中でよく戦われているが、流石にいつまでも保つものではない。徐々に劣勢に追い込まれつつあるのはわたしにも分かった。
(このままでは、やられる……)
わたしは唇を噛み締めた。敵の狙いは、強力な魔力を持つ「素材」――つまり、わたしだ。だから彼らはわたしを生け捕りにするつもりだろう。だが、護衛の二人は違う。邪魔者として排除される。
(わたしの判断ミスのせいで、彼らを死なせるわけにはいかない……!)
冷や汗が背中を伝う。自分の愚かさが招いた最悪の事態。だけど、ここで絶望していても事態は好転しない。わたしは深呼吸をし、波立つ思考を抑えて冷静に状況を分析する。
この結界の中で、魔法使いであるわたしは本来の力を出せない。戦力としても、脱出方法を提供することもできない。だけど騎士である彼らなら、肉体の力で結界の核を物理的に破壊できれば、脱出の糸口が開けるかもしれない。
視線を走らせ、結界の構成要素を探る。床と四隅の壁に配置された魔法陣が、魔力供給の起点となっているようだ。特にわたしがいる鉄扉の近くにある魔法陣は、退路を封じる要だ。
(……選択肢は、一つしかないわね)
わたしは覚悟を決めた。 この状況を打開するには、敵の意表を突くしかない。たとえそれが、魔法使いとしての矜持を捨てるような行為だとしても。
わたしは体内の奥底に残った魔力を、根こそぎかき集めた。丁寧な操作も複雑な術式構築も必要ない。ただ、純粋で膨大な魔力の塊を、暴発スレスレの状態で頭上に練り上げる。 徐々に魔力が光る球となってゆく。全身の血管が魔力の奔流に悲鳴を上げ、視界がチカチカと明滅するが構わない。そのまま魔力を練り上げつつ、強引に重力を捻じ曲げて体を宙に浮かせると、乱戦を続けている二人の頭上まで移動する。
そのわたしの様子を見た女の顔に、はじめて焦りの色が浮かんだ。
「な、馬鹿な、この結界の中で魔法が使えるわけがない!?」
そう、その通りだ。わたしが使っているのは魔法ではない、ただの魔力だ。術式も詠唱もない、純粋な魔力で物理を曲げているのだ。恐ろしく効率の悪い魔力の使い方で、魔法使い、それもわたしのような魔力と術式の組み合わせの美しさを追求する魔法使いにとっては許し難い使い方だった。それでもいまはこれしか方法がなかった。
わたしは体にある魔力を振り絞りながら、足元で戦う奮戦する二人に向かって叫んだ。
「フリッツ様! ヴェルナー様! 扉の方へ走って! 全力で!」
二人は驚いた様子でわたしを見上げた。いまはじめてわたしが自分たちの頭上にいることに気がついたのだろう。
「ル、ルナリア殿、どうしてそこに?」
「なっ!? 何を言って――」
「いいから走ってください! これはわたくしではなくイザベル様のご命令よ! わたくしのことは構わずに!」
唖然としている二人にわたしはにっこり笑うと、「目をお閉じになって!」と言うのと同時に、練り上げた光の魔力を頭上で炸裂させた。
凄まじい光が広い倉庫を照らした。まるで太陽がそこに現れたようだった。同時に、
パン!
という音が聞こえた。女の腕輪につけられていた赤黒い魔石が砕け散った音だ。わたしは薄れゆく意識の中で、少し笑っていた。それはつまりわたしの魔力が、導師とやらが作った魔道具の能力を越えたということだからだ。
(わたしは魔法の天才、ルナリア・アークライトよ)
そう思いながら、左手の手首につけた、飾り気のない銀色のブレスレットに触れた。
(イザベル、助けて……)
そこでわたしの意識は途絶えた。
お読みいただき、ありがとうございました。
ルナは書いていて楽しいキャラクターです。放っておいても動いてくれるので本当にいい子です。
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次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




