第六十二話:凪の終わり【後編】
地下の薄暗い研究室に、わたしはいた。
机の上に山積みになった資料と羊皮紙の海に溺れるようにして、一心不乱にペンを動かしている。
机の端には、冷めきった紅茶のカップ。左手首にはめた銀のブレスレットが、ランプの光を反射して鈍く光っていた。
「……違う。これも違うわ」
わたしは苛立たしげに呟き、書きなぐった計算式をクシャクシャに丸めて部屋の隅に投げ捨てた。
調べているのは、一連の誘拐事件の被害者たちの資料だった。彼らに共通しているのは、魔法学校の生徒であること、平民出身であること、魔力が高いこと、その3点だった。私たちが救出した四人の内、トーマスを除く三人は、魔力的にはトーマスより劣っていた。というより、トーマスの魔力は平民とは思えない高さで、貴族の平均を軽々上回っていた。
『深淵の盟約』が、恐らくゴーレムの生成の材料として、魔力の高いものを探していたのは間違いないだろう。ではなぜ、トーマスを放置していたのか? それが分からなかった。彼の話では「通常の適格者とは、波長が異なる」と言われたという。確かに魔力は大きくは属性に分けられるが、細かく見れば、一人ひとり波長と呼ばれるものが異なる。それはちょうど指紋のようなもので、それを利用して他の者が使えないようにしたり、逆にその波長を手がかりに使い手を探すことも可能だ。
もちろんトーマスの属性と波長は調べた。彼が話した通り紫の属性で波長は珍しい形のものだった。けれど分かったのはそこまでで、そこで行き止まりだった。
手を止めると北の寒い大地に向かうイザベルやお父様の姿が頭に浮かぶ。わたしも同行をお父様に頼み込んだが、まだ魔法学校の生徒であることを理由に断られた。どうせ王宮魔術師たちが何か横槍を入れたのだろう。伝統にあぐらをかくだけの年寄りたちの顔が浮かび気分が悪くなる。
それでもわたしは安全な王都でただ待っているだけなのは耐えられなかった。同行ができないのであれば、ここでできることをする。そう思ってイザベルを見送った足で、自分の研究所に向かい、それ以来、籠もりっきりで研究をしていた。(鍵はトーマスにあるはず)そこに確信はあるのに、前に進めない日が続いていた。(本当に行き止まりなのかしら……)そんな思いが湧き上がってくるのに強引に蓋をして、もう一度トーマスの供述書と資料を見直す。
「魔力量の多さだけが基準じゃない。トーマスの魔力量は平均より上だった。それなのに、彼らは波長を理由に保留していた……」
わたしは、自身の銀髪を乱暴にかき上げた。ぐるぐると同じところを回り続ける思考の熱で、頭が沸騰しそうだ。
彼らが求めているのは、単なる魔力の「量」だけではない。そこには一定の条件がある。そしてそれは恐らく「波長」であり、トーマスの波長とは合わず、彼より魔力が低くても他の三人や、すでに連れ去られていた人は条件に適っていた。そこでわたしは思いついた。
(そこまでトーマスの波長と相性の悪い波長はなんだろう?)
と。そこで過去の文献や、魔法学校の書庫から「首席の権限」「緊急事態」さらには「陛下のご許可」という最終兵器をお父様経由で取り付け、強引に持ち出した古い記録を照らし合わせる。半日かけてたどり着いた、ある一つの仮説は驚くべきものだった。
「……嘘でしょ」
導き出した答え。それは、敵が求めているトーマスの波長から最も遠い「波長」が、古のアウレリア王家――もっと言えば、建国王とそれに連なる血族が持つ特有の魔力波長に極めて近い、という事実だった。
そこまで見えてきた時、この仮説の先にもう一つの可能性が現れた。なぜ彼らはそれほどまでに王家の血を求めるのか? その答えは、魔力の波長について書かれた古い本の中にあった。
その要旨はある種の宿命論的なもので、魔力とは血に付随したもので、魔法を使える、使えないに関わらず、全ての人に与えられたものであり、有形無形に働くものであるという考え方に基づいていた。
そして王となる者には、そもそもその血の中に、人を率いる魔力、波長を持っているというのだ。魔力がいまほどに具体的な術式や方法論として細分化されず、もっと曖昧な才能。例えば「人を引き付ける才能」「感が良い」「天気を当てられる」といったものを含むものとして考えられていた時代の考え方で、わたしも学校で学んだことがあったが、それほど気に留めることはなかった。
しかし、そうした考え方によると、王家の血は「あらゆるものを統べる魔力と波長」ということになるという。
そこでわたしは気がついた。
彼らは、ムルド王のゴーレムを復活させようとしているのではない。それを超えた新しいゴーレムを作り出そうとしている。そして、そのためには、莫大な魔力だけでなく、波長をある一定に揃えようとしている。ちょうど切り出した木を揃えて家を建てるように、材料となる魔力の波長を揃えようとしているのだ。そしてその先にあるのは……。
「彼らは全てを統べる魔力と波長を持つ『王家の血』を使い、暴走することのない完全なゴーレムを作る気だ……」
その結論に達した時、背筋に冷たいものが走った。荒唐無稽な結論のように思える。だけど、もしそうなら、彼らの狙いは最初から明確だ。
現王族。国王陛下、アレクシウス殿下、リヴィア様。狙われるのはこの三人だ。
そして、それはいま行われようとしている北伐が巨大な陽動作戦に嵌ったことを意味している。
その時だった。
研究室の隅に設置していた、広域魔力探知用の水晶玉が、微かに明滅したのだ。
「……え?」
わたしは弾かれたように椅子から立ち上がり、水晶玉に駆け寄った。
ノイズのような微弱な反応。だが、その波長は、トーマスを助けた時と同じく、魔法学校の生徒が使う特殊な救難信号を(鳥)が捕えたものだった。ただ、魔力が足りないのかとても弱い。
場所は――南の港湾地区。以前、敵のアジトがあった場所の近くだ。
「まさか、まだ残党が……?」
心臓が早鐘を打つ。
トーマスの話では、彼らは生徒たちを色々な場所に移動していたようで、他にもアジトがある可能性があった。もしかしたら行方不明の他の生徒が出したものかもしれない。
すぐに騎士団に報告すべきかとも思ったが、お父様やイザベルが出立したいま、騎士団に心安く話せる顔が浮かばなかった。それに反応はあまりに微弱で、いまから正式な手順で彼らが動く準備をしている間に消えてしまうかもしれない。それに、もし見間違いだったら、ただでさえ手薄な王都の戦力を混乱させるだけになってしまう。
(わたしが、確かめないと)
イザベルの顔が脳裏をよぎった。彼女は北で戦っている。わたしも、ここで戦わなければ。
だけど一人では流石に難しい。ルナやライル様の顔が浮かんだが、どちらからも止められそうな気がした。(誰なら話を聞いてくれるか……?)その時浮かんだのは、以前、港湾地区の敵アジトを急襲した際、イザベルが率いていた特殊部隊のメンバーの顔だった。
***
夜更けの港湾地区は、腐った海水と油の臭いが充満していた。冷たい夜霧が立ち込め、林立する巨大な倉庫群を幽霊のように浮かび上がらせている。
俺は、油断なく周囲を警戒しながら、前を行く小さな背中を見つめた。フードを目深にかぶり、魔導具を握りしめて先を急ぐのは、ルナリア殿だ。
最初に、ルナリア殿が騎士団の詰め所に現れたという連絡があった時は驚いた。
魔法学校の生徒が、夜分に、しかも正規の手続きを経ずに騎士団を訪ねてくるなど、通常では考えられない。門番も対応に困っていたようだが、「イザベル副団長の特殊部隊の者に急用がある」という彼女の切迫した様子に、俺たちに取り次いだらしい。マルクス隊長やエリク、ヨハンは北伐組で、あの時の仲間で残っていたのは俺とヴェルナーだけだった。
詰め所の談話室に通されたルナリア殿は、ひどく焦っているように見えた。だが、その金の瞳には、並々ならぬ決意が宿っていた。
「港湾地区で、敵の残党と思われる魔力反応を感知しましたの。正規の部隊を動かす時間はありません。……どうか、わたしの調査に力を貸していただけませんか?」
唐突な、しかも危険を伴う極秘調査の依頼。断る理由はいくらでもあった。俺たちは現在、王都警備の予備戦力として待機を命じられている身だ。勝手な行動は軍規違反になる可能性もある。
だが、俺は即座に頷いた。
「承知いたしました。ルナリア殿は、我らがイザベル隊長が最も信頼を寄せている御方。隊長が不在の今、貴女の力になることこそが、隊長の意志に応えることだと判断します」
イザベル隊長は、この少女の持つ知識と洞察力を高く評価していた。その彼女が、これほどまでに焦燥し、自ら危険な現場へ赴こうとしているのだ。ただ事ではない。ここで見捨てては、騎士の名折れだ。
「少し、お待ちください。相棒を呼んでまいります。一人より二人の方が確実でしょう」
俺はルナリア殿に断りを入れ、談話室の奥にある休憩スペースへと向かった。予想通り、非番のヴェルナーが他の隊員と賭けトランプに興じていた。
「おい、ヴェルナー。仕事だ。すぐ来てくれ」
俺が声をかけると、ヴェルナーは面倒くさそうにカードをテーブルに投げ出した。
「あぁん? なんだよフリッツ、せっかくいい手が来てたのによぉ。まさかこんな時間に訓練の誘いじゃねぇだろうな」
「黙って来い。急用だ」
俺は有無を言わさず談話室へ呼びつけた。
「ったく、強引だなぁ……で、何の用だよ」
ブツブツ文句を言いながらついてきたヴェルナーだったが、談話室で待つ人物の姿を認めた瞬間、その飄々とした表情が凍りついた。
「……え? る、ルナリア殿!?」
ヴェルナーは慌てて居住まいを正し、いつになく真面目な顔で敬礼した。
「こ、これは失礼いたしました! まさか、こんな夜更けに貴女様がいらっしゃるとは思わず……」
俺が手短に状況を説明すると、ヴェルナーは真剣な表情で頷き、やれやれといった様子で肩をすくめた。
「なるほどねぇ……事情は飲み込めました。まあ、退屈な留守番よりは、厄介事の方が性に合ってるか。それに……イザベル隊長が信頼している御方が、こうして直接頼って来られたんだ。無下にはできません」
軽口を叩きながらも、その目は笑っていなかった。彼もまた、隊長が信頼する少女の危機を感じ取り、腹を括ったのだ。
そうして俺たちは、装備を整え、ルナリア殿の護衛として夜の港湾地区へと潜入したのだった。
「……ルナリア殿。本当にこちらでよろしいのですか? ネズミ一匹いないようですが」
俺は声を潜めて尋ねた。周囲の静けさが、逆に不気味だった。
「ええ、静かに。反応は確実に近づいていますわ」
前回の作戦でも使った髪飾りを通じて、俺たちは囁くような声でやり取りしていた。彼女の手にした小さな水晶玉が、ある一つの古い倉庫を指し示している。外壁は潮風で朽ちかけ、鉄の扉は錆びついていた。
俺たちは倉庫の前に到達した。
ルナリア殿が扉に手をかざし、罠の有無を探る。――ないようだ。鍵すら掛かっていない。
妙だ。敵のアジトならば、何らかの防備があってしかるべきだが。
「……行きますわよ。お二人はわたしの護衛を最優先にお願いします」
ルナリア殿の声には、緊張が滲んでいた。
「承知しました。我々の命に代えても」
俺は短く応え、メイスを構え直した。隣でヴェルナーも、音もなく剣を抜いている。油断はない。
ルナリア殿が小さく魔力を込めると、錆びついた扉が軋んだ音を立てて開いた。
内部は広大な空間になっており、積み上げられた木箱の影が迷路のように広がっている。埃とカビの臭いが鼻をついた。
ルナリア殿が一歩、中へと足を踏み入れ、俺たちもそれに続いた。
その瞬間だ。
彼女の手の中にある探知魔導具の光が、真っ赤に染まって激しく明滅した。微弱だったはずの反応が、爆発的に膨れ上がったのだ。
「――ッ! 罠よ、退がって!」
ルナリア殿が叫び、振り返った。
だが、遅かった。
俺たちの背後で、重厚な鉄扉が、見えない力に引かれるようにして、轟音と共に閉ざされたのだ。
同時に、倉庫の四隅から青白い魔法陣が浮かび上がり、空間全体を覆う強力な結界が発動した。
「ちっ、嵌められたか!」
ヴェルナーが舌打ちをし、即座にルナリア殿の前へ出て剣を構える。
「ようこそ、賢しい子ネズミさんたち」
木箱の陰から、嘲るような声が響いた。
黒いローブを纏った数人の男たちが、ゆらりと姿を現す。その中心にいる男の腕には、見たことのない奇妙な形の腕輪が嵌められていた。
俺もヴェルナーと並び、ルナリア殿を庇う壁となる。
その時、なぜか俺は風を感じた。締め切られた罠の中で感じるはずのない風だ。それでも分かっていた。つかの間の凪が終わり、大きな嵐が俺たちを飲み込もうとしていることを。
(第六十二話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
静かだった前編から一転、ぐっと勢いが出てきました。ここから一気に行きたいのですが、ストックは心細く、著者の集中力が保つかどうかが心配です(苦笑)。モチベーションのキープのために、ぜひ、ブックマークをいただけると助かります<(_ _)>。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




