第六十二話:凪の終わり【前編】
騎士団の主力が出立してから、三日が過ぎた。
数千の兵馬が去った王都は、まるで祭りの後のように静まり返っている。空は相変わらず重たい鉛色の雲に覆われているが、雨は降っていない。風もなく、音もない。ただ、湿った冷気だけが石畳の街を包み込んでいた。
俺は、王城の渡り廊下をゆっくりと歩いていた。
表向きの任務は、国王陛下の親衛隊としての城内巡回。だが、俺の意識は城壁の外、王都全体へと向けられている。
(……静かすぎる)
俺は足を止め、窓の外に広がる灰色の街並みを見下ろした。俺の「理」が、この静寂の裏にある違和感を捉えている。
(まるで凪のようだ)
王都から大軍が北へ向かったことにより、王都という器の中に奇妙な空白が生まれ、世界の均衡が崩れかけている。そんな感覚だ。必ずしも不均衡が悪いわけではない。不均衡だからこそ力が生まれる。北で生じた不均衡を正すために王都の軍が動いた。しかし、問題はそれによって起きた王都の中の不均衡を何が埋めるのか?
「……ライル様」
背後から声をかけられ、俺は振り返った。
声の主はセレスだった。彼女もまた、王都警備の任務に就いているが、その表情は晴れない。紫水晶の瞳には、焦燥と徒労感が滲んでいた。
「巡回、お疲れ様です。……街の様子はどうですか?」
「変わりありません。静かなものです」
俺の短い返答に、セレスは小さくため息をついた。
「はい……静かすぎます。第三、第四騎士団の方々と連携して警備を強化していますが、皆さん、どこか気が抜けているというか……」
無理もない話だ。主力が抜け、残されたのは二線級の兵士たち。「自分たちは留守番だ」という意識が、士気を下げているのだろう。真面目な彼女は、なんとか彼らを鼓舞しようと空回りしてしまっているようだ。
「焦る必要はありませんよ。敵が動けば、必ず波が立ちます」
俺は努めて穏やかに、事実を淡々と伝えるように言った。
「その時まで、無駄に神経をすり減らしてはいけません。かえって小さな波の起こりや、風の変化を見逃してしまいます。もっとも何も起きないことに越したことはないのですが」
そう言いながら、俺はそれが気休めだと分かっていた。ごく僅かだが空気の中に変化の兆しを感じていたのだ。山の中の澄んだ空気の中に起きるそれとは違い、昏い淀みを感じるものが、王都に生まれた不均衡に乗じて侵入してきている。そんな感覚があった。ただ、それを彼女に伝えても、不安にさせるだけだろう。それでなくとも北伐から外されたことで落ち込んでいるのは、剣を交えれば一目瞭然だった。
「すみません」
そう言って頭を下げた俺に彼女は目を見開いて驚いた。
「セレスさんが今回の北伐から外されたのは、私が原因だと伺っています」
俺がそれを聞いたのは北伐が決定した後で、ギデオン殿からだった。セレスが騎士団の稽古で、俺のことを罵った古参の騎士に立ち会いを申し込み、相手を一方的に叩き伏せ、重症を負わせたこと。そして、それが原因で、騎士団の旧体制派から帯同を拒否されたということだった。
ギデオン殿は立ち会いの様子を「娘ながら、あれは恐ろしい剣だった」と言った。そして、「いまの状態で戦場に出せば危険だと感じた。それはセレス本人より、周りの者にとってだ。娘のために貴重な兵を失うわけにはいかん」と語ると、深い溜め息をついた。
「と、とんでもありません! 顔を上げてください!」
そう大きな声を出して、自分の声に驚いたように両手を口に押し当てた。その様子を見て、俺は少しホッとした。このところの彼女はずっと思い詰めたようで、本来の伸びやかさや素直さが隠れてしまっていたからだ。
「あ、あれは、私が勝手に暴走しただけで、かえってライル様の剣を汚してしまいました……」
「それは違います。あなたが使う剣は、あなたの剣です。私の剣ではありません」
「……私の剣?」
「私のお話している『理』は、畑の土のようなものです。その土の上に咲く花は、種を撒いた者の色で染まります。セレスさんは良いものをお持ちです。だから人と比べずに、自分の花を咲かせてください。花が色と同じ、咲くその頃合いもそれぞれです、だから焦らず待つ楽しみを覚えられるといいですね」
「楽しみながら待つ、ですか……」
「はい」
「……分かりました。ご指導ありがとうございます」
セレスは唇を噛み締め、俯いた。俺はそれ以上何も言わず、軽く会釈をして、再び歩き出した。
風は、もう立ち始めているのかもしれない。ただ、それがまだ目に見える形になっていないだけで。俺も彼女も、全てを攫う大きな嵐の一部なのかもしれない。背中に彼女の視線を感じながら、そんなことを思っていた。
***
私は、遠ざかっていくライル様の背中を見送る。
ライル様はいつだって落ち着いていて、物事の本質を見抜いている。それに比べて私は、ただ焦って空回りするばかりだ。「あなたが使う剣は、あなたの剣です」という言葉が、胸に突き刺さる。師匠として、私の未熟さを心配してくれているのが分かり、自分が情けなくて仕方ない。そんな風に考えること自体が間違っていることが分かっていても、止められなかった。
ライル様の姿が廊下の角を曲がって見えなくなった頃、不意に横から声をかけられた。
「……セレス」
振り返ると、そこには第一王女のリヴィア様が立っていた。いつもは侍女を連れているリヴィア様が、今日はお一人だ。少し思いつめたような、何かを言い淀んでいるような表情をされている。
「はい、リヴィア様。いかがなされましたか?」
そう言うと彼女はすこしすねたように、「リヴィアでしょ?」と言った。そうだった、二人きりの時は互いに呼び捨てにすることになっていたのだ。とはいえ、城内の廊下で王女を呼び捨てにするのはやっぱり気が引けた私は、小さな声で「リヴィア」と呼んだ。
微かに微笑んだ彼女だったが、すぐにもとのなにか思い詰めた顔に戻ってしまった。
「あの……少し、お伺いしたいことがあって……」
リヴィア様は視線を泳がせ、口ごもる。何か深刻な相談事だろうか。王族の方からの相談となれば、私の一存では答えられないかもしれないが……。
「はい、私でお役に立てることでしたら、何なりと」
私がそう答えると、リヴィア様はハッとしたように顔を上げ、そして急に首を横に振った。
「……いえ、やっぱり、止めておきます。お忙しいところ、引き止めてしまってごめんなさい」
「え? あ、いえ、そのようなことは……」
私が戸惑っている間に、リヴィア様は足早にその場を去ってしまわれた。まるで、何か言ってはいけないことを言いそうになった自分から逃げるように。
(一体、何をお話しになりたかったのだろう?)
そう思いながら私の足は騎士団の道場へと向かっていた。そこに私の剣があるかどうか分からないけれど、いまの私にはそれしかできないのだから。
お読みいただき、ありがとうございました。
シンとした王城で出会うライルとセレスの二人からのリヴィアです。少しずつですが、不穏な空気が漂ってきました。果たして後半は……。
*ちなみに本日で連載開始よりちょうど2ヶ月。まさか毎日2回更新を続けられるとは!読んでいただいている皆様に感謝いたします。ブックマークもお願いいたします!
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次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




