第六十一話:王の思いと、分かたれる道【後編】
【王都:正門前広場】
翌朝、雨は上がっていた。
だが、空は依然として灰色の雲に覆われ、初冬の冷たい風が吹き抜けている。
王都の正門前広場は、早朝にもかかわらず、多くの市民や兵士たちで埋め尽くされていた。アウレリア王国が誇る第一、第二騎士団の出撃。その威容を見送ろうと集まった人々の顔には、興奮と不安が入り混じっていた。
整然と並ぶ騎馬隊の先頭には、真紅のマントを翻す副団長イザベル・アドラーと、その横に並ぶ団長ギデオン・アークライトの姿があった。
ギデオンは、手綱を握りながら、背後に続く大軍を見渡した。
壮観ではある。だが、その隊列は一様ではない。
ある部隊は真紅の獅子が描かれた盾を持ち、隣の部隊は白銀の薔薇を象った兜を被っている。また別の部隊は、黒竜の紋章を掲げている。六王家それぞれから供出された兵たちは、一つの騎士団として統合されつつも、その装備には色濃く「お家の事情」が残っていた。
(……ランカスターの赤に、ヨークの白、ヴァレンシュタインの黒か。華やかではあるがな)
ギデオンは内心で独りごちた。
家ごとの対抗意識は、兵の士気を高める。隣の隊には負けられんという競争心が、アウレリア騎士団の強さの源泉だ。だが、それは諸刃の剣でもある。功名を焦るあまり突出したり、連携を拒んだりする事態が過去に何度も起きている。今回の北伐、混成軍を束ねるのは骨が折れるだろう。
ふと、ギデオンの視線が、遥か後方、第二騎士団の末尾にある一団に留まった。そこだけ、鎧の色も紋章もバラバラな兵たちが、一つの部隊として整列している。
第二騎士団所属、第十三部隊。
イザベルとギデオンが主導し、試験的に各王家の兵を混ぜ合わせて編成した「混成旅団」だ。
その隊列の先頭には、騎士にしては線が細く、どこか気だるげな男がいた。彼は馬上で欠伸を噛み殺しながら、曇り空を見上げていた。
「……やれやれ。北の海は時化てそうだ。大波は正面から受けるな、ってじいさんに言われていたんだがなぁ」
独り言のように呟く彼を、隣に並ぶ副官の女性騎士が、慌てた様子で小突いた。
「ちょっと隊長、声が大きいですよ。列からはみ出てますし……前方にギデオン総監が見てますって」
彼女は愛用の長弓を背負い直しながら、恐縮したように首をすくめている。
だが、隊長と呼ばれた男は、悪びれる様子もなく、眠そうな垂れ目を細めた。
「大丈夫だ、リナ。風向きは向かい風だ。俺たちの声なんぞ、あそこまでは届かんよ」
「そういう問題じゃ……はぁ、もう。しっかりしてくださいよ、ファビアン隊長」
「はいはい。舵取りは任せるよ、副長」
遠目に見ているギデオンには、彼らの会話の内容までは聞こえない。
だが、あの独特の緩い空気感と、それに似合わぬ整然とした隊列は印象に残っていた。
(……あそこに見えるのは、確かファビアンとリナだったか)
ギデオンは記憶を探り、二人の若き騎士の名前を思い出した。
海沿いの平民出身でありながら、海賊討伐の功績で中級騎士に取り立てられた変わり種の隊長と、その手足となって働く優秀な弓使いで下級騎士の副官。この六王家から成る混成部隊が上手く機能すれば、この国の軍隊も変わるかもしれない。今はまだ、種を撒いたばかりだが。
その時、隣のイザベルが小さく声をかけてきた。
「……ギデオン副団長。少し、時間を頂けますか」
彼女の視線は、広場の隅、関係者席の方へ向けられている。そこには、銀色の髪の少女・ルナリアと、黒髪の少女・セレスティア、そして同じく黒髪のライル・アッシュフィールドが並んで立っていた。
ギデオンは、彼らの姿を認めると、短く頷いた。
「構わん」
「感謝します」
イザベルは馬を降り、手綱を従卒に預けると、早足で関係者席へと向かった。
そして、ルナと一言二言交わし、セレスとライルに何事か言い伝えると、ルナを促して広場の外れにある石壁の陰――大軍の喧騒から少し離れた、人目のつかない場所へと連れ出した。
ギデオンは、あえてその方向から視線を外し、前方を見つめた。父親として、上官として、見るべきではないものがある。二人の間に流れる空気が、単なる友人同士のものではないことなど、とっくに気づいていた。だが、それを咎めるつもりも、詮索するつもりもなかった。戦場へ向かう戦士が、魂の拠り所を確認する時間は必要だ。
石壁の陰。人目がないことを確認すると、ルナは腕組みをして、わざとらしく呆れたようにため息をついた。
「……まったく。人目もあるのに、大胆でございますね」
「ここなら見えない」
イザベルは短く答えると、ルナリアの手をそっと取った。冷え切った白い指先を、革手袋越しの自身の熱で包み込む。
そして、懐から小さな革袋を取り出し、彼女の手のひらに乗せた。
「これは?」
「『魔力感応のブレスレット』だ。我が家に伝わる古い魔道具だ」
袋の中には、銀の鎖で編まれた一対のブレスレットが収められていた。飾り気はないが、留め具の部分に小さな魔石が埋め込まれている。
「互いの魔力を登録すれば。離れていても、相手が生きているか、どの方角にいるかが分かる」
ルナリアは少し驚いたように目を見開き、それからふっと表情を和らげた。
「……イザベル様らしくない、重い鎖ね。まるで逃がさないと言われているみたい」
「イザベルだ」
イザベルの蒼い瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。
ルナリアは何も言わず、ブレスレットの一つを自分の左手首に巻いた。銀の鎖が、白い肌に吸い付くように馴染む。
もう一つを、イザベルの手首に巻いてやる。二つのブレスレットの魔石が、微かな光を放ち、共鳴した。
「行ってらっしゃいませ、イザベル」
ルナの声が、少しだけ震えた。
「……行ってくる」
「くれぐれも無理はなさいませんように」
イザベルは頷き、強く、一瞬、彼女の手を握りしめた。
互いの思いを確認するための、甘い愛の言葉も、虚ろな約束の言葉も彼女たちには必要なかった。手から伝わるお互いの体温と、腕に巻かれた銀の重み、二人の魂を繋ぎ止めるにはそれで十分だった。
イザベルが列に戻るのを見届けてから、ギデオンは再び視線を娘たちの方へ戻した。
そこには、ルナの隣で、少し寂しげに立ち尽くすもう一人の娘――セレスの姿があった。
セレスは、その疎外感と、自分だけが遠征から外された悔しさを噛み締めているようだった。
ギデオンがちらりとイザベルに視線を向けると、彼女が小さく頷いた。ギデオンは馬首を巡らせ、関係者席の近くまで歩み寄った。
「……父上」
セレスが顔を上げる。その紫水晶の瞳は潤んでいた。
「私も……行きたかったです。父上や、イザベル副団長の背中を守りたかった」
騎士団の礼服を身にまとい、悔しさに小さく身を震わせる彼女は今回の遠征メンバーから外されたのだ。表向きは「王都警備の増員」という理由だったが、理由は別にある。先日、彼女が起こした古参の騎士、ハインリッヒとの決闘騒ぎだ。あれが、騎士団内で燻っていた旧体制派と改革派の対立を明確なものにしてしまった。その結果、一部の旧体制派の隊長格が「セレスティア殿がこの作戦に帯同するのは、今回のような国の命運を賭けた総力戦において新たな火種となりかねない」と主張したのだ。人事権を掌握しているギデオンの立場であれば、彼らの意見など無視してセレスを連れてゆくことは可能だったが、騎士団全体を見れば、まだまだ旧体制派と呼ばれる者も多く、彼らの意見は無視できなかった。また、ギデオンが親子の関係を利用した特別扱いをしたと見られることをセレス自身が懸念し、自ら希望した形で、王都に残ることとなった。ただ彼自身、どこかでいまのセレスに不安を感じていたことも事実であった。
「セレスよ」
ギデオンは、馬上から厳格な父の顔を崩さず、しかし温かい声で告げた。
「行くも勇気、残るも勇気だ。第三、第四騎士団を統率し、王都全体の守りを固めるには、お前のような『王家のための剣』が必要なのだ」
これは半分慰めであり、半分は本心だった。王都には第三、第四騎士団が残るが、彼らは寄せ集めで練度が低い。今回は五王家の近衛騎士団も王城に詰めることになっているが、連携に不安がある。そう考えると、最後に陛下を守るにはセレスのような個の武勇が重要になる。
「王都には、陛下をはじめ王妃様、リヴィア様がいらっしゃる。……ルナやライル殿と共にここを守ることは、北へ行くこと以上に重要な任務だと思え」
「……はい」
セレスは唇を噛み締め、小さく頷いた。頭では分かっていても、心が納得していないのは明らかだった。
ギデオンは、横で静かに親子の会話を聞いていたライルを見た。
ライルは、静かにこちらを見ていた。
ギデオンは無言でライルに頷いてみせた。(娘たちを、頼むぞ)という親としての願いを込めて。
ライルもまた、微かに顎を引いてそれに応えた。
「全軍、前進!」
軍監レオポルドの野太い号令が響き渡った。
蹄鉄の音が大地を震わせ、数千の騎馬と歩兵が動き出す。赤、白、黒、様々な色の盾と旗が波のようにうねり、城門を抜けていく。それは壮観であり、同時に、王都から「アウレリアの主力」がごっそりと抜け落ちていく光景でもあった。
セレスは、遠ざかる父とイザベルの背中を、拳を握りしめて見送っていた。
(自分は選ばれなかった)
ちらりと隣に立つライルの様子を見る。その表情はいつもと変わらず、澄んだ黒い瞳が北へと向かう隊列を写している。自分を見るセレスの視線に気がついたのか、ライルが彼女を見返し微かに微笑む。慌てて視線を隊列に戻すセレスの胸には、ライルの一番弟子を自称しながら、肝心な時に戦力として数えられなかったといういう事実が、深い劣等感の棘となって突き刺さっていた。
「……行っちゃったわね」
ルナが、隣で左手首のブレスレットを撫でながら呟いた。
その声には、いつもの軽薄さはなく、張り詰めた不安が隠されていた。
「王都が、急に静かになった気がするわ」
***
俺は二人の会話を聞きながら、静かに空を見上げていた。雲の切れ間から、薄い光が差し込んでいるが、それは長くは続きそうにない。
重心が北へ傾いた。
巨大なシーソーのように、この国のバランスが大きく崩れたのを感じていた。そして、その傾きを狙って、暗い影が足元から忍び寄ろうとしていることも。
(……王の不安は、分からなくもない。だが)
離宮のある方向へと視線を向けた。
王城よりも、離宮の方が静かすぎる。
凪だ。嵐の前の、不気味なほどの凪。
(……俺の仕事は、ここにある)
俺はアークライトの道場以来ずっと腰に携えている刃引きの刀柄に手を添え、北ではなく、王都の闇へと視線を向けた。
大軍が去った後の王都に、冷たい風が吹き抜けた。
(第六十一話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
戦場へ向かう者、残る者。どんな戦いであっても人は二つに引き裂かれます。彼らには別々の物語が用意されていますが、それはまた別のお話。大河ドラマの予告っぽいですね(笑)。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




