第六話:新しい稽古と、「セレス」と呼ぶこと【前編】
翌朝、訓練場には昨日とは全く違う、静かな熱気が満ちていた。
門下生たちは誰一人私語を交わすことなく、俺の指示で始まった「ただ立つ」稽古に、真剣に取り組んでいた。
だが、真剣だからこそ、彼らの顔にはすぐに苦悶の色が浮かび始めた。
時間は、ただゆっくりと流れた。太陽が訓練場の真上に差し掛かろうかという頃、それまで意地で耐えていたコンラッドが、ついに悲鳴に似た声を上げた。
「ライル師範代……!これは、無理です!」
相反する指示に、門下生たちは皆困惑している。俺は困りながらも、正直に答えるしかなかった。
「すみません……。でも、最初はそういうものなんです。俺も最初は体が弱くて、一分と立っていられませんでした。意味が分かるまで、三年かかりました」
「「「三年!?」」」
門下生たちの顔に絶望の色が浮かぶ。三年も意味の分からない苦行を続けろというのか、という空気が訓練場に満ちた。
(……俺の場合は、他にやることもなかったからなぁ)
師匠との稽古を思い出す。時には、師匠と向かい合い、互いの腕を合わせたまま、森の中を歩き続けることもあった。
(あれなら、一人でやるよりは、少しは感覚が伝わるかもしれない)
俺は、皆の絶望に満ちた顔を見ながら、午後の稽古のやり方を変えることを思いついた。
午前中の稽古が終わると、俺は皆に告げた。
「すみません、俺の説明が下手で、上手く伝わらないようです。午後からは、少しやり方を変えてみようと思います」
午後、俺は稽古の内容を変えることにした。
「二人一組になってください。そして、一人で立っていた時と同じ状態で、向かい合います」
門下生たちは、言われるがままに組を作る。俺の前に、お互い胸の前で輪を作って向かい合った二人一組の列ができた。
「その状態でお互いの手の甲を、そっと合わせてください」
俺の指示に、皆、ますます訳が分からないという顔をしつつ、互いの手の甲をつける。
「そうしたら、互いに自分の力を相手に伝えるイメージで、軽く押してみてください」
俺は、できるだけ丁寧に説明しようと試みた。
「大事なのは、相手の力を『受け入れる』ことです。相手を動かそうとせず、踏ん張りもせず、ただ相手の力を受け入れる。それだけです」
門下生たちは互いに顔を見合わせ、脂汗を流している。俺が言っていることが、雲を掴むような話に聞こえているのだろう。
やがて、あちこちからうめき声のようなものが聞こえてきた。ほとんどの組がただの手押し相撲のような力比べに変わってしまっている。
「やめてください」
俺の声に、皆の動きが止まる。
「それは力勝負です。……コンラッドさん、こちらへ」
俺はコンラッドと手を合わせた。彼が全力で押してくるが、俺の体は動かない。次に俺が少し意識を前に向けると、彼の巨体が簡単に後ろへよろめいた。
「ここでやっているのは力比べではありません。相手の力を、腕から踵、床まで通すことです」
訓練場は静まり返っていた。
その沈黙を破って、セレスティアさんが前に進み出た。
「……私が、お相手をお願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
俺とセレスティアさんは、そっと手の甲を合わせた。
彼女の手は、コンラッドのようにがっちりと固くはなく、しなやかな弾力があった。恐らく俺の説明を聞いて、彼女なりに一生懸命やっているのだろう。
試しに俺は自分の体の中に圧を加える。それに反応して彼女の手に、ぐっと力がこもる。頭では俺の話を実践しようとしているのだが、体が反射的に力で応じてしまっている。
彼女が力を込めれば込めるほど、まるで鏡のように、同じだけの力が彼女自身に返っていく。
案の定、彼女の体勢が崩れて後ろによろめく。俺は何もしていない。彼女が、自分の力でバランスを崩したのだ。
「……くっ」
悔しそうに顔を歪める彼女に、俺は言った。
「すぐに何かをしようとしないでください。まず、ただ手を合わせたこの状態で、少しだけ、相手を感じてみてください」
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後編は本日21時の更新を予定しております。またお会いできると嬉しいです。




