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【連載開始3ヶ月でPV10万達成!&第三部開始!】病弱だった俺が謎の師匠に拾われたら、いつの間にか最強になっていたらしい(略称:病俺)  作者: 佐藤 峰樹 (さとう みねぎ)
第二部【王都陰謀編】

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第五十七話:師範の背中と、紫水晶の焦燥【後編】

 その夜。自室に戻った私は、湯浴みを済ませた後も、髪を乾かすことさえ忘れ、鏡の前でぼんやりと座っていた。

 鏡に映る自分。濡れた亜麻色の髪が、肩から胸元へと滴を零しながら流れ落ちている。薄手の絹の寝間着は、湯上がりの湿った肌に張り付き、体のラインを隠しきれていない。剣の鍛錬で鍛えられた、引き締まった腹。くびれた腰から、緩やかに広がる腰の曲線。太腿は、筋肉質でありながら、女性らしい丸みを失っていない。胸元も――剣士として鍛えてきたつもりだったが、決して小さくはない。稽古着を着ている時でも、時折、男弟子たちの視線を感じることがあった。

 私は、無意識に鎖骨に指を這わせた。その下に、心臓がある。今も、激しく脈打っている。


(……これまで、何度「美しい」と言われてきただろう)


 貴族の社交界。舞踏会。ドレスを着た時、男性たちの視線は露骨だった。背中を見つめる視線。腰のラインを追う視線。そして、胸元に――一瞬だけ、だが確かに向けられる視線。

 ある貴族の息子が、酔った勢いで言ったことがある。「セレス様の体は、剣士としての鍛えられた美しさと、女性としての柔らかさが同居している。まったく素晴らしい!」と。

 私は、その場で彼を冷たく拒絶した。だが――その言葉の意味を、理解はしていた。

 鏡の中の自分を見れば、分かる。整った顔立ち。長い睫毛。濡れた髪が、首筋に絡みつき、鎖骨の窪みに影を落としている。寝間着の裾から覗く足は、長く、滑らかだ。


(私は……女なのだ)


 それを、私は自覚していた。だが――

 それを、私は誇りに思ったことはなかった。

 むしろ、鬱陶しかった。私は、女性である前に剣士だ。剣の道を歩む者として、色恋などに惑わされることはない。そう、誓ってきた。社交界の視線も、求婚の申し出も、全て拒絶してきた。稽古着を着て、汗を流している時の方が、ドレスを着て舞踏会に出ている時よりも、ずっと自分らしいと思っていた。

 それなのに――


(なぜ、今、私は……)


 私は、鏡の中の自分の胸元に視線を落とした。薄い寝間着越しに、その形が見える。ライル様に、この体を――女性として、見てほしいと願っている自分がいることに気がつき、私は、慌てて顔を背けた。頬が、耳まで熱い。


(これまで拒絶してきたものを……今、私は求めている……?)


 その矛盾が、私を苦しめる。息苦しい。寝間着が、急に窮屈に感じられた。


(……王太子殿下は、男性であるにも関わらず、人間離れした美しさだという)


 頭の中で、噂が蘇る。殿下は、人前に出ることがほとんどない。だが、その稀な姿を目にした者たちは、皆、口を揃えて言う。「月のように美しい」「この世のものとは思えない」と。


(殿下は、男性だ)


 私は、唇を噛んだ。

 男同士であれば、剣を通じた絆は、純粋に成立する。師弟も、友情も、尊敬も――余計な感情に邪魔されることなく、研ぎ澄まされたまま交わることができる。それに、もしかしたら……そもそもライル様が、女性よりも男性の方に好意を持つ可能性だってある。だけど、それでもライル様を師匠として仰ぎながら、同時に――この体で、女性として、意識されたいと願ってしまう。それが勝手な私の事情だと分かっている。だけど思いは止められない。

 目を上げると鏡に映る自分の姿が見えた。


(私は……何をしているの……)


 剣士として生きてきた。女性として見られることを拒絶してきた。それが、私の誇りだった。この体も、剣のために鍛えてきた。女性らしさなど、邪魔なものだと思っていた。

 それなのに――今、私は、その誇りを自ら捨てようとしている。ライル様に、女性として――この体を、見てほしいと願っている。


(分からない……自分が、分からない……)


「……嫌」私は、鏡の中の自分を睨みつけた。


「私は、一番弟子。あの人が山を下りて、最初に剣を教えたのは私。……その場所だけは、誰にも渡さない」


 コンコン、と窓ガラスが軽く叩かれた。

 見ると、淡い光を放つ魔法の蝶が、硝子の向こうで羽ばたいている。妹のルナリアの使い魔だ。私が窓を開けると、蝶は部屋の中に入り込み、ルナの声で語りかけてきた。


『お姉様。……随分と、剣が乱れているようね』

「……ルナ。盗み見していたの?」

『まさか。忘れたの? わたくしたちは双子よ。どこにいたって、お姉様の「オーラ」を感じるわ。特に「嫉妬」のは』


 蝶は、ふふっと悪戯っぽく笑うような動きを見せた。


『ライル様が王太子殿下の師範になったこと、そんなに腹が立つの?』

「何を言っているの、あなたは! そんな訳ないでしょう! 王太子殿下に師範として迎えられるなんて、これはライル様にとって大変な機会だし、ライル様のお世話をさせていただいている、アークライト家にとっても名譽なことよ。この間、あなたもそう言ったじゃない」


 私は一気にまくし立てて黙らせようとしたが、途中で声が震えるのを止められなかった。


『嘘ね。……お姉様は怖いのよ。あの朴念仁が、自分よりも殿下の方を気に入ってしまうのが』


 図星を突かれ、私は言葉を失う。

 ルナの声は、いつもの通り楽しげでありながら、どこか冷ややかな真理を含んでいた。


『でもね、お姉様。一つ忠告しておくわ。……その感情は、毒ですわよ』


 蝶の光が、ふっと弱まる。


『嫉妬や執着は、人の目を曇らせる。今のままじゃ、お姉様はライル様に近づくどころか、自ら彼を遠ざけることになるわ』

「……嫉妬なんて、何を言っているの!? 殿下は男性でいらっしゃるのよ、なぜ私が殿下に嫉妬するのよ! 馬鹿なことを言わないで」


 私は、ひらひらと宙を舞う蝶に向かって声を荒らげた。それを切っ掛けに、自分のみっともなさを指摘された羞恥と、どうにもならない感情への苛立ちが爆発した。


「分かっている……。いけないことだって、分かっているのに、消えないのよ! この胸の炎が!」

『……お姉様は、これまで剣士としての誇りを守るために「女性として見られること」を拒絶してきた。なのに、いまはライル様には女性として見られたいと願っている。……その矛盾に、お姉様自身が苦しんでいるのよ』


 ルナの言葉が、胸に突き刺さる。


「……黙りなさい……」私は、震える声で言った。

『黙らないわ。……お姉様」


 ルナの声が急に優しくなった。


「……お姉様。無理をしちゃ駄目。思い出して、ライル様が何を大事にしているかを」


 考えることなくポロリと言葉が溢れた。


「……自然であること」

「そう、それを思い出して」

「……」

「あと、……可愛い妹のことも忘れないでね」


 その言葉にはルナらしさとともに、照れ隠しの成分も多分に含まれていることが姉の私には分かった。そして続く最後の言葉には、真剣に姉を心配する妹の響きがあった。


『お姉様。いま王都では色々な陰謀の糸が張り巡らされています。くれぐれも心の隙間にお気をつけあそばせ』


 そう言い残すと、蝶は光の粒子となって消えた。部屋に、再び静寂が戻る。

 私は、ベッドに倒れ込んだ。枕に顔を埋めると、湯上がりの髪から、石鹸の香りがした。ルナの言う通りだ。詳しくは知らされていないが、お父様やルナが日々慌ただしくしている様子からは、差し迫る不穏の影が窺える。王の相談役であり、騎士団特別教官である父・ギデオンの娘がこんな状態でいいわけがない。いまなら分かる。稽古の時に、ライル様に指摘された「無駄な力」「迷い」という言葉は、剣の技術ではなく、この心そのものなのだ。

 だが、理屈で分かっていても、感情は止まらない。むしろ、「捨てなければならない」と思えば思うほど、その執着は泥のように重く、深く、私の心に沈殿していく。


(私は……何と戦っているの? 剣士として強くなりたいのか、それとも……)


 自分の本心が、分からなかった。ライル様に認められたい。それは、剣士としての承認なのか、それとも――一人の女としての承認なのか。その答えが、曖昧なまま、私の心を蝕んでいく。


(もっと強くならなければ。誰よりも、殿下よりも。……ライル様に「私が必要だ」と言わせるくらいに)


 鏡に映る私の紫水晶色の瞳から、純粋な光が消え、代わりに昏い、鬼火のような決意の光が宿り始めていた。それは、遠い北の空で明滅する「紫色の光」と、どこか似た色を帯びていたのだが、その時の私には知る由もなかった。


(第五十七話 了)

お読みいただき、ありがとうございました。


良い子ゆえの悩みに苦しむセレス。著者も書く度にハラハラしています。


「面白い」「続きが読みたい」と少しでも思っていただけましたら、ブックマークや、ページ下の【★★★★★】から評価をいただけますと、大変励みになります。


次回は明日の11時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。

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