第六十話:ヴァレリウス王の決断。北伐へ、【前編】
数日前まで王都を包んでいた穏やかな陽の日差しは、すでに遠くへ去ってしまっていた。代わりにいまでは鉛色の雲が低く垂れ込め、昼間だというのに薄暗い。その重苦しい天気は、いま、この大会議室に満ちている空気そのものだった。
重厚な扉が閉ざされた室内には、アウレリア王国の中枢を担う重鎮たちが集まっていた。クーデター事件後に新たに設立された、王政諮問会議の面々、各騎士団の部隊長、そして宮廷魔導師団の代表。皆、一様に顔色が悪い。無理もないことだ。ここ数日、北からもたらされる報告は、天気を司る女神にゼフィロを怒らせるのはもちろん、聞く者全てを憂鬱にするのに十分なものばかりだった。
私は上座に座り、彼らの強張った顔を見渡した。
胃の腑に冷たい鉛を流し込まれたような感覚が、数日前から消えない。だが、私は王だ。不安を顔に出すことは許されない。私は努めて冷静を装い、低い声で告げた。
「――アイゼンハイド辺境伯からの報告は、以上である」
側近であり(王の影)の長であるフォルカーが報告書を読み上げ、室内に声を響かせた。報告が終わると、室内には水を打ったような沈黙が降りた。
北のグリフォン山脈における、トロールやオーク、ゴブリンといった異種族混成軍の出現。そして、それらを統率するかのように輝く謎の「紫色の光」。長年、反目し合っていたはずの蛮族たちが、一つの意思のもとに整然と行軍しているという事実は、この場にいる誰にとっても、単なる辺境の異変として片付けられるものではなかった。
「……ムルド王の再来か」
誰かが、その忌まわしい名を呟いた。
500年前、蛮族を率い、ゴーレムと魔術によって大陸を蹂躙した伝説の暴君。私の脳裏に、王家の書庫で読んだ「ゴーレムの災厄」の記録がよぎる。別に王家の人間でなくとも、このアストレア大陸に暮らすものであれば誰でも知っていることだ。焦土と化した大地、逃げ惑う人々、そして空を覆う絶望的な魔力。それこそ子どもの頃から寝物語のように聞いていた話だ。なにか悪戯でもしようものなら「そんなことをなさってますとゴーレムが来ますわよ」と乳母に怒られたことを思い出す。この蛮族の不可解な動きと襲来は、そのゴーレムが、再びこのアストレア大陸に蘇る前兆だとしたら。恐らくこの場にいた全員がその可能性に思い当たり、身の裡に慄きを感じていただろう。
「深淵の盟約……。ムルド王を奉じる者がいることは知ってはいたが、ここまで組織だっていたとはな」
低い声で唸ったのは、諮問会議の一員であり、騎士団総監を務める老将、レオポルドであった。その歴戦の瞳には、隠しきれない警戒の色が宿っている。
「陛下。これは単なる辺境防衛の問題ではありません。国家存亡の危機と捉えるべきです。普段は互いにいがみ合っている蛮族どもが、統一された指揮のもと押し寄せてくるとなると、如何にヴォルフラム伯が百戦錬磨の強者であり城壁は堅牢であったとしても、このような異様な軍勢をまともに相手に凌ぎ切るのは難しいでしょう」
「うむ。余もそう考えている」
私は頷き、机上の巨大な地図を睨みつけた。
ヴォルフラム・アイゼンハイド辺境伯領は、我が国の北の盾だ。彼らならば、通常の蛮族の侵攻など一蹴するだろう。だが、相手が何者かに率いられた蛮族たちの大兵力となると話は違う。
(……なればこそ)
私は、玉座の肘掛けを握りしめた。
小手先の対応では、被害を拡大させるだけだ。戦力の出し惜しみはせず、最強の『武』をもって、正面から粉砕するのだ。
私はそう決断し、列席していた一人の女性騎士に視線を向けた。
亜麻色の髪を後ろで束ね、凛とした表情で控える若き獅子。王国騎士団副団長、イザベル・アドラーだ。
「イザベル」
「はっ」
名を呼ばれた彼女が、弾かれたように立ち上がる。
「騎士団の第一、第二部隊を含む精鋭主力軍を率い、直ちに北へ向かえ。アイゼンハイド辺境伯と合流し、その剛剣で敵軍を撃滅せよ」
室内がどよめいた。第一、第二部隊といえば騎士団の中核だ。それを丸ごと北へ送るということは、王都の守りを半減させるに等しい。しかもそれを率いるのが若い女性となればこの反応は当然だろう。
しかし、イザベルは動じなかった。即座にその場に跪き、力強く応える。
「はっ! 謹んで拝命いたします! 我が剣にかけて、北の脅威を王都には一歩たりとも近づけさせませぬ!」
その蒼い瞳に恐れの色はない。(王の影)であるフォルカーの娘でありながら、騎士団の副団長を務める彼女であれば、不確定要素の多いこの事態にも対応できるだろう。特に、クーデター以来の騎士団の立て直しは彼女を中心に行われ、先日も彼女の率いる少人数の特殊戦術部隊が、港湾地区の敵のアジトを急襲、人質を奪還に成功している。
懸念があるとすればその若さだ。若さゆえの純粋さは、時として致命的な隙となる。
私は横に立つギデオンを見る。彼もまた私の視線に素早く反応して、静かに命令を待つ姿勢を取る。歴戦の剣士である彼の体躯は、年齢を感じさせない威圧感を放っていた。王都随一の剣術道場の当主であり、先のクーデターでも獅子奮迅の働きを見せた傑物だ。
「ギデオン」
「はっ」
「そなたを、今回の北伐軍の臨時の騎士団長に任ずる。余の名代として全軍を率いよ」
ざわり、と会議室に居並ぶ貴族や騎士団関係者から驚きの声が上がる。相談役とはいえ、長く軍務から離れていた男の抜擢に動揺が走ったのだ。
「今回の遠征には、若きイザベルを支え、大軍を統率するには『経験』が不可欠である。互いに不足を補い合いこの難局に当たれ」
「はっ」
意外にもギデオンの表情にはなんの色も浮かばない。引退同然だった立場から、クーデターでの活躍を切っ掛けに、現在で私の相談役兼騎士団特別教官に任じられている彼だが、これほどの大役に指名されても顔色を変えないとは思わなかった。
無論私も考えがあってこその指名だ。もともとアークライト家はアウレリア王家を守る剣の家系であり、その流派には個人レベルや少人数の小の剣から、大軍を率いる戦略や調略術、築城までを網羅する大の剣も伝わっている。彼自身は早くに引退し、最近までは中央から離れていたが、騎士団には共に蛮族の討伐やタイドリアとの小競り合いで肩を並べて戦った知己も多く、イザベルとの連携にも期待できる。
「そしていま一人、レオポルド元帥を軍監とする」
レオポルドはゆっくりと立ち上がると、居並ぶ一同を見渡した後、私を見て深く礼をする。
「承知いたしました。この老骨、粉骨砕身の覚悟で王都の盾となることを誓います」
その様子に頷いたところで、ギデオンが一礼して発言を求めた。私は軽く頷いて発言を許可する。
「恐れながら申し上げます。イザベル副団長、レオポルド元帥をお預かりして軍を率いるのは身に余る栄誉であります。しかし、騎士団の第一軍、第二軍を北の蛮族迎撃に振り分ければ王都の守りが薄くなるのは必定。陛下はこれをどうお考えか、伺わせて頂ければと幸いです」
全員の注目が私に集まるのを感じた。
お読みいただき、ありがとうございました。
会議のシーンを書く時に大変なのは、過去に登場したキャラクターの設定を確認することです。一応一覧表は作っているのですが、抜けもあり、慌ててサーチで探したりしています。キャラクターはもちろん、機会があれば組織図などもまとめたいところです。因みにユリウスは今回は欠席でした(笑)。
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次回は本日の23時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




