第五十八話:深淵の盟約、蠢動【後編】
「北の進軍速度を調整させろ」
私は、間髪入れずに次の命令を下した。その声は、地下空洞の冷気よりも冷たく響いた。
「決して急がせるな。一気に攻め落としてはならん。じわじわと、真綿で首を絞めるように、恐怖と絶望を拡散させろ。できるだけ騎士団の主力部隊を北へ引き付けるのだ、……我々の準備が整うその時まで、アウレリアの目を北へ釘付けにするのだ」
「承知いたしました。……して、王都への潜入部隊は?」
「焦るな。機が熟した時、私が直接指示を出す」
私は石机の上の水晶玉に手をかざした。 ゆらりと、二つの映像が闇の中に浮かび上がる。 一つは、王都の魔法学校の中庭を歩く、輝くような銀髪の少女――ルナリア・アークライト。 もう一つは、水晶の離宮の窓辺に佇む、憂いを帯びた美貌の王太子――アレクシウス。
周囲の部下たちは、固唾を飲んで映像を見つめている。その様子を見て私は内心で冷たく嗤った。目の前に映るものの価値も知らなければ、そもそも理解する気もない愚かな奴らには分かるはずもない。この二人こそが、私が長年の研究の果てにたどり着いた、完全なる人工生命体を創造するための鍵なのだ。
ムルド王の過ちは、莫大な魔力、ゴーレムを動かす動力そのものに制御術式を刻もうとした点にある。それではゴーレムを強化しようと魔力を籠めれば籠めるほど、その力はやがて術式すら焼き切り暴走する。その結果、ムルド王による統一はあっけなく瓦解し、皮肉なことにムルド王の強力な魔力が、その後100年に渡るゴーレムによる災厄を引き起こすことになった。
故に、私は動力とそれを制御する機能を完全に分離した。 アークライトの娘が持つ、底知れぬ魔力。あれこそが、枯れることなき無限の『動力源』だ。 そして、アウレリア王家の血脈。始祖ルキウスより受け継がれた、万物を平伏させる絶対的な「王権」。それこそが、混沌とする魔力を強制的に従わせ、意のままに操る『統御中枢』となる。
最強の魔力を、最強の王権で支配する。この二つが融合した時、泥の人形はただの怪物ではなく、私の意のままに世界を蹂躙する破壊と、それに続く完全なる秩序の番人となるのだ。
しかしこんなことを目の前の狂信者に話しても無駄だ。理解の及ばない者に、真理を語る必要はない。原理主義者たちにこんな話をしても、彼らはムルド王の編み出した以外のゴーレムの生成法を使うことに抵抗するのは目に見えている。不毛な原理論を振りかざし抗議する狂信者たちの姿を思い浮かべるだけでうんざりする。 彼らはただ、私の手足となって動けばいい。方法を理解する必要などないのだ。
「準備に戻れ。……世界を再び我らのものにする日は近いぞ」
私はそう言い捨てると、部下たちに背を向け、奥にある私室へと歩き出した。 背後で、衣擦れの音と共に、術者たちが一斉に平伏する気配がした。その恭順の姿勢の裏に、どれほどの疑念や不満が渦巻いていようと、私には関係のないことだ。 結果こそが、全てを黙らせるのだから。
***
「ザックス様、どうされましたか?」
私は側使えにそう声を掛けられるまで、ガロン様が闇の奥へと消えた後も、地図の前に立ち尽くしていた。 周囲では、術者たちが次なる指示に従い、忙しなく動き回っている。詠唱の低い唸り声が、地下空間に満ちていた。
「いや、なんでもない。先に行って用意をしておけ」
そう命じてから再び地図を見た。
(……見事な采配だ。それは認めざるを得ない)
北での大規模な侵攻で、アウレリアという国家の体力を削ぎ、注意を極限まで引きつける。その隙に、警戒の薄い東の国境から、完成した最強のゴーレムで、無防備な王都の心臓を一気に貫く。 軍事的な観点から見れば、極めて合理的だ。ガロン様の知略は、歴代のどの指導者よりも優れている。
だが、私はふと、先ほど不満を見せていた原理主義者たちの顔を思い出した。彼らはいま、無言で作業に戻っているが、その瞳には納得していない暗い色が宿っていた。
ガロン様は、彼らの信仰心を「使える道具」として利用している。だが、その態度の端々には、隠しきれない軽蔑が見え隠れする。 「感情や信仰で戦争はできない」 その言葉は、確かに正論だ。しかし、この『深淵の盟約』という組織を数百年にわたって支え、地下での隠遁生活に耐えさせてきたのは、他ならぬ「ムルド王への狂信的な憧憬」なのだ。
(ガロン様は、その優秀さ故に信者は無論、信仰というものが理解できないのだろう……)
人の心という不確定要素を、計算式から完全に除外しているその冷徹さ。 作戦は完璧だ。机上の論理としては、一点の曇りもない。 だが、その完璧に組み上げられた歯車の中に、もし「人の感情」という計算外の砂利が紛れ込んだ時――その時、この巨大な機構はどうなるのか。
ムルド王は、自らの力に溺れて滅んだと言われている。 ならば、ガロン様は? 彼は、自らの知性に溺れ、信者の機微を見落とすことで、足元をすくわれることはないのだろうか? 人は自分の理解できるものでしか他人を測れない生き物だ。
北の山脈を示す駒が、地図の上で赤黒く脈打っている。 それはまるで、これから流れる大量の血を予言しているかのようだった。 ガロン様が描く完璧な未来図。そこに、彼らのような「信仰者」の居場所は、本当にあるのだろうか。 地下の冷たい風が、私の背筋を撫で上げた。
(第五十八話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
さて、これで第二部の行く末が随分見えてきました(多分)。敵も味方も色々なものを抱えて、物語は進みます。次回は久々の主人公の登場です。それにしても三連休の後はPVが散々で、(誰が読んでいるんだろう?)と、分かっていても凹みます。
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次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




